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学校がなくなったら?




 学校に行かない子どもが大勢います。

学校に行かない理由は色々ですが、根本には子供による学校の不承認ということがあるのではないでしょうか。学校制度の不承認と言ってもいいでしょう。

勉強したい。友達と遊びたい気持ちがいっぱいなのです。でも、そこには教師のやり方、学校の決まり、子どもには納得のいかないことばかりです。子どもから見ると監獄のような場所です。正門まで行けても教室には入れません。

https://note.com/ron870/n/n9187f24030a3


 帝京大学八王子キャンパスの「未来型学修デザインラボ」という授業は、Stanford大学のdスクールからヒントを得ました。(宮原俊之)

https://note.com/ron870/n/n24bf5e101cb4

今年の学生グループのテーマに、

「こどもたちが、自律した大人になるためには、どうしたらよいだろう」
というものがありました。

はて?

「大人たちが、自律した大人になるためには、どうしたらよいだろう」
の間違いではないかと。

質問しましたら、やはりそうだったようです。自律することを定義して、今の大人が自律しているかを考えると、自律していない大人ばかりが浮かんできて、そもそもの問いは何を求めているのかが混乱してきます。

  「私は学びというものは、生徒や学生の勇気や生きる意欲の源となることが、最も大切なことだと思っています。学びの真髄には人と人が他者のためにつながることができる大切なものがあります。生徒が学ぶ意味や意義は、単に知識・技能を習得することではなく、学びの主体としてアイデンティティを形成し、生涯に渡ってそれを成長させていくことにあるであろう。人は学びの主体となるとき、自尊感情を高め、自分の存在意義をより確かなものとすることができるのではなかろうか。」(柞磨昭孝)

さらに引用します。

「学びは、他者性を認識することからスタートします。」「(学ぶことの)究極は、それぞれの人が創造的に生きることであり、それが主体的ということでもあり、他者や社会とつながることでもある。私が「他者性」という言葉で代表して表現している、「異質なもの、拮抗する概念、不条理」などがある。それは一見生きることを困難にする要素に思えるが、自分の可能性を拓くものとして働く重要なものであり、それが学びを豊かにする。他者とかかわり合うという関係性における価値判断を求める。(学びは)、共感や葛藤の中で行われ、矛盾を乗り越えた意思決定となることが多い。そのプロセスを経て「状況とかかわる力」が育ち、アイデンティティが成長し、人として成熟する。異質なもの、矛盾や相反する価値観で構成された中で、葛藤に導かれ成長し、真の強さを獲得するものである。」(同)

 私たちは、このように学んできたはずなのに、

社会には自律していない大人たちが、資本主義の中で、権力と地位を持ち、自分たちの優位になる社会を築いています。

学校はずっと社会の実態を反映したものでした。

資本市議のアメリカ社会を反映した学校教育について分析した「アメリカ資本市議と学校教育」(Samuel Bowls and hewrbert Gintis)を読みます。

 学生たちの問いは本当は正しいものでなければなりません。

Deweyが考えた学校教育は、人格の発展と平等主義を育み、青少年を社会へ統合する機能を持っているものでした。しかし、その理想は実現しません。

アメリカの教育制度は、アメリカの資本主義と社会的生産関係と資本蓄積、再生産の過程を反映したものであって、経済制度の矛盾がそのまま教育制度の矛盾となって現れています。

アメリカ社会では、能力主義が社会に組み込まれています。学校教育でも、能力主義により評価されるようになります。これに加えて、意欲や忍耐力なども社会がもとめる属性などが学校の評価となっていきます。すなわち、成人してからの職業の役割に統合しよういう教育制度の役割によって、そこで育成される人格的発展の類型は極めて限定されたものになります。

今や、教育制度は資本主義の再生産のためのものになっています。

 日本でも、学習指導要領の変質や経団連に誘導された教育DXが、
society5.0や「令和の日本型学校教育」などの形で、教育を経済優先の姿に変えようとしています。

日本の社会は、集団的な流れにすぐ反応するという怖さがあります。発達障害が日本では多いと言われますが、普通ではないと区別したがるムラ社会的なものに起因するように思えます。精神医者の中井久生は病名をつけることを避けてきました。精神疾患のほとんどの病気は治療できないことがわかっています.何かを確定することで、その人の人生が決まってしまいます。これも承諾できないことです。

 兵庫県知事斎藤元彦の再選も既得権益と改革という構図がどこからか社会に生まれて、私たちが自分の体験としてそのことを考えないままに行われたものではないでしょうか。

 これが大人の世界です。

 しかし子どもたちは違います。母親との会話で、schemaを使って、もがきながら人としての一歩を踏み出そうとしています。カオスの波に飲み込まれていません。人間らしさをまっすぐに持っています。人間らしい生き方を失った大人は学ばなければなりません。

 冒頭に戻ります。

子供たちは、大人たちの社会を守るための学校は要らないと言っています。今の学校制度は、権力と所有のmechanismを持った社会の反映であることを見抜いています。

 Deweyはすごく大切なことを述べています。

学校教育が、社会を変えることができなければその存在の意味はない。
(「民主主義と学校」)



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