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わたしたちの結婚#38/高原の朝、初めて見えた夫の素顔


夫の故郷に着いて、一番に連れて行ってくれたのは、爽やかな高原だった。


夏にもかかわらず、車から降りると少し冷んやりとした空気が私を包んだ。


「少し歩くけど大丈夫?」

「うん、大丈夫」

私たちは、きれいに整備された木の階段を登った。

傾斜のゆるやかな階段は、歩きやすくて、ちょっとしたハイキングにもってこいだった。


車の中にきゅうきゅうに押し込めていた身体をうんと伸ばして、リズミカルに歩く。

お天気にも恵まれてとても心地良い。


私はすっかりこの早朝の散歩を気に入って、ぐんぐん進んだ。

しばらく登ったところで、夫が私に声を掛けた。

「大丈夫?そろそろ休憩しない?」

いつも私を一番に気遣ってくれる夫だから、早めに声を掛けてくれたんだなと思い、まだ大丈夫だと笑顔で伝えた。

むしろもっと登りたい。
私は自分自身からアドレナリンが溢れるのを感じながら、どんどん進んだ。

また少しして、夫は再度休憩が必要かどうか聞いてくれた。

私はまた笑顔で大丈夫と伝え、頂上が見えてきたから、頂上まで行ってしまおうと提案した。

早く景色が見たくて、私は最後のスパートをかけて頂上まで駆け足で登った。

夫を振り返ると、はしゃぐ私を笑顔で眺めながら、ゆっくり階段を登っていた。


頂上に着くと、それはそれはもう美しい絶景が私を歓迎してくれた。

晴れ渡る青空、浮かぶ雲海。

雲海を見たのは初めてで、私は興奮してスマホで写真をたくさん撮った。


少ししてから、夫がヨタヨタと頂上に到着した。

「見て!すごいきれい!雲海が広がってるの!」

私ははしゃいで夫に報告した。

夫はそばのベンチにどさっと横たわり、肩で息をしている。

「大丈夫?」

景色に夢中になっていて、夫が思った以上に遅れていることに気付かなかった。

夫の表情に余裕はなく、ゼエゼエと荒い呼吸が繰り返された。

「君、歩くの早いよ。何度も休憩しようと言ったじゃないか。少しは相手を想いやったらどうだい」


余裕のない声で夫は私を非難した。

「ええ!?休憩したいなら、そう言ってくれればよかったのに!私に気を遣って提案してくれてるのかと思った!」

私は目を丸くして反射的にそう答えた。

後からわかったことなんだけれど、夫は自分がしたいことを“I want to do”(僕は〜したい)形式で伝えてくれない。

いつだって、私を気遣うように“Shall we〜?”(〜しませんか?)形式で表現するのだ。

夫は珍しく機嫌を損ねていて、拗ねた少年のように続けた。

「そうは言ったって、普通、休憩しない?って聞いたら、私はこうだけど、あなたはどう?って聞くだろう?自分が元気だからってどんどん進むのはどうかと思うよ」


ゼエゼエ、と息も絶え絶えに夫は私に訴えた。

「君には思いやりが足りないんだ」

口を尖らせて夫は抗議した。


私は心底驚いた。私自身、体力に自信がないから、私よりも夫が先にくたびれるとは夢にも思わなかったのだ。

でも、よく考えたら、ここまで助手席でぐっすり眠ってきた私と、一晩中運転してきた夫では、コンディションが違いすぎる。


私は自分の事ばかりだな。
夫に気付かされる。

夫はこんなに私のことを思いやってくれているのに。


「とにかくしばらく休憩するから!」


夫はつっけんどんに宣言すると、ベンチに横たわったまま目を閉じた。

早朝、誰もいない高原の頂上で、子どもみたいな声を出す夫が新鮮で、可愛かった。

これまで余裕のある年上男性を演じてくれていた夫の、本当の姿を見た気がした。

故郷の風のなせる技なのか、夫はいつもより少年のような顔をしていた。



ほどよい運動でほてった頬を、冷たくて優しい風が撫でる。

夫のリュックから、飲み物とおにぎりを取り出して、夫の隣に座る。

「おにぎり食べよう」

誘っても、「先に食べていいよ」と夫は目を瞑ったまま。


相当疲れているみたい。


美しい景色を見ながら、私はおにぎりを頬張った。

たくさん運転して、私の分まで食糧を担いで登って来てくれた夫に感謝した。

少しして、夫も起き上がって、おにぎりを食べた。



改めて見る美しい景色に、夫の表情も明るくなった。

「すごくラッキーだよ、君。前に来たときは雲海なんて見えなかったから」

嬉しそうに目を細めた。


登ったばかりの朝日がキラキラと雲を照らす。

静かで明るい朝を身体全体で感じる。

夫との距離が、また少し縮まった気がした。




ロン204.


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