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わたしたちの結婚#22/夫の部屋と旅の計画


この日は特別な日だった。

とはいえ、この頃は特別な日だらけの週末を送っていたので、特別であることがある意味日常だったのだけれど。

そんな日々のなかでも、夫がはじめて家に招待してくれたこの日は、私にとってとても嬉しい日だった。

これまで踏み込んでいなかった部分の夫の一面を知ることが出来ると思うと、やっぱり嬉しかった。




夫の暮らす街には、大きな公園があった。せっかくなので、手を繋いで公園をぷらぷら歩いた。

お互いの仕事のことや、休みの取りやすさなんかを話した。

近くのイタリアンで昼食を食べ、夫のマンションに向かった。

駅からほど近い、マンションの最上階の角部屋が夫の住まいだった。6畳1Kのこぢんまりした部屋に、整然と夫の宝物が詰め込まれていた。

部屋に入ると、ちょこんと真新しいスリッパが置かれていた。

「はい、君のスリッパだよ」

ふと夫の足元をみると、お揃いのスリッパを履いている。

“わたしの”スリッパ。

お客様用ではなく、私個人のスリッパをお揃いで用意していてくれたことが、なんとも可愛く思えた。

これが私たちにとって、はじめてのお揃いの所有物となった。少しだけ気恥ずかしくて、それでいて心がじんわり温かくなった。

夫の部屋はとてもきれいだった。いつも乗せてもらう夫の車が、中も外もいつでもピカピカだったので、綺麗好きな人なのだろうという気はしていたのだけれど、想像以上だった。

きれい以上の几帳面さを感じさせた。

コード類はきちんと結束バンドでまとめられていて、全ての物にきちんと住所があるような配置をしていた。

真ん中に、大きなテレビモニターがあり、熱帯の海を泳ぐカラフルな魚が映し出されていた。

「きれいだろう。ぼんやりと眺めているだけで、心が落ち着くんだ」

モニターを見つめる私に夫が声をかける。

「紅茶でいいかい」

私は頷いて、指定された椅子に腰掛けた。

私は片付けが苦手なので、どちらかというと物は持たないように気をつけているタイプだが、夫はきちんと整理整頓ができる人で、かつ物を所有するのが好きなタイプだった。

タイプの違いに一抹の不安が頭をよぎったけれど、あまり深く考えないようにした。


夫は大きなテレビモニターにパソコンを繋いで、トラベルサイトを開いた。

私の実家の挨拶が終わったら、2人で旅行に行きたいと夫が提案してくれたのだ。

温泉が好きな私に合わせて、近場の温泉街へ行くプラン。あらかじめ、夫が見繕っておいてくれた宿をいくつか見せてくれて、違いを教えてくれる。

「ここは見晴らしがいいけど、徒歩では温泉街に歩いて行けない距離。ここは部屋が少し狭いけれど、大浴場からの眺めがとてもいいよ」

「お料理は旅館で食べたいと言っていたよね。部屋食か会場かどちらがいいかな」

夫は細かく私の意見をヒヤリングして、最適な答えを導き出そうとしていた。

私はどちらかというと、人に合わせることを好む性格なので、「自分の希望」を伝えるのにまごついた。そもそも、「自分の希望」があまりないのだ。人に合わせることに慣れすぎて、ある意味楽な方に流されすぎて、今や自分自身というものの輪郭が、あまりにも曖昧になってしまっていた。

けれど、結婚の主人公が私と夫である以上、私も半分は私自身を伝えないといけないことに、この頃から気がつき始めた。

マグカップに残った紅茶を一気に飲み干して、自分という人間の曖昧さから心を引き離した。

もう一度夫の質問に集中する。
夫は笑顔で自分の要望を言ってくれる。

「自分は人生に一度でいいから客室露天風呂のある部屋に泊まってみたかったんだ。今回その部屋にしてもいいかい」

「そこから雄大な自然の景色が見えたらいいなあ」

夫は楽しげに宿の写真を見ていた。

私も宿の情報を見比べて、夫が候補に絞り込んだ3つの宿のうち、ひとつを選んだ。

部屋の間取りがゆったりしているところや、窓から見える景色が気に入ったからだった。私は慎重に自分の気持ちに正直になれているか確認しながら、真剣に宿を選んだ。

処世術として相手に合わせることはとても大切だけれど、「私」という人間を喜ばせたいと考えてくれる人の前では、自分の感性を消してはいけないことを感じていた。

「オッケー、予約しておくよ」

夫は朗らかにそう言い、そのあとおもむろに棚から箱を取り出した。


「はい。結構前に注文しておいたんだけど、やっと届いたんだ」

夫に促されて箱を開けると、それはフランソワ・ポンポンの《シロクマ》のミニチュアだった。

「え!これ!」
ぱっと顔をあげて、驚きのあまり言葉にならない台詞が口から出た。

「欲しかったと言っていたから。プレゼント」

学生時代に旅したパリのオルセー美術館で一目惚れしたフランソワ・ポンポンの《シロクマ》。

旅の途中だったことと、学生の極貧旅だったこともあり、ミュージアムショップで数十分買うか悩んだ末に諦めたものだった。

その代わり、数ユーロで買えるポストカードを買った。今でも写真立てに入れて、部屋に飾っている。


ちょこん、と手乗りサイズのシロクマは、本物と同じように研ぎ澄まされていて、美しかった。

そしてなにより、私の何気ない話を覚えていてくれたことが嬉しかった。

「ありがとう」

私は丁寧に箱に入れ直して、鞄にシロクマをしまった。

夫は優しく頷いて、満足そうに私を見ていた。

月並みだけれど、私の幸せが、夫にとっての幸せなのだと感じた。
私も、そう在りたいと思った。この人の幸せが、私の幸せで在りたい。夫ほどうまく、気持ちを伝えられていないけれど、私は常に夫の幸せを願う存在でいたいと思った。強く。とても強く。

そのあとは、私の両親への挨拶の打ち合わせをした。夫は、服装やら手土産のお菓子やらについて私に綿密に確認した。



強い日差しが窓から差し込んで、眩しいくらいだった。

季節が進み、わたしたちの関係も進んだ。

「もうすぐこの景色も見納めか。結構気に入ってたんだけどな」

夫が名残惜しそうに外に目を向けた。
私も同じ景色を見る。

未来はわからないけれど、これからどんどんいろんなことが変わっていくのだと感じた。

不思議と不安はなかった。
とてもぴったりのタイミングで、その変化は訪れたように感じた。


ロン204.


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