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わたしたちの結婚#25/楽しい気持ちと空飛ぶイルカ



恋人ができたら何がしたい?

そんな憧れは、誰にでもひとつふたつあると思う。

私にとって、そのひとつが水族館だった。

素敵な彼と、水族館に行く。
あまりにもベタなデートで、少女漫画の主人公は大抵デートで水族館に行く。

けれど、集客力のあるコンテンツが何もない田舎で生まれ育った私の日常に、水族館はなかった。

だからこそ、憧れていた。

キラキラ光が反射する水を見上げて、のびのび泳ぐ魚を見る。

もちろん彼と手を繋いで、彼は魚を見つめる私を見て微笑むのだ。

彼女が可愛くてたまらない、という表情を浮かべて。



夫が次のデートに水族館を提案してくれたとき、そんな妄想が蘇った。

「小さいけれど、なかなか充実した展示らしいんだ。ペンギンもいるし、イルカショーだってあるよ」

夫がネット情報を教えてくれたとおり、水族館は工夫を凝らしたつくりで、どの生き物もいきいきとして見えた。

緩やかなスロープを上がり、展示のハイライトともいえる、館内で一番大きな水槽にたどり着いた。

まるで、海の中にいるみたいだった。

小さな魚が群れをなして泳ぎ、光に照らされてキラキラしていた。
その中を大きな魚が悠然と泳ぐ。
どっしり、どっしり泳ぐ。

「見て!エイだよ!あれは、アオウメガメ!」
少年が一生懸命指差していた。

少年のキラキラした笑顔が眩しくて、ついつい私も指差された先を見つめる。

幸せな空間だった。
みんなが楽しそうで、みんなが微笑んでいる。

お魚を見ることが楽しい人も、お魚を見せてあげることが楽しい人も、隣の彼や彼女といるならどこだって楽しい人も、みんな優しい微笑みで水槽を見上げていた。

私は夫を盗み見た。

iPhoneを構えて一生懸命写真を撮っている。

「構図が大事なんだ」

「ほら、あの魚が真ん中に来るタイミングで撮りたいんだよ」


私は少し下がって写真を撮った。
写真を夢中になって撮っている夫と、キラキラ輝く大水槽の写真。

妄想とは少し違うけど、私の心は満たされていた。

私自身の想い出に勝る物語はないんだと思った。


夫が振り向いた。
「行こう、イルカショーだよ」


私は夫と手を繋ぎ、今日のクライマックスに向けて歩いた。


イルカは上手に空を飛び、なんと、どことなく得意気に笑っているように見えた。

ピピーッと鳴る笛の音に合わせてビュンと飛び出すイルカたちは圧巻で、私は割れんばかりの拍手を贈った。

「まるで初めてイルカショーを見た人みたいに感動しているね」

夫は少し面白がりながら私に声をかけた。

「うん。そうなの。初めて見たの」

そう答えると、夫は目を丸くして、

「そっか。なら、また来よう。君はイルカショーをとても気に入ったみたいだから」

と優しく言った。


私は頷いて、またイルカに視線を戻した。


宙を舞うイルカと、歌う飼育員さんが一体となって、フィナーレを盛り上げていた。


身体の内側から楽しいが溢れていた。


夫といる時間が、楽しくてたまらない。

楽しいという感情は、心から安心できて初めて生まれるのだと知った。


「心理的安全性」という言葉が流行っている。

それを私は、「理不尽に怒られない環境」だと思っていた。

けれど、そうじゃない。

心の中で悪態をつきながらも、みんなピエロみたいに仮面を被って表面上は「大丈夫だよ」と声を掛けながら、その裏でそっと相手に期待するのをやめているような人間の集団が、安全なわけがないんだ。

私たちは、この複雑な時代の中で、心を隠しながらお互いをすり減らせている。嘘や建前の中には真実はなくて、それでいて陰口や泣き言も決して本心ではないのだ。

そんな霞のような言葉の中から真実を探すことは、雲をつかむような作業だ。

今日真実だと思っていたことが、明日には間違いになるかもしれない。

集団の中で生きることは、どうしたってそんな不安から逃れることはできない。


でも。


たったひとりでいい。
隣に生きる人が自分を信じていてくれたら。
その人が私を肯定していてくれたら。

それだけで、こんなにも自分の内側から暖かいエネルギーが溢れてくるんだと、夫に出会って初めて知った。



イルカが跳ぶ。

その表情はやっぱり誇らしげだ。


楽しいを心にいっぱい満たして、私は夫の腕に抱きついた。


「また連れてきて」

甘えた声で言った。
まるで、恋人みたいに。

そんなことをしたのは初めてだった。
私は私の心が解き放たれるのを感じた。


太陽が眩しく照りつけて、空は澄み渡っていた。

憧れの水族館デートは、私の記憶の中で、キラキラ輝く宝物になった。



ロン204.

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