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わたしたちの結婚#8/クラフトマーケットと大切なもの



集合の20分前に駅に着いた。

ちょっとこの辺りを下見しておこうと周辺をうろうろしていたら、なんと夫がそこにいた。


「早いですね」

「そちらこそ」

私たちはお互い、目をぱちくりし合った後、なんとなく可笑しくて笑った。

舞台裏で出会ってしまったような、そんな気恥ずかしさがあった。



夫が誘ってくれたクラフトマーケットは、プロ・アマ問わず、自身で作ったものを売ることのできるバザーのようなものだった。

繊細なガラス細工や、焼き物、木製の小物からビーズ細工、刺繍まで、クリエイターたちが思い思いの商品を出店していた。


フリーマーケットのようなものをイメージしていた私は、その出来栄えの見事さと、お値段の高さに密かに驚いていた。


夫は、量産品ではなくて、その時々に出会った一点物を大切にするのが好きなんだ、と言った。

作家さんが直接説明しながら売ってくれる。
あたたかみのある作品は、見るだけで楽しかった。


本音を言うと、私は「大切なもの」が苦手だった。
なるべく大切なものを持たない暮らしを心掛けていたくらい。

失ったり、壊れたときのショックを想像すると、安い量産品の方が気楽だった。

そういえば、人間関係だってそうだ。


当たり障りなく誰とでも仲良くしてきたけれど、絶対に失いたくない大切な人は、作らないようにしてきた。

人の心は変わるもの。
うつろいゆく世界で、いちいち傷ついていられない。
最初から失うことを前提で生きている自分に気付いた。



「へえ、そんな工夫がされているんですね。
 自分はこの部分の形が面白いと思います」

夫はなごやかに作家さんとお喋りを楽しんでいる。

作家さんも嬉しそうだ。


宝物をさがすように、キラキラした瞳でマーケットをまわる夫に魅かれた。

「ロンさんは?何に心が動きますか?どんな造形がお好きですか?」

楽しげに聞いてくれる。
同じ質問を丁寧に私は私の心に投げかける。

私は何に心が動くだろう。

どんな造形が好きだろう。


欲しいと思うものが手に入らないことに慣れ過ぎて、欲しいという感情すら失ってしまった自分がいた。

高そうだとか、埃が溜まりやすそうだとかそんな理由で、自分の感性にフタをしていたことに気が付いた。


でも。

もう一度、もう一度思い出そう。


私は、なにが好きで、なにに心が動いて、今、目の前にあるものたちにどんな感想を持っているのか。


心をもう一度清らかな水で満たすように、私はマーケットの商品を丁寧に観察した。


ガラスの一輪挿しも、青いお皿も、どれもとても素敵だった。

そんな中で、一際目に留まったのは、木で造られた商品が並ぶところだった。

あたたかみのある木でできた、マスキングテープカッターを手にした。

切るところが刃物ではなく、木をギザギザに加工した作りだった。


つなぎの面の木目が揃っていて、職人のこだわりが感じられた。

私は不思議とそのカッターから目が離せなくなった。

欲しいな。
心の中で小さな声がした。


「おいくらですか」


勇気を出して聞いてみると、やっぱり高かった。


けれど、私はこれを買うことにした。


生活に必要か、と言われると必要のないものだった。
使用頻度もかなり低いだろう。


けれど、私はこれを買うことにした。
失ってしまった何かを、思い出したかった。


大切にしよう、と思った。

そして、大切なものを増やしていこう、とも思った。


この人との思い出をたくさんたくさん大事にしていこう、と思った。



「変わったものを買うね」

夫は笑った。

すごく嬉しそうに。


その笑顔が、とても眩しかった。



ロン204.

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