数学書の読み方:定義・定理となかまたち

筆者註:この文章には値札が付いていますが,全文無料で読めます.参考になった,面白かったと感じられた方はおひねりを頂戴できれば大変ありがたく存じます.(龍孫江)

 数学を学ぼうと思って数学書を紐解くと,定理○定義○.○ といった小見出しつきの段落がたくさん並んでいることに気づかれることでしょう.これらの小見出しは数学書(に限らず数学を扱う文章全般)において,その構成を読み取るための重要な情報を与えてくれています.

 主だったものを列挙してみましょう.

  • 定義 Definition (略号:Def. Defn.)

  • 定理 Theorem (略号:Th. Thm.)

  • 命題 Proposition (略号:Prop.)

  • 補題 Lemma (略号:Lem.)

  • 系 Corollary (略号:Cor.)

  • 予想 Conjecture (略号:Conj.)

  • 問題 Problem (略号:Prob.)

  • 例 Example (略号:Ex.)

 今回はこれらの小見出しの意味を簡単に紹介します.なお,この記事の内容はこちらの動画と同様です.

定義 Definition

 定義とは「それ以降で論じる対象や概念を規定すること」です.

 原則として,数学で扱われる概念や対象は総て定義されることで議論の俎上に載せられます.わざわざ記さなくても読者が知っていると想定できるほど基本的なものならば割愛されることもありますが,その論文の主題に関わる重要概念はほぼその都度定義されます.

 というのも,広く知られた概念であっても,人により場合により微妙な差がある場合があるからです.有名なところでは$${0}$$を自然数に含めるかはぼく自身目的に応じて使い分けていますが,このような複数の流儀がある対象については最初に「こうします」と断っておかないと議論がすれ違いかねません.このような誤解を避ける意味でも,しっかり定義することは重要です.

 また,定義についてちょっと注意したい点に「対象Aの定義を満足するものは総てAである」があります.数学の概念を表す語には日常的に用いられる用語を援用したものも多く,また漢語で表すとなんとなく意味が通ってしまったりするのですが,それらの先入観に囚われて定義を充たさないものを含めることや定義を充たしているものを除外することはしてはならないのです.
 さらに,この「対象Aの定義を満足するものは総てAである」という性質から,さまざまな出自をもつ対象たちの中に共通する性質を統一的に論じられることが保証されます.全く関連性がないと思われていた対象の間に共通する性質が見いだされ解き明かされていくのは,数学の醍醐味の1つと言えます.

定理 Theorem / 命題 Proposition / 補題 Lemma / 系 Corollary

 定理・命題・補題・系はいずれも論証によって真なることが保証された言明を表します.これらは,その文献における重要度や位置づけによって使い分けられます.ですから,ある文献では定理とされた事柄が別の文献では補題や命題とされることは(その逆も)珍しいことではありません.

定理 Theorem

 定理はその文献の中で特に重要と位置づけられるものです.各論文にはそれが書かれた目的ともいえる定理があり,それをその論文の主定理といいます.

補題 Lemma

 補題は他の言明を証明するための補助・道具となるものをいいます.例えば数学の議論では類似の思考を何度も繰り返す場合があり,そのような繰り返しを補題としてパッケージ化しておくことで議論の流れが見やすくする働きがあります.

系 Corollary

 系は他の定理などから帰結として証明されるものと位置付けられます.たくさんの豊かな系をもつことが,元となった定理が強力かつ有用であることを示す証左となるのです.

命題 Proposition

 最後に残った命題は,4つのうちで最も汎用性が広く,特に用途や目的を限定せず広く用いられます.

 何が定理,何が補題・命題とされているかを丁寧に見ていくことで,この論文が何を目的としそれをどう証明しようとしているのか粗筋を掴むことができます.これらの使い分けに注目すると,その文章の構造が読み取りやすくなることでしょう.

偉大な「補題」

 ここまで定理・命題・補題・系の使い分けをお話ししてきましたが,このうち補題だけにはちょっと特殊な使われ方があります.数多ある数学の「定理」のうち

  • 当該分野における基本的定理である

  • 数多くの定理・命題の証明に有効に利用される

の両方を充たすものを,いわば分野を通じての補題として,それを証明した人,またはその重要性を指摘し広く知らしめた人の名前を冠して

○○○(人名)の補題

と呼びます.そもそも補題に限らず定理に人名が冠されること自体,多くの数学者に強い印象を与えた場合に限られるわけで,特に「補題」に自分の名が冠されることは数学者にとってこれ以上ない栄誉と言えます.

予想 Conjecture / 問題 Problem

 予想・問題は成否を解決することが課題だと考えられる言明を表します.両者の違いとしては,数値実験や特殊な場合の成否などの傍証によって成立の期待度が高い場合に予想と呼ばれます.

 数学者の研究は,つねに解きたい問題.解くべき問題を探しては考えるという営みの繰り返しです.良い問題は多くの数学者の好奇心を刺激し,研究を活発化させます.例えばフェルマー予想は,その解決のために大勢の数学者が様々なアイデアを出し,多くの強力な道具を生み出す動機づけとなりました.

 数学者の仕事というと問題を解くことと思われがちですが,良い問題を提示し研究の方針を指し示すことも数学における重要な営みの1つです.そのような問題群としてHilbertによる数学23の問題や,クレイ研究所によるミレニアム懸賞問題などが挙げられます.

例 Example

 最後に例です.これは文字通り,考察中の理論を援用できる具体的な対象の観察を意味します.『数学ガール』の著者・結城浩さんは,その中で

例示は理解の試金石

と述べています.ある命題や定義が与えられたとき,その例を与えることで挙げられている条件がどんな役割を担っているのか観察できます.例を「例になっている」と確かめることは,そこから始まる議論における基本的な技巧を確認するのにきっと役立ちます.また,あえて条件を落として何が起きるか観察することも重要です.

 私見ですが,例は次のように類別されると言えます:

(1) 自明な例 

可換環論における零環などのように,機構が単純すぎるために例であることが明白な(または認めざるを得ない)例のことを言います.「自明な」は trivial の訳語で,この語には「つまらない」という意味もあります.

(2) 典型的な例

可換環論における有理整数環 $${\mathbb{Z}}$$ や体上の多項式環 $${K[T]}$$ のように,理論構築の雛型となった整然としつつも複雑な内容を備える例のことです.その例の性質はどのくらい一般的なのか,そのためにどう概念を拡張すればよいかなど,典型的な例からも学ぶことは多いです.

(3) 著者に固有の例

 著者の問題意識や知識・興味が表出した例のことで,中には研究対象に密接に関連する題材が挙げられることもしばしばです.著者がどのような課題を持って論じているかが現れやすく,このような例を見ることこそ数学書を味わう醍醐味とも言えるでしょう.

(4) 条件が成立しない例

 定理や定義の条件が成立しない場合の例を言います.条件が成立する例だけを見ていると誤解しがちですが,たいていの場合には条件が成立しない例もごろごろ転がっています.条件の成否について表裏両面から観察することで,立体的な理解が期待できます


 ざっと簡単にお話ししてきましたが,これらの小見出しについては実際にどう使われているかを見て体験していくなかで自然と身につくでしょうし,「ここですぐに覚えなければ数学書が読めない」ということもありません.実際に数学書を1冊手に取り,開いてみてください.そこにはきっと,まだ知らない興味深い理論が書かれているはずですから.

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