数学を学んで得られるものに関する私見
久しぶりにマシュマロ箱(匿名でメッセージを送れるサービスです.龍孫江へのメッセージやご質問はこちらからどうぞ)を覗きましたら,大変なご質問が届いていることに気が付きました.
お悩みの事柄は質問者さんの心中に,大変な時間をかけて奥深くまで根差しているように見受けられます.そのようなお悩みに対して,一朝一夕に思いを巡らせて得た,つまり思い付きに毛が生えた程度の対策をここで披露しても容易に問題の解消に至るとは思えません.しかしながら,ぼく自身長年数学と接する中でぼく個人の数学観も育んできたつもりですし,このご質問に対しても思うことはあります.そこで,恥ずかしながらもまずぼく個人の数学に対する考え方を披露した後,ご質問に対する愚案を述べたいと思います.
「数学の学びで得られるもの」をめぐる議論について
数学を学ぶことで何が得られるのか? という問いかけは,数学をなぜ学ぶのか? なる問いの派生または亜種として,教育論の中で繰り返し語られてきた問題です.そしてその答えとしてしばしば持ち出されるのが(質問者さんもおっしゃっておられるように)数学的思考や論理的思考力と呼ばれるものです.つまり数学を一種の思考のゲームと見做し,数学を学ぶことは思考力を鍛えることと言い換えるわけですね.
個人的には,意見としては賛成だが,問いに対する答えとしては訴求力に薄い可能性があると考えます.この主張の意味するところを実際に体験したことがある層には大変腑に落ちる主張である(ぼくもその層に属しており,そしてぼくも納得し賛成しています)が,これを実感として受け止められるには数学に対するそれなりの習熟度が必要になるように思います.そして問題は,この主張に賛同するような数学に造詣が深い層はそもそも数学を学ぶ意義について疑問を感じることが少ないでしょう.とすると,わかっている者がわかっている者のためにひねり出した理屈だと受け取られる可能性は充分にあり得ると思うのです.おそらく質問者さんもそう思われているからこそ「数学的思考などという抽象的なものでなく」と註文されたのではないでしょうか.
であれば,ぼくは別の答えを出す必要がありますね.もう少し,質問文に沿って考えを巡らせてみます.
「巡り合わせ」の中で生きる
さて,質問者さんの文章を一読して感じたのは「数学ができない」と自称しておられるけれど,そのような印象はあまり感じられないということでした.一大事であろうお悩みをこのように混ぜっ返すのは大変失礼なのを承知で言えば,この文章を筋道立てて書ける人が数学に全く素養がないはずはないと思えたのです.
もちろんご質問を読む限り,質問者さんは数学があまりできず,そしてそのことを大変深刻に受け止められています.しかし,ぼくには質問者さんの現状は巡り合わせの結果であるとしか思えないのです.
こと数学に関する限り,質問者さんは数学を取り巻く環境には恵まれなかったようです.そういう巡り合わせというのは,多かれ少なかれ誰にでもあります.ぼくは幸い数学についての良縁に恵まれ,数学を好きになり,数学を学び,そして今数学をいろいろな形でお話しして楽しんでいます.
一方,悪縁が多かったものもあるはずなのです.あえて探すならスポーツなどでしょうか.しかし,ぼくは諦めがよいほうなので悪縁を嘆くことはせず,一人でのんびり楽しめる水泳と自転車を除き,他のスポーツへは基本的に近づかない方針をとっています.そしてそれで特に不都合は起きていません.苦手なものからは離れられる限り離れてよいとぼくは思います.まあもっとも,例えば書類仕事が苦手だからと言って納税から逃げたりするとお叱りを受けますから,この場合の「離れる」は「人に任せる」と言った意味に考えてください.
現状を勝手に察すると
質問者さんは小学生の頃から数学への苦手意識があったと書かれています.これはちょっと道端の小石に躓いたようなもので,誰にでも起こりえることでしょう.しかし,躓きから立ち上がる間が周囲とのちょっとした差となり,その遅れを周囲から喧しく指摘されているうちにどんどん悪循環にはまっていったようにぼくは読みました.これもまた,あまり起きてほしくないことではありますが,しばしば起きることです.
しかし,質問者さんが自分なりの歩みを進めておられるのも文章の端々に見受けられます.「周りより計算が遅かったり」からは,周囲との差はともかくも着実に学びを進めていたと読み取りましたし,後段ではより直截に「勉強と言えるのかと思える詰め込みをしておらず、自分のペースで勉強できているように感じます」とはっきり諦めずに頑張っておられることをおっしゃっています.
質問者さんにどこかで良い出会いがあったならば,きっと今ほどの苦しみの中には居られなかったでしょう.勝手ながら,ぼくはそう考えています.
数学は何をどこまで学べばよいか?
そんなふうにずっと苦手意識を感じていた数学を,もちろん環境の強制力(例えば受験や専攻分野)の影響もあるでしょうが,それでもずっと学び続けてきたわけですね.これは驚嘆すべき忍耐だと,ぼくは素直に尊敬します.
経済や金融を学問として展開する場合,基礎としてかなり高度な数学が利用されることも仄聞しています.そして正直に申せば,これらの分野に応用される数学分野について,ぼくはほとんど勉強したことがありません.ぼくの数学的興味からはずいぶん離れた分野でもあり,特に強制される仕掛けもありませんでしたから,詳しく触れる機会のないまま来てしまいました.これもまた一種の「巡り合わせ」です.
そして,質問者さんから頂く (1) 何からやればいいのか? (2) どこまでできればいいのか? という質問に対するぼくの答えは
必要なものを必要なだけ学べばよい
に尽きます.続いて先ほど保留した (3) 数学を学ぶことで何が得られるのか? という質問には
数学を学ぶことで,数学の知識が得られる
と答えておきましょう.
つまり,あなたが何を学びたいか,学ぶべきか,そして実際に何を学ぶかは,もうあなた自身にしか決められないのです.他の人からは助言程度はできても,決めるのはあなたであり,あなた以外の誰でもありません.そしてそれは,あなたが必要とする数学の知識によって決まるだろうと考えます.
これを踏まえた上で「そうは言っても限度があるだろう?」という(半ば当然の)疑問について,ぼくなりの助言を差し上げたいと思います.
総ての人に必要な数学の知識とは?
先ほどの答えはあまりにも属人的に過ぎますね.自分でもそう思います.では,総ての人が共通に必要とされる数学の知識,言い換えればこの社会が人々に求める数学的知識はどの程度のものと考えればよいでしょうか?
整数の四則演算はお釣りの計算,割り勘の計算など日常的に使われていますし,誰でもできる方が望ましいでしょう.割合や比の考え方も,例えば速度と走行時間,走行距離の関係などを見ればあった方が良いかもしれません.測量をするうえでは作図の知識が必要ですが,これはどうでしょうか.全員が持っているべき知識でしょうか?
細かく見ていくときりがありませんから,ぼくとしては義務教育課程,つまり中学校までの数学で教わる内容をひとつの基準として採用したいと思います.これはぼくが勝手に引いた仮の基準でしかなく異なる意見もありうるでしょうが,しかし総ての人が学んで持っている(はずの)知識の境界線としては全くナンセンスではないと考えます.
この最低限度の内容を基準とし,人それぞれの経歴や環境に応じてより発展的な数学知識を積み重ねていきます.そして繰り返しになりますが,あなたが何を積み重ねるかはあなたが選ぶのです.
専門分野が数学と縁遠い学問であれば,例えばそこに統計の基礎(データ分析に使います)などを加えるくらいで済むかもしれませんが,分野が金融・経済ですからおそらくもう少し高度な数学も学ぶ必要があるでしょう.どんな数学が必要になるかは,ぼくではなく大学で先生に質問なさってください.
では,どう学ぶか
そんなわけで,もしも義務教育レベル,高校レベルの数学であっても不安を感じるなら,迷わず勉強することをお勧めします.大学生になった今から学び直すのであれば,良い参考書に沿って筋道立てて考えていくことで,往時よりもぐっと早く理解できることと思います.今の質問者さんの理解力なら,参考書を読んで全く分からないことはないでしょう.
また,数学の使われ方・応用のされ方をきちんと書いている本も少なくありません.応用例が先にあればモチベーションが保てるということであれば,そういう本を選んでもいいですね.
さらに参考までに言っておくと,YouTubeにも多くの人が多くの分野の動画を出しています(ぼく自身も含め,ここ数年で質量ともにぐっと増えました).またどうにも独学では困難だとなればオンラインで詳しい人に質問する/指導を仰ぐという選択肢もあります.つまり,今はその気になればやり方はいくらでもあるものです.
とりとめもなく思いつきを重ねてしまいました.推測による部分も多く,また言い洩らした論点もありそうで心配ですが,とりあえず最もお伝えしたかったこと,つまり
必要なものを必要なだけ学べばよい
数学を学ぶことで,数学の知識が得られる
はきちんとお伝えしたので,ここで筆を置きたいと思います.
ご健闘をお祈りしております.メッセージありがとうございました.
(これより下に文章はありません)
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