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賃貸暮らしが好きな私が今まで東京で住んだ部屋③-2 西武柳沢での同棲の失敗

付き合っていたYと西武柳沢の部屋で暮らし始めた話をこちらに書きました。

結論から言うと、この同棲生活はわずか半年で終了しました。

Yとの暮らしが楽しかったのは最初の2~3カ月。あとの3カ月は、絶えず喧嘩しては仲直りしということを繰り返す、天国と地獄を行ったり来たりするような日々でした。

Yと暮らしていたとき、私は精神病を発症しました。この病気にはいまだに悩まされ続けています。そうです。私は所詮、他人と暮らすなんてことはできなかったのです。家族ですらダメだったのですから。

私はYに暴力をふるってしまったのです。Yの手を爪で引っ搔き、血が出ました。その引っ搔き傷は、治ってもずっと白く残りました。今でも残っているでしょう。私は大変なことをしてしまったと思い、自分は精神的におかしいに違いないと思い、Yとともに高田馬場のメンタルクリニックに行きました。そのころ不眠の症状もありました。

病院では「うつ状態」と診断され、通院することになりました。最初は睡眠剤と安定剤を処方されました。が、薬を飲んでも精神状態が回復することはありませんでした。人と暮らすことそのものが私のストレスとなっていたのです。

Yは嘘をつく人でした。私に知られたくないことについて、いともしゃあしゃあと嘘をつきました。たとえば、Yは自分がシナリオセンターに通っているということを私に隠しており、その日は仕事で埼玉に行っていて遅くなるということになっていました。それはあとでわかったことなのですが、私にはなぜYがそんな嘘をつくのか理解できませんでした。

また、これもあとでわかったことなのですが、Yはネットで知り合ったほかの女性に会っていました。Yに言わせると、私との関係が悪化していて誰かに相談したかった、とのことです。でも、YにはたくさんのLの友達がいましたし、相談なら友達にすればいいでしょう。なぜネットで新たな出会いを求めなければならないのか。私との関係が悪化していたから、ほかの人を見つけてあわよくばそっちに乗り換えよう、と思っていたのではないか。

・・・そんな具合に、Yへの不信感が募っていたとき、Yは家に携帯を置きっぱなしにして一晩中連絡をとれない状態のまま朝帰りする、ということをしでかしました。もちろん私は一睡もできませんでした。今頃そのネットで知り合った女と浮気しているんじゃないかと、気が狂いそうでした。真夜中にYの実家やYの友達に泣きながら電話をかけ、Yが帰ってこないこと、携帯を家に置きっぱなしにしていて連絡がとれないことを訴えました。とにかく朝まで待つしかない、と言われました。

長い夜が明け、朝がやってきました。Yはひどく酔っ払って帰ってきました。私はすぐ玄関先へ出向き、とろんとした目で私を見ているYを責めました。会社の人たちと飲んでいた、携帯を家に置き忘れて連絡できなかった、とYは言います。それでも、家に私が待っているのに、連絡もせず朝帰りなんてする?私の精神状態だってわかっているのに。Yは結局、どこまでも自分勝手でした。私の状況などお構いなしなのでした。それに、Yは本当に会社の人と飲んでいただけなのか、携帯を忘れたのもわざとなのではないかと疑心暗鬼になりました。私は興奮状態になっており、目の前にあった傘でYの体をばんばん叩き、顔といわず手といわず引っ掻きました。Yも抵抗しようとしましたが、酔っていて体がうまく動かないようです。私はYのカバンを奪い、3階の廊下から下に放り投げました。傷だらけとなったYは、下にカバンをとりにいき、そのまま戻ってきませんでした。Yがいなくなり、私はやっとゆっくりと眠れました。

Yの実家では大変な騒ぎになっていました。傷だらけで帰ったYを見て両親は仰天し、怒り狂いました。そしてこれ以上私と一緒に暮らさせるわけにはいかないと言い、私の実家にまで連絡して娘が怪我をさせられたと話しました。私の実家の電話番号はYが伝えたのでしょう。Yがなにをしたかよりも、怪我をさせた私のほうが一方的に悪い、というわけです。

母は驚き、東京に飛んできました。ひどい状態の私をいたわりながらも、それでも手を上げたら絶対ダメなんだよ、と言いました。私は子供のように母の前で泣きました。

マンションにYとYの両親がやってきました。私、母、Y、Yの両親で今後の話し合いが行われました。母はYの両親に私のやったことを詫びました。改めてYを見ると、引っ搔き傷が首にはっきり残っており、自分は大変なことをしてしまった、と思いました。Yの母親は私の顔をぎろりと見、「あなたは、綺麗な顔をしているのね」と言いました。私は俯くばかりでした。Yも始終俯いていました。そのとき、母が言いました。

「うちの娘はとんでもないことをしました。申し訳ありません。でも、Yさんは連絡の一本もよこさず朝帰りしたんですよね。Yさんにも原因があったと思います」

母がこのとき私をかばってくれたことを、私は一生忘れないと思います。しかし、Yの両親にしてみれば、大事な娘に引っ搔き傷を負わされたのです。Yの両親は私たちを別れさせようとしていました。そして、具体的にマンションの解約、ということにまで話が及びました。Yはもう、この家に帰ってくることはない。マンションは解約して、Yは実家に戻る。私も別のところに引っ越す。そんな大事なことが、当人同士ではなく、親たちの間で取り決められました。Yを見ると、魂を抜かれたような顔をしていました。そしてすべて親の言うとおりにしようと思っているようでした。私は絶望しました。話し合いが終わり、Yが立ち上がった時、思わずYに抱きつき言いました。「それでいいの?本当にいいの?」Yはなにも言いませんでした。Yの両親が慌てて私たちを引き剝がしました。

そしてYは出て行きました。Yの引っ越しの日、会社から家に戻ると、Yの荷物がすべて取り払われてガランとしていました。ベッドも、ダイニングセットも、洗濯機も、なくなっていました。広々とした部屋で、母が床に座ってチキンラーメンを食べていました。私を心配した母は、この時期ちょくちょく東京に来てくれていました。

引っ越しの際に私が買ったものだけが置いてありました。カーテン、ダブルベッドの布団。布団カバーはYが買ったものなので、カバーが剥ぎ取られ剥き出しの状態になっています。カバーだけを持っていても仕方がないだろうに。剥き出しの状態の布団を見て、涙が止まらなくなりました。あんなに希望に胸をふくらませて二人で暮らしはじめたのに、今私の目の前には置き去られた剥き出しの布団しかありませんでした。結局、この布団は母に5万で買い取ってもらいました。ダブルベッド用の羽毛布団など、一人暮らしには使いません。

私も一刻も早く部屋を決めなければなりませんでした。いつまでもYのいない広い部屋にいたら、心が死んでしまいます。私は即日入居できる部屋を探さなければなりませんでした。


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