『職業遍歴』#11 駆け出しグルメライター②
筆者が過去に経験した「履歴書には書けない仕事(バイト含む)」を振り返るシリーズ第11弾。初めてライターとして書かせていただいたのは、某有名週刊誌でのグルメ記事でした。
11. グルメライター
学生でありながら、たまたま出会った新人編集者にいきなりライターの仕事を頼まれたという話を以下に書いた。
私はグルメ記事の取材のため、横浜の中華街の名店を訪れた。私にとって記念すべき初めての取材だったが、編集のOさんは別件があり同行できず、いきなり私が現場を仕切ることになってしまった。
カメラマンはベテランの方なので、そんなに心配することはなかったが、それでも店内の写真はどこを撮るかなどディレクションしなくてはならない。内心ビクビクしながらも、見栄っ張りの私は持ち前のハッタリをかました。若い女性だからと舐められたらダメだ。
「ここからお店全体の様子がわかるように撮っていただけますか?入り口にあるショーケースも押さえてください」
などと、さもベテラン編集者のように慣れているかのような口ぶりでカメラマンに指示を出す。カメラマンは私の言う通りに撮影する。
取材は、お店の方にテキパキと要点のみを聞いていく。原稿のボリュームは少ないので、あれこれダラダラ聞いても仕方がない。
グルメ記事だと、必ず料理を食べて記事を書いていると思われがちだが、そんなことはない。実際に食べなくとも、お店の方にどういうところにこだわっているかなど聞けば、それなりに原稿など書けてしまうものだ。もちろん、実際に食べた方が、より深い原稿を書けるのは間違いないし、料理の味をレポートするような記事なら、食べるのは絶対条件だろう。しかし私の場合はあくまでお店の取材であって、料理の味がどうこうという記事ではない。
それでも取材後に、よかったら食べていってください、と料理を出されることはよくあった。そういう場合は遠慮なくいただいた。一応、帰りにその料金を払おうとするのだが、請求されたことは一度もない。
有名どころの蕎麦屋とか天ぷら屋とか韓国料理店とか、色々なお店に取材に行った。私とカメラマンだけのこともあれば、Oさんが加わることもあった。しかし、どこでどんな料理を食べたのか、あまり記憶がない。なんかやっぱり仕事でどんなに美味しいものを食べたとしても、どこか緊張しているので、味わえてないのだろう。
週刊誌だったが、もう一人のライターさんと交互にやっていたので、締め切りは隔週。原稿量は少ないので、それほど大変ではなかった。Oさんは仕事に関しても緩めの人で、締め切りを多少過ぎても何か言われることはなかった。
何ヶ月か続けたのだけど、ある時締め切りを守らなかったことがあり、なぜかその時だけOさんから何度も催促の電話がかかってきたのに、出かけていて出られなかった。私が締め切りを放って出かけていたということにOさんは怒ってしまい、それ以来Oさんとの関係がギクシャクするようになり、この仕事も終わってしまった。悪いのは締め切りを守らなかった私なのだが、Oさんのこうした感情的ともいえる対応も当時の私には意味がよくわからなかった。
でもやはり仕事なのだから、締め切りはきっちり守るべきだった。私の中でもどこか甘えがあったのだろう。知り合いと仕事をする上で怖いのは、お互いに甘えが出てしまうところだと思う。知り合いだろうがなんだろうが、仕事は仕事。締め切りは締め切りだ。
結局、Oさんの気分で依頼されたライターの仕事は、Oさんの気分を害して終わってしまった。前の記事で「ライターになりたければ編集者の知り合いを作ること」と書いたが、単なる知り合いではなく、きちんと信頼関係を作らないと、仕事もあっさり切られる。ライターとはそういう仕事だ。
学生時代にこういう経験をして、私はやっぱりフリーのライターというのは他者に振り回されることがあるからあまり安定してないなと思った。やっぱり自分は人に指示されるのではなく指示する方に回りたい。他人に使われるより、自分の裁量で仕事ができた方が楽だ。ちゃんとした出版社に入社し、編集者になろう。・・・とは思ったものの、私が大学を卒業したのは1999年。そう、就職氷河期の真っ只中であった。