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『ソロ戦争』#8 男も女も愛する女の恋愛②

自分の体験も交えながら女性の生き方について考え、結婚もせず子供も産まない「ソロ」としての生き方を模索するシリーズ。前回は私自身の体験を交えながら「男も女も愛する女」についてお話しました。

今回も前回の続きを書いていこうと思います。

40過ぎてシングルに戻った

女性のYへの大失恋のショックから、誘われるまま様々な男性と付き合った私。が、本当に心から愛せる人には巡り合えませんでした。そんなとき、Dという変わった男性に出会い、最初は互いに遊びのつもりだったのに、いつのまにかのめりこんでいきました。

私たちは高円寺でともに暮らし始めました。高円寺のあちこちの店で飲み歩いたり、Dは料理が得意でしたから家で様々な料理を食べながら酒を飲んだり、休日にはちょっと遠出してあちこち出かけたり。毎日がお祭りのようだった。海外旅行にも何度も行きました。韓国、上海、ベトナム、台湾、シンガポール。Dはそれまで仕事以外で海外に行ったことがなく、パスポートも持っていませんでした。旅行好きな私に合わせてくれていたのでしょう。国内では青森とかDの実家の北海道にも行きました。Dは私の実家にも来ました。

が、うまくいっていたのは最初の一年くらいだったと思います。次第に私の例の精神病のせいか、ぶつかることが多くなりました。Yのときもそうでしたが、私は一緒に暮らすと「一心同体」みたいな、自分の分身みたいなものと相手のことを思ってしまうようです。そんなはずないのに。別の人間なのに。精神的に相手に依存してしまう傾向があるのでしょう。私はDを束縛したり、ケンカになると暴れたりしました。一方Dもメンヘラホイホイみたいな気質がありました。私たちは一種の共依存の関係にあったと思います。Dは顔や体中に私によるひっかき傷をかかえていました。警察沙汰になったとき、警察官がDの腕の生々しい傷跡を見て驚いていました。

そんな状態で長く続くはずもなく、私たちの同居は4年で終わりを迎えました。別れたあとは一度も連絡をとりませんでした。私は再び一人暮らしになり、料理を覚え、節約のためお弁当を作るようになりました。やっぱり男性はダメだ、女性と付き合おうとまた二丁目に行き始め、新しいLの友人がたくさんでき、オフ会にも行きまくりました。が、なかなか彼女はできませんでした。

考えてみれば私は、若いころは言い寄られるままに人と付き合っていて、30代になってからはなんでも言うことを聞いてくれるDのような人とずっと一緒にいたため、恋愛のテクニックみたいなものがまるでなかったのです。気になる人をこちらに振り向かせる術とか、恋人を作る術とかが私にはまるでありませんでした。私は恋愛スキルがゼロのまま、気がつくと40を過ぎていました。

Dとの再会と別れ

Dと別れて二年後、高円寺の劇場でばったりDと再会しました。Dは私たちが一緒に住んでいたマンションに一人で住んでいました。私たちはなんとなく飲みに行き、気がついたら私はDの家(かつての私の家)で寝ていました。私たちはまた付き合うことになりました。

復縁してからのDはとてもやさしかったです。どんなことを私が嫌がるか、どんなことで怒るかをよくわかっていたDは、先回りしてそれらを回避しました。私も歳を取って以前よりは穏やかになっていました。Dといるのはラクで快適でした。

自分たちは変わったのだと私たちは思い込んでいました。が、性格ってそう簡単には変わりません。性格の不一致で別れている恋人同士は、復縁しても、結局は似たような理由で別れてしまいます。

そのころコロナで派遣切りに遭い、私は精神的に不安定になっていました。夜、Dのいびきで眠れないと、真夜中に「帰る!」と騒いだりしました。気に入らないことがあると、Dをぽこぽこ叩きました。縦のものを横にするのもDに命じる始末で、まるで女王様のように気ままに振る舞っていました。Dは私に従ってくれていました。が、疲れていたと思います。

そしてDはいなくなりました。




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