2025年の抱負
例年になく内省的な正月を過ごしている。あれこれ考えるうちに、今年やりたいことが見えてきた。単なる思いつきレベルではあるが、一応書き留めておきたいと思う。
1. 小説を書く
もともと大学では文芸専修で、じつは小説家志望だった。20代のころに投稿した小説が新人賞の一次選考を通過した。が、それ以降は一次落ち続き。自分には才能がないと諦め、書くことをやめた。
ここ数年は小説を書きたいという気持ちが起きなかったが、今、書きたいものが浮かんできた。20年近く付かず離れずの距離で一緒にいるDのことを書きたいと思っている。もちろん、個人的な話になるので、noteにアップしたりするつもりはない。Dの話が終わったら、家族の話を書きたいと思う。
私は、私小説しか書けない。そのような小説は需要がないこともわかっている。ただ自分のために書く。けれど、書いたら、どこかの新人賞に応募しようと思っている。受賞を狙うとか、そういうのではなくて、締切があったほうが最後まで書けると思うからだ。
そういえば、作家の山野辺太郎さんが、以前にトークイベントで、「新人賞を受賞する秘訣は、受賞するまで投稿し続けること」と言っていた。山野辺さん自身、20年以上も投稿生活を続け、何度も最終選考まで残り、やっと新人賞を受賞して世の中に出てきた方だ。
「新人賞に毎年応募する」という、20〜30代にかけてやっていたことを、この年で復活させるのもいいのではないか。どうせ人生あと何年続くかわからない。書きたいものがある限り、書いて、応募しようと思う。
2. エッセイを書く
noteでは「職業遍歴。」と「ソロ戦争」というそこそこ長いエッセイ集を書いた。しかし、それは両方とも2021年に書いたもの。もう4年も前だ。ほかにもたまにエッセイを書いたりもしているが、そろそろまた長いエッセイ集を書いてみたくなってきた。
題材は決まっている。ピアノのことだ。ピアノのことは普段からさんざん日記に書いているが、ピアノとの出会いから遡って、最初のピアノの先生のこととか、今まで書いてなかったようなことも思い出して書いてみたい。ピアノを通した人生の話になるといいなと思う。
3. 小説を読む
小説を書くこと同様、小説を真剣に読むこともすっかりやらなくなってしまった。気になる本を図書館で借りて読んではいるが、その量は少ないし、新しいものを読んでいるわけでもない。芥川賞作家のことも、もうよくわからない。
とにかく、「今」の純文学小説を読まなくてはならない。そのためには、文芸誌をまめにチェックする必要がある。当然、芥川賞受賞作などは、しっかり読まなければならない。
純文学は頭を使う。とくに最近の作家の作品は、よくわからないものも多い。けれど、「わからない」ものこそが、大事である。するする読めるエンターテインメント小説ではなく、頭を使う純文学をしっかり読み、読む力を鍛えたい。
4. ピアノの基礎をしっかりやる
去年はグランドピアノを買ったり初めての発表会に出たりしたこともあり、ピアノに多くの時間を割いた。しかし、私にとってピアノは副次的なものである。主要なものは、「書くこと」「読むこと」だ。それは私の生業でもある。今年はピアノをガンガンやるというよりも、「書くこと」「読むこと」に時間を費やしたい。ピアノにかける時間が去年より少なくなったとしても、もちろんしっかり練習はしていくつもりだ。
今年は、基礎をしっかりやりたい。「指の腹で弾く」という癖を直したい。具体的には、ツェルニーに時間をとり、一曲一曲しっかりやっていく。そして、先生の「近現代の曲よりも古典が勉強になります」という言葉を信じ、古典派の曲をしっかりやるつもりだ。今やっているベートーヴェンの『テンペスト』に力を注ぎ、それが終わったら、モーツァルトの変奏曲に挑戦したいと考えている。
5. 家族と対話する
もし家族のことを小説に書くとしたら、それぞれに取材しなければならない。中心となるのは間違いなく父のエピソードとなる。変人である父は、家族のなかで最も小説の登場人物としてふさわしい。父のことをどうしたらしっかり書けるか。自分の思い込みだけで書くのではなく、父本人にも話を聞く必要がある。父は何を考えているのか。父の人生はどのようなものだったのか。どうにかして父をなだめすかし、話を聞けないだろうか。
また、父と母が今後どうなるにせよ、きょうだいとはやっぱり一度今後のことをしっかり話す必要があると思う。煙たがられてもいい。お互い何を考えているのか、話す機会を作れればと思う。
とりあえず、年末に帰省できなかったので、お盆あたりに帰省して父やきょうだいと話せればと思う。今までのようになあなあにするのではなく、帰る前にあらかじめ「今後のことを話したい」などと言っておいたほうがいいかもしれない。