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「好きなモノ」で繋がれる喜び~『あの頃。』2月21日の日記

昨日は23時に寝て、今日は5時に目が覚めた。6時にベッドを出る。洗濯する。シーツも洗う。コーヒーを飲みながら食事の用意。冷蔵庫にあるものを使ってたっぷりの味噌汁を作る。豆腐、にら、しめじ、白菜、玉ねぎ。ご飯を炊く。パルシステムで買った骨抜きさばみりん干しをフライパンで焼く。卵納豆をご飯にかける。すごい栄養満点の食事。朝魚を食べるのが習慣になってきた。いいことだ。

録画した『その女、ジルバ』を観る。お正月、新は福島の実家に帰る。そこで親にアパレルの仕事が出向になって今倉庫で働いていること、夜バーで働いていること、会社を辞めてバーの仕事一本でやっていこうとしていることを一気に打ち明ける。いやいや一気に言い過ぎだろ!田舎の年老いた両親はびっくりしてしまう。新のお母さん、やっぱり私のお母さんに似ている。すぐ感情的になったり、過剰反応したり。言葉もそっくり。でも、娘のことをすごく心配しているんだよね。新が布団に入ったとき、布団がとても温かい。そう、私が実家に帰ったときも、母は寒がりの私のために布団乾燥機をかけてくれて、部屋を暖めてくれて、私が寝るときに手元にゴミ箱とティッシュがないとダメだということを知っていて(鼻が出るから)さりげなくそれらが用意されている。細かいことだけど、親は子供の癖みたいなものを覚えているんだよね。また、震災のときの描き方もよかった。震災時東京にいた新には、家族が実際どのような苦しみを経験したのかわからない。私もそうだった。私は遠くから祈ることしかできなかった。「私になにかできることない?なにか送ってほしいものとかない?」と母に電話で聞いたことがあった。母は、言いにくそうにしながら言った。「それだら、あんだが記事書いてる雑誌ば一部送ってくれるか?紙不足で、こっちにさっぱり回ってこねえんだ」当時私は月刊誌で署名記事を書いていた。母が個人的にその雑誌を毎月買って読んでくれていたことを、そのとき私は初めて知った。大いに恐縮し、すぐに最新号を送った。母が私に頼んだのはそれだけだった。家族がそのときどんな困難に陥り、どんなふうにみんなでそれを乗り越えたのか、私はずいぶんあとになってから知ったのだった。私はそれを自分のなかで引け目に感じていた。だから新の気持ちがわかる。なんだろう、引け目というか、さびしさ。自分も家族の一員のはずなのに、もう東京の人間だから、その場に実際にはいないから、同じ苦しみを背負ったり経験をしたりすることができない。どんどん家族から心理的にも距離が離れていき、いつのまにか家族の一員ではなくなっていく。たまに実家に帰ってもお客さん扱いされ、自分でも「明日東京に『帰る』よ」などと言ってしまう。実家に「行く」なのか「帰る」なのか?というのも、悩ましい。けれど、新は自ら自分の「居場所」を見つけた。ジャックアンドローズがそうだ。年明け、新が出勤すると、みんな一斉に顔をほころばせて「おかえり、アララ!」と言ってくれる。「おかえり」と言ってくれる相手がいること、帰る場所があることって、なんてすばらしいことなんだろう。

映画の予約をする。早稲田松竹でやっている韓国映画二本立てに行こうと思っていたのだけど、調べてみると混んでいるようなのでやめて、Twitterで評判のいい『あの頃。』を観に行くことに。

『あの頃。』は、ふとしたきっかけてハロプロのアイドル松浦亜弥にハマった男・劔の話。あややを観たとき、劔は救われ、元気が出た。アイドルにはそのような力があるのだ。しかもあややは、劔に大切な「仲間」との出会いをもたらしてくれた。あややを推しているうちに、劔は同じくハロプロのアイドルオタクの男たちと出会い、彼らと行動をともにして遅れてきた青春を謳歌する。この男たちがほんとに皆個性的。どうやら無職で風俗の借金があったりするどうしようもない男たち。いわば社会不適合者の集まりなのだが、「アイドル」という共通の趣味がある彼らは、強く結びついていく。職場の仲間でも学校の仲間でもない。そういう場所に囚われず、ただただ「好きなモノ」だけで結びついている関係性。だからこそ自由で、楽しく、自分らしくいられる。休日に会っていても、誰かの部屋で延々推しのビデオを見たり、バカな話で盛り上がったりしている。下ネタも全開な男子会はリアルで、男だけだからこその楽しさが伝わってくる。舞台が大阪なので皆なにかというと「笑い」に持っていこうとする。誰かが誰かの女をとった、ということすら「笑い」にしてしまう。アイドルが好きなだけあって、どうやら皆音楽が好きであるようで、劔がなんとなく言った「バンドやらない?」という言葉に、「俺ドラム叩けるぜ」「じゃあ俺は歌ってやるよ」「バンドのTシャツ作ろうぜ」なんてすぐさま反応して即興バンドができあがる。この行動の速さというのも、男ならではという感じがする。これが女子だと、「どうするこうする」と細かいところで揉めたりするのよね。

学校だったら学年が変わったり、卒業したりするとなんとなく友人と疎遠になってしまう。職場も、転職すれば疎遠になる。けど、大人になってから出会った趣味の友達というのは、「卒業」することがないから、離れることがない──。劔はそう思っていた。けれども、時は流れる。転職して引っ越したり、病気になったり、趣味自体から離れてしまったり。何年も経つなかで、彼らもそれなりに環境が変化していく。互いの環境が変われば、関係も疎遠になる。東京に引っ越してライブハウスで働きはじめた劔は、この仲間たちとSNSで交流は続いているものの、もうあの頃のように皆で会って騒いだりはしていない。そうするうちに仲間にも変化があり──。

『花束みたいな恋をした』と『あの頃。』は、ジャンルは違えど、登場人物が「好きなモノ」で結びついていること、そして「時の流れ」を描いているという意味で、似ている。時の流れは残酷なものかもしれない。けれど必然でもある。人はいつまでも青春時代のなかにいることはできない。いつまでも無職でいることはできない。いつまでも好きなモノばかり追いかけていることはできない。そもそも、好きなモノに対する興味だって、長い年月を経れば失ってしまうものだ。

いい映画を観た。この映画、原作があり、実話をベースにした物語だという。だからあんなにリアルだったんだ。役者も皆すばらしい。とりわけ仲野太賀がすばらしかった。彼の演技、もっともっと見たくなる。イケメンというわけではないのに、見る者を強く惹きつける魅力がある。

映画のあとは伊勢丹の7階にある蕎麦屋へ。働き始めてからというもの気が大きくなり、値段を考えず食べたいものを食べたいだけ注文するようになってしまった。それで瓶ビール、揚げ茄子、桜エビと紅生姜のかき揚げ冷やしそばを頼む。すると、揚げ茄子とそばが一緒に来てしまった。そうだよね。最初につまみを頼んで、食べ終わってからそばを頼まないといけないんだった。ラーメン屋でラーメンと餃子を一緒に頼んだらラーメンのほうが先に来てしまうのと一緒。しくった。最近ずっと一人で食事しているから、基本的に一品しか頼まず、こういう注文の仕方の勘も鈍っていた。そば自体はおいしかったけど、かき揚げは普通。次来たときは違うメニューにしよう。

家に帰って少し休んだあと、髪を染める。お風呂に入る。今日は21時から、日曜のお楽しみ『天国と地獄』を観る。私の考察、当たるかな~。



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