連作短編集『Lの世界~東京編』#8 第八章:早苗
第八章 早苗
二丁目界隈きっての飲兵衛だけが集まる「泥酔の会」のグループLINEを開き、緊急招集をかける。参加した者の顔が画面に現れはじめる。
「ちょっとー、どうしたの、早苗さん」
このグループの幹事である摩耶がすっぴんをさらしている。お風呂上りだったらしい。隣りには彼女のショウもいる。6人のメンバー中自分含め4人が集まったところで、早苗はもっともらしく咳払いをし、発言した。
「みなさまお忙しいところお集まりいただきありがとうございます。じつはわたくし、木下早苗は、本日で50歳となりました」
一斉にどよめきと祝福の声が上がる。
「ありがとうございます。静粛に、静粛に。みなさまにお集まりいただきましたのはほかでもありません。わたくしの決意表明を聞いていただきたいからであります」
かしこまった口調を続ける早苗を、みんなニヤニヤ笑いながら見ている。
「なになに、早苗さん?」
「私は……私は……今度こそ、彼女を作るんだッ!!」
みんなが「おー!」と大袈裟にリアクションし、拍手する。
「そ、それでさ。どうしたら、彼女ってできるの??」
さっきまでのかしこまった調子から一変して、いつものちょっとおどおどした話し方に戻る。早苗はこのグループの最年長なのだが、いつもみんなにいじられているのだ。
「まず、今好きな人とか気になる人はいないの?」
乃亜がてきぱきと聞く。乃亜は今42歳、外資系企業でバリバリ働くキャリアウーマンだ。昨年から彼女のいづみとともに暮らしている。乃亜が話している途中で、いづみも画面に姿を現した。
「そうだなぁ。気になるといえば、会社の後輩が気になってる。40歳くらいなんだけど、美人なんだよね~。彼氏はいるらしいけど、結婚はしてない」
早苗の言葉を遮るように乃亜が口をはさむ。
「論外、論外。ノンケはやめとこう。ほかには?」
乃亜に気圧された早苗がちょっと自信なさげに言う。
「ほかには……ほかには……『K』のママとか。いつもサービスしてくれるし、私が行くと喜んで笑顔で迎えてくれるし」
「客商売なんだから、そんなの当たり前でしょ。まして早苗さんは金払いがいいんだから。上客だよ」
摩耶までなんだか責めるみたいな言い方をしてくる。
「うっっ……そんな言い方しなくても。でもまあ、ママはちょっと高嶺の花だとは思ってたけど」
「ほかにいないの?」
乃亜が若干イライラしたように聞いてくる。乃亜はちょっと短気なところがある。
「ほかには……あ、最近、リアンでたまにやりとりしてる人がいる。会ったことはないけど、いい感じの人で」
「それだ!!」
みんなが口をそろえる。
「どんな人? ていうか誰?」
最近リアンで彼女ができた和歌子が興味津々で聞いてくる。和歌子は48歳で、早苗ともっとも年が近く、個人的にもしょっちゅうやりとりしている仲だ。みんなの前では口数は少なめだけど、二人になるとよくしゃべる。それに呆れるほど飲む。
「えっとね、ミサさんという人。年齢は書いてないけど、40代みたい」
「ミサ……ミサ……アイコンはどんなの?」
「顔のイラスト。ピンクっぽいやつ」
「あ、わかった、この人だ。フォローしよっと」
さっそく和歌子がフォローしたらしい。乃亜も摩耶もミサのアカウントを検索しているようだ。
「へえ。趣味は舞台や映画鑑賞。文化系の人なんだね」
「この人、彼女いるかどうか書いてないね。いないのかな? つぶやきもごくたまにしかしてないし。情報が少なすぎる」
乃亜がまたてきぱきと言う。
「やりとりしてるって言ってたけど、コメントとか? それともメッセージ?」
摩耶が聞く。
「前に映画についてのつぶやきがあって。私も観た映画だったから、面白いですよね、みたいなコメントをして。それ以来たまにコメントやりとりするようになったの。メッセージはしてない」
「うん。コメントをまめにやりとりして、そこからメッセージにいけばいいよ」
和歌子がアドバイスしてくれる。
「でも、なんてメッセージを送れば?」
「たとえば面白そうな映画があったら誘ってみるとか。うーんでもいきなり映画はハードル高いかな。どんな映画が好きなのかもよくわからないしね」
和歌子が考えながら言う。
「この人、おいしいもの食べるのが好き、って書いてるから、一回軽くお茶か食事とかに誘ってみる、というのは?」
乃亜が言う。
「でも、いきなりそんな誘いをするのは失礼じゃない?」
「いや、じつは向こうも誘いを待ってるかもしれないよ。みんな待ち子なんだよ、リアンの人たちは」
和歌子の言葉にみんながうなずく。
結局、早苗はタイミングを見計らってミサにメッセージをして食事かお茶に誘う、ということになった。そしてその結果をみんなに報告しなくてはならない。
「なんだか緊張する~」
早苗が心細そうに言うと、みんなはわかるよ、というふうにうなずいた。
「わかるわかる、最初は緊張するよね。でも、大丈夫だと思う。なんかやさしそうな人だし」
和歌子が元気づけるように言う。
「うんうん。うまくいったら祝勝会だね。まあ、ダメだったらダメだったで、残念会しようよ、みんなで」
摩耶が幹事っぽく言う。
「そうだね。肩ひじ張らず、気楽な感じで誘ったほうがいいよ。早苗さん、固いとこあるから」
乃亜があけすけに言う。
「そうそう。あくまで気軽にね。重い感じで来られるとちょっと引いちゃうから」
また和歌子がアドバイスしてくれる。
「みんなありがとう~。うん、なんとかやってみる」
みんなが口々に頑張って、と激励してくれる。「やるぞ~!」と早苗は拳を突き上げる。
「いや、だからそんな気合がっつり入れなくていいんだって」
乃亜が突っ込む。えへへ、と笑って返す。
散会となり、一人二人と画面から消えていく。人のいなくなったスマホの画面を眺める。一人の部屋がやけにしーんとしていた。
***
早苗は大手の出版社で書籍の編集をしている。もともとは雑誌の編集部にいたのだが、出版不況でその雑誌が休刊になり、書籍部に異動してきたのだった。雑誌をやっていたころは毎日夜遅くまで働いていたけれど、書籍部に異動してから少しだけ早く帰れるようになった。とはいえ作家の都合で土日も関係なく呼び出されたり資料集めやらに奔走しなければならず、プライベートが充実しているとは到底言えなかった。
最後に女性と付き合ったのは、もう5年も前になる。この5年の間、仕事こそ忙しいが、友達にも恵まれ、そこそこ楽しく生きてきたと思う。パートナーがほしいという気持ちはありつつ、年齢を考えると具体的な行動に移せない。もう一生一人なんだろうな、とうっすら感じていた。けれど、自分には大事な仕事があるし、L友たちとの交流もある。仕事帰りには行きつけの二丁目のバーで飲んで発散することもできる。これはこれでいいんじゃないかと思っていた。
しかし最近、親友といってもいいほど仲の良い和歌子に彼女ができたことで、焦りを感じはじめていた。以前はしょっちゅう和歌子を誘って二丁目で飲み歩いていたが、彼女ができた和歌子は二丁目に行かなくなってしまった。和歌子から彼女とのノロケ話を聞かされるたび、羨ましく思えてくる。そして和歌子はいつもこう言って早苗を叱咤激励するのだ。
「私だって48で彼女できたんだから、早苗さんだってできるよ、絶対」
早苗はリアンを開き、ミサのページに飛ぶ。最新のつぶやきがアップされていた。
「ガランとした部屋で一人、ハンバーグを食す。雨の音だけが聞こえてくる。」
ミサのつぶやきはいつもちょっとポエムっぽい。しかし今回はいつになく孤独を感じさせる内容であるのが気になった。いつものようになにかコメントをつけようとコメント欄を開く。が、ふと思いついてコメントではなくメッセージを立ち上げた。よかったらおいしいお肉でも一緒に食べませんか。気がつくとそんなメッセージを送信していた。
「わ、送っちゃった! 送っちゃったよ!」
一人の部屋で早苗は悶絶した。返信を何度も確認したが、その日のうちには返ってこなかった。
***
早苗は吉祥寺にある熟成肉の店でミサを待っていた。メッセージのやりとりでミサが吉祥寺の近くに住んでいることを知り、やはり吉祥寺の近くに住んでいる和歌子に相談してお店を決めた。若者に受けそうなカジュアルでおしゃれな内装で、早苗はどこか落ち着かない気分だった。ミサにしても40代なのだし、もっとシックなお店のほうがよかっただろうか。でも、初対面でいきなりシックな店というのもいかにも狙ってますみたいで恥ずかしいし──。などといろいろ考えをめぐらせていると、「あの、もしかして、早苗さんですか?」と女性が目の前に立った。
早苗は緊張して思わず立ち上がってお辞儀した。女性はふんわりと笑った。
ビンゴ! 早苗は心の中でガッツポーズをした。ミサは優雅な動きで席につき、早苗を見てにこにこ笑う。その日本的な整った顔立ち、やさしく柔和な表情、優雅な身のこなしは、早苗の好きな石田ゆり子を彷彿させる。
一方で自分はどうか。50歳でボイの自分は、決してミサから見て魅力的には映らないだろう。とくにおしゃれでもなく、イケてる見た目なわけでもなく、気の利いた会話ができるわけでもない。急速に気持ちが落ち込んだが、それをミサに悟られないよう、にこにこと振舞う。
ミサはてきぱきと料理を決めていく。優柔不断なところのある早苗は、メニュー選びをミサに任せることにした。本当はこういうことも、自分のほうがやらないといけないのに……。
ミサは細い体型にもかかわらず、おいしそうによく食べる。おいしい、おいしい、と熟成肉を口に運ぶミサを見て、早苗はホッとしていた。このお店を選んでよかった。和歌子に感謝だ。
「早苗さんって、本名なんですか?」
「あ、うん、そうだよ。本名でやってる人って珍しいみたいだけどね。ミサさんは、本名じゃないよね?」
「はい。本名は違います」
一瞬本名を聞きそうになったが、さすがに初対面でそれはまずいだろう。リアンで本名を名乗っている人なんて少数派だ。
「朝美といいます。美しい朝の朝美」
朝美が自分から本名を教えてくれた。なるほど、アサミ、だからミサ、か。
「早苗さんは出版社で働いているんですよね。私も昔、出版社にいたことあるんです。今はWebの会社に移ったけど」
「あ、そうなんだ。それで本読むのが好きなんだ?」
「はい。早苗さんとは本とか映画の趣味が合いますよね」
朝美が話を振ってくれるのと、赤ワインの酔いが回ってきたことで、早苗の緊張はだんだんほぐれてきた。二人はしばらく映画や本や仕事の話をした。朝美の知識は豊富で、早苗は会話に手応えを感じていた。ほかの友達とはいつも飲みに行ってもバカ話をするばかりで、こんな知的な会話などまずしない。
あっという間に二時間が経ち、料理もワインもなくなりかけていた。こういう場合は二軒目に誘っていいのだろうか、それともここでなにか追加オーダーをするべきだろうか、と早苗は逡巡する。少しの間沈黙が流れた。いけない。黙ったままでいたら、「じゃあ今日はこの辺で」なんて言われて帰ってしまうかもしれない。
「あの、よかったらもっと飲みませんか? ここで追加で頼んでもいいし、ほかのお店に移ってもいいし」
おどおどと言う。とは言ってもほかのお店なんて知らなかったのだが。朝美が顔を輝かせ、「ワインをグラスで頼みましょうか」と言ってメニューを手に取ったので、早苗はホッとした。
グラスワインの白とチーズを頼む。朝美との会話を楽しんだ早苗だが、肝心のことが聞き出せていないことにじりじりしていた。恋愛の話だ。朝美には今、彼女がいるのか? いないとしたら、過去にどんな人と付き合っていたのか? 聞きたいことはたくさんあったが、無遠慮に聞くのもためらわれる。そこで早苗は自分の話をすることにした。
「私の友達が最近リアンで彼女できたんだよね。私、リアンをはじめて結構長いんだけど、なかなかできなくて」
「どのくらいいないんですか?」
「もう5年になるかな」
朝美がうなずき、言った。
「じつは私も、最近別れちゃって」
それは、早苗の期待通りの応えだった。早苗は目で続きを促す。
「一回りも年下の人だったんです。舞台役者をやっている人で、私、彼女の舞台を観て一目惚れしちゃって」
「そうなんだ。すごく魅力的な人だったんだね」
「はい。一緒に住んでました。でも、いろいろと問題があって」
「別れたのはいつ?」
「つい先月。向こうが家を出ていきました。もともと私の家に彼女が転がり込んできた形だったので」
「それは大変だったね。もしかして、まだ未練があったりする?」
「未練とかではないんですけど、やっぱりまだ辛いというか、悲しい気持ちが消えなくて」
「そう簡単には消えないよね。一緒に住んでたりすると思い出も多いし」
早苗の言葉に朝美がうんうんとうなずく。なるほど、それで朝美は失恋の傷をいやしてくれるような新たな出会いを探しているというわけか。そしてそこに現れたのが、この自分──。
「早苗さんは、今気になってる人とか、いないんですか?」
朝美が笑って訊ねる。気になってる人とはまさに朝美のことなのだが、それをこのタイミングで告げるのは微妙だと思った。早苗はとぼけて言った。
「うーん、どうかな。いるといえばいるし、いないといえばいない、という感じかな」
「あはは、微妙なところなんですね。でも私も、そんな感じかなあ」
おや、と早苗は話の続きを待つ。
「最近オフ会で年下の人と知り合って。なんかすごく歌が上手な人だったんです。その人の歌を聴いただけなのに、妙に心に残っていて」
朝美の言葉を聞けば聞くほど、失望が広がっていった。なんだ、いるんじゃん。しかもまた年下か。
「ふうん。朝美さんは、年下が好きなの?」
「とくに年下好きというわけじゃないんですけど。好かれるのは年下が多いです。なんかしっかりしてると思われるんでしょうね」
確かに朝美は自立した大人の女性といった感じだ。そういう女性が早苗のタイプであったのだが。
「その人のこと、気になってるんだ?」
「でも、どうなるかはわからないです。すごく人気がある人みたいで。私なんかじゃダメかも」
「朝美さんなら大丈夫だよ。だって美人だし頭いいし性格もいいし、完璧じゃん」
早苗は笑顔を作った。朝美は美しく笑ってありがとう、と言った。二人は会計を済ませた。早苗は自分が誘ったんだから自分が全額払うと主張したが、朝美が譲らず割り勘にした。
「今日はありがとうございました。楽しかったです。また今度お話できたらうれしいです!」
家に着いてから、朝美からそんなメッセージが届いた。早苗もそれに「こちらこそありがとう! ぜひぜひまた~」と返す。が、もう朝美に会うことはないだろう、と思っていた。
***
「なにその女、まじひどすぎる。早苗さんの気持ち、わかってたんじゃないの?」
和歌子が憤慨して言う。早苗が朝美と会った翌日に事の経緯をいつものLINEグループに送ったら、その日の夜に集まって飲もうということになった。急だったので和歌子と乃亜だけしか来れず、三人で新宿三丁目の居酒屋で管を巻いていた。
「もう次いこ、次。ほかにいい人いないの?」
せっかちな乃亜はもう次のことを考えている。
「でもすごく綺麗な人だったんだよね。話題も豊富で、話も合ったし。食事しながら話してるだけで、時間があっという間に過ぎていった。ここまで話が合う人ってそうそういないなって」
「そういう魅力的な人は、競争率高いよ。それに年下好きなんでしょ? 早苗さんとは合わないよ」
乃亜がドライに言う。
「うん。わかってる。もう会うこともないと思う。わかってるんだけどさ~……」
和歌子が憐れむように早苗を見る。
「辛いよね……。なまじ期待させられたぶん、ショックが大きいというか。でも、一度会っただけで見極められたなら、逆によかったんじゃない? 変に長引くより」
和歌子の言葉はいつも早苗を励ましてくれる。
「そうだね、ほんとにそうだね。ああもう、今日は飲んじゃう!」
そうだそうだ、飲もう飲もう、とみんなで勢いづく。
乃亜がリアンを検索する。
「40代のフリー……うん、結構いると思うよ、探せば。諦めるのは早いって」
「ありがとう。私は諦めないよ。きっとどこかに私に合った女がいるはずだもん」
「その通りだよ、早苗さん。ま、今日は飲もう!」
和歌子がグイとビールを飲み干す。それにつられるように早苗もジョッキを空け、次は芋焼酎のロックを頼んだ。乃亜がメニューを見て、日本酒を頼んでいる。料理が次々と運ばれてくる。和歌子が共通の知り合いの噂話をはじめる。乃亜がその人の物まねをする。ワハハ、と笑いながら、どんどんグラスが空いていく。今夜は長い夜になりそうだ。