夢、空の上には萩が揺れているらしい
私のキャパの狭さじゃ、子ども一人育てるのもいっぱいいっぱいみたいだ。
初めて住む街、キリのない授乳、コロナ、寝不足、夜勤の夫、気がつかれない配慮、理想と現実の乖離。些細なことが積もりに積もって、夫にキレ散らかした。その、些細なことが積もりに積もっていたことに気がついたのは、怒鳴り足りず止めどなく湧き出る怒りに思いっきり指を任せて、スクロールしないと読めない長文のLINEを3通送ってからだった。そういえばもうずいぶんと夫と義両親以外と会っていないし、立ち上がる時いつも目眩がしていた。そういえば、だけど。
その夜は夫に、まだ乳児と幼児の間くらいの息子を任せて久しぶりに別室で一人で寝た。泣き声が止んだのは日付が変わる直前で、私はそれを確認してようやく眠った。夢を見た。
空いっぱいに白い小さな花が無数に咲いた、水中で揺れるタコの卵のような、あるいは群生するススキのような植物がフワリフワリと揺れていた。空中を漂っているらしい私の意識は妙にはっきりとして、これは何だろうと思う。すると「これは萩だよ」とたくさんの可愛い声が教えてくれた。ああ、萩っていう植物、こんな感じなんだ。なんだかうれしくなって、心地よくて、白くキラキラした萩に埋もれるように上へ上へと登っていく。ふうわり、ふわりん。そこはなんの憂いもない世界だった。
あ、そろそろ帰らなきゃ。
下へ。
眼下には雲海が広がっていた。おや、そういう感じか。ずいぶん高くまで来ちゃったんだな。大気圏内?突破?ちょっと怖いけど、でも下りるしかない、なぜかわからないけど。えいや。
びゅーーーーん
雲の層は思ったより厚い
地上が見えてきた
近づいてくる
あっせめて陸上がいいな、あとちょっとズレてくれ
このままだと海の中に
着地するうーーーーー
バウンド?
起きた。こんなにはっきりと夢を覚えていたのは久しぶりだったから、スマホで萩を調べた。出てきた写真は夢の中で見た形状とだいたい合っている。花言葉は内気、思案、柔軟な精神。って、9月6日の誕生花白萩!?…ま?出来過ぎだろ、今日だよ。そうそうそう、こんな感じだよ、こんもりたっぷりモサーッと茂り、白くうっすら発光しているような、小ちゃい虫がたくさん集っていそうな。萩教絶対あるよ布教しよ。魂が慰められますよ、みなさん。
朝日が登っても、夫に対してなのかもはや世界へのかもしれない怒りの炎は燻り続けなかなか消える気配がない。私は息子の朝ごはんだけ用意して、少しだけ家を抜け出すことにする。この夏履き続けたスポーツサンダルは笑っちゃうくらいパックリと底がめくれていた。何を履こうかちょっと考えて、久しぶりに華奢なミュールをそっと土間に置いた。
9月の朝の薄ぼんやりとした暑さと、慢性的な寝不足でボヤけた視界の隅で今まで気にも留めなかった小さな紫の花が揺れた。パン屋の前に生えていたのはすわ萩かと思ったけど、たぶん違う。よく見たら全然ちゃうやんけ。ミュールの細い皮が、スポサンに甘やかされた柔らかな足の甲を擦る。靴擦れってこんな感じだったっけ。