復讐への執着【リベンジ・アディクション】
【リベンジ・アディクション】というイベントに参加しました。告知の見出しコピーには【ひどい姿を見せて自分を傷つけた人に『あなたが悪い』と思い知らせたい/あるいは復讐したい】と記されています。此処での「アディクション」は「依存」ではなく「執着」というニュアンスで使われているようです。主催者は大阪ダルクの倉田めばさん、作家の赤坂真理さんでした。
参加してみようと思った理由は、私自身がリベンジ・アディクションの塊だった過去があるので、その当時の自分を振り返りながら現在の自分を内観してみたかったのです。
復讐に駆り立てられる経緯には「自分を傷つけた相手」がいて、極限まで苦しんだという背景があります。相手は親だったりパートナーだったり、あるいは社会だったりと様々です。例としては、薬物やアルコールに溺れる/身体を売る/犯罪に手を染めるなど極端な行動をとって心や身体をボロボロにして、その姿を見せつける事で「あなたが悪い」という事を思い知らせたい。しかし、復讐したところで心がラクになるわけでもなく、何かが解決するわけでもなく、むしろ更に自分自身を苦しめたり、関係ない人まで巻き込んだりという悪循環に陥る事になる...。
イベントは淡々と、主催者や参加者のリベンジ・アディクション体験が語られたりしつつ「結局、それも表現なんだよね」という所に着地したように思えます。あとは参加者それぞれの思いと選択に委ねられるという感じがしました。
何より、こんな事をネタにしてイベントとして成立させてしまう主催者の感受性に私は反応したような気がします。
私の場合は、17歳で親の借金を肩代わりする生活が始まり、10年かけて完済したものの、そこから自分の道を模索しようとしても精魂尽き果ててしまい、さらに社会不適合/発達障害/LGBTという個人的な問題もあり、どこにも行き場が無かったので、大手の生命保険会社を3社も掛け持ちして自分に2億円の保険を掛け、親に保険金が入るようにしたうえで自殺する計画を立てました。(当時は、死因が自殺でも加入後一年以上経っていれば保険金がおりたのです)私を苦しめた親に対する当てつけとして【命と引き換えに入ってきたカネで一生、贅沢して頂戴。】と、歪んだ復讐心に駆り立てられていました。漫画家・山田花子の「自殺直前日記」を読みながら毎日独りで死への意識を育みました。結果的には恐怖に負けて、団地の屋上から飛び降りる事は出来ませんでした。
自殺する勇気は無い。社会には居場所が無い。だったら自分で仕事を生み出して自分で仕事を取って自分のフィールドでやってゆくしかない、という所からフリーランスで女性向け風俗の活動を始めた事で、流れが一気に変わりました。私のもつエネルギーを必要としてくれるお客さん達に救われた、という事になります。人生で初めて人とまともにコミュニケーションを交わす経験をし、働き方は雇われる以外にもあるという事を体現し、活動はネイルやエステや占星術へと展開してゆき、それも浮き沈みがあって介護/福祉の分野にも辿り着いたり、結果的には予定よりも長生きして現在に至ります。
私のリベンジ・アディクションは計画倒れの後、ゆっくりと無意識に「何か面白い事を生み出せないか」「人生に深みをもらたすものは何処にあるか」と探求するエネルギーに生まれ変わったのです。