読書レビュー『守教 上下』なぜ生きるのかがわからないように、なぜ信仰を守るのかもわからない。しかし、そこには崇高なものを感じる。
なぜ生きるのかがわからないように、信じるのもかもわからない。
なぜ、産まれてきたのか。
なぜ、生きるのか。
いかに生きるのか。
この問に答えがないとわかっているのに、答えを求めてしまう。
それと同じように、 なぜ宗教を信じるのか。
神も仏も見えないのに、見えないものを信じる力。
不思議なことに信じるからこそ生まれてくる力もある。
しかし、そんなこと関係なく、眼の前のことを処理していくだけで、案外忙しく、日々過ぎていく。
特別なことが何もない日常も、特別な日も関係なく時間の経過とともに過ぎていく。
今僕は、54歳。子育てが終わった。
子育て中は、悩みなく過ごしていた。悩んでいる隙などないほど忙しかった。
もちろん、日々の仕事や子供のことで考え悩む。しかし、なぜ生きるのか、なぜ信じるのかなど、悩んだことはなかったし、考えたこともなかった。
現在、長寿社会を実現した日本では、子育てが終わった後も30年も50年も生きる。
人生で一番忙しく、身体も心も元気で頭も最高に活動する時間が終わっても人生は続いていく。
その、これから始まる人生の長い後半の時間を前に僕は立ち止まり、呆然と立ち尽くす。
これから僕に始まる時間は、いったい何のための時間なのか。
その時間を生きる意味とは何か。
答えが無いとわかっているけれど、この本『守教』を読めば、なんとなく、それでもいいと思った。
答えを求めずに生きるのもありかなと思った。
戦国時代から明治までの約300年にもなる長い時間、弾圧に耐えながら禁教であるキリスト教を守り続けた人たち。
なぜ、その厳しい弾圧に耐えるのか。
なぜ信仰を守るのか。
仏教に鞍替えすれば普通に生きられるのに。
でも、守り続ける。
何世代にも渡り守り続ける。
その人達の生き方を読むことで、なぜ生きるのか、なぜ信仰を守るのか、答えではない何かを掴めた。
一つのことに向き合い日々、丁寧に、一生懸命に前を向き生きる。
それは自分を律し、人生を美しく気高いものにする。
自分もそう有りたいと思った。
良い読書体験でした。
守教 上巻のレビューです。
信仰を守る
隠れキリシタンの話。
隠れキリシタンだと遠藤周作さんの『沈黙』や『女の一生』を思い出すけれど、流石にそこを超えるのは難しいだろうと思いながら読み始めました。
舞台は、戦国時代末期。豊臣政権下で始まるキリスト教の禁止と弾圧。それに伴う教会の破壊と殉教。それでも、信仰をやめない人たち。その人達の物語。
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