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女性よ自立しなさい。 自分の足で立ちなさい。 -Rina side-
私の人生の1番の目標は" 愛 "だ。
自分にとって1番の幸せな愛がどういうものなのかはまだわからない。
というか一生答えは出ないものだと思う。
小さい頃から仕事とか趣味とかでやりたいことはずっとなかったけど、「幸せな家庭を築く」ということだけはずっと念頭にあった。
そして今の時点で、そのために自分に必要だと考えているのは、「自立」である。
まず私の愛の形として、人生のパートナーと幸せに生きること。そしてもしお互いが子どもが欲しいと思ったら、子どもがいる幸せな家庭を築くこと。
これが私の考えている愛の形だ。
まぁ、一般的な考えである。
小さい頃から親同士、嫁姑問題がある中で育ってきた私は、多分普通の人よりも「幸せな家庭」に対して真剣に悩んでいる方だと思う。
というより、幸せな家庭で育っていないという過去があるから、「幸せな家庭を築けば自分のは幸せになれる」というマインドになっているのだろう。
そして私が思う幸せな家庭を築くための要素の1つとして、"お互いが「自立」していることが大事だ"という結論に至ったわけである。
女性よ自立しなさい。 自分の足で立ちなさい。 - フローレンス・ナイチンゲール -
そして今回のテーマがこれ。
"女性よ"という部分がキーワードだ。
昔は女性が自立するのは難しい時代だったし、今でもまだその問題は多い。
私の尊敬している人はこう言っていた。
あなたがいなくても生きていけるけど、
どうせ生きるならふたりで、
という関係だけは憧れてきた。
と。
私も激しく同感した。
私は、恋愛はお互いが自立していて初めて自由な恋愛ができると考えている。
だから今、「自由に恋愛をするために自立しようとしている」と言っても過言ではないくらい。
やっぱり生物学上女性は愛の巣を作って家庭を守って、男性は狩りに行って戦う構造になっている。
だから私も本能的に家庭をつくって巣をつくりたい思いが強い。
現代において女性が戦いに出ても生き残れる時代になったし、むしろ戦ってた方が幸せになれる女性がいるのも確かだろう。
私は頭では「戦っていたい」、本能では「幸せな家庭をつくって根をはりたい」という葛藤がある。
どういう形でもその人が幸せならそれが答えだ。
だから自分の幸せをつくっていくのって難しい。
でも今の私には、経済的、精神的に自立した大人を目指すことが自分の幸せへの道だと考えて行動している。
実際寂しがり屋だった頃にしてきた恋愛より、大人になって自立できてきてからする恋愛の方が幸せな恋愛ができている。
ということで精神的な自立は結構順調にできてきているとする。
あとは経済的な自立がテーマだ!
一応今でも経済的に自立してはいるけど、ずっと歳をとってからも経済的に自立するためには、今のままでは厳しいのだ。
労働収入という問題。
例えば今アルバイトでも生きてはいける。ただ歳をとったときに同じ量の労働で同じ収入しか得られない。
自分の幸せを追求する上で真剣に考えないといけない部分になってくる。
働きたくないから結婚をするという選択肢もある。
ただ私は"パートナーがいなくても幸せ"であることを条件としているから、その選択肢は消える。
そして自分に経済力がなくて自分の自由が制限されるのも嫌である。
そして子どもができたとき。
子どもは自由にさせてあげたいからやっぱりお金は大事だし、離婚したとき親権を取れるか、シングルマザーとして子どもと自分を幸せにできるくらいの経済力があるかという基準で考えている。
だから色んなことを考えまくっているのだけど、最近の私は自分の"幸せのあり方"が前よりも明確になってきた。
やりたいことを見つけたわけではない。
でも今まで色々な経験、挑戦、葛藤をしてきて、上記で述べたような譲れない条件とか、やりたくないことなどが明確になってきた結果、新たな私の道が自然と浮かび上がってきた。
やっぱり誰かに頼りたくなる時はたくさんある。
でも自分の足で立たなければ、自分の人生を生きれないのだ。
女性がみんな経済的、精神的に自立しなければならないわけではない。
人にはそれぞれの幸せの形があるから。
ただ"自分の人生"だけは、みんな自立しなければならない。
どれだけ最愛のパートナー、子どもがいたとしても、人は"自分の人生"を生きなければ幸せになれないのだから。