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恋することを辞めたつまらない私へ

恋をしなくってもう何年たっただろう。
少なくとも5年前までは、私の生きる意味は人を愛する事だったし、好きな人と会えないなら生きている意味なんてない、そう思っていた。

自他共に認める、恋愛至上主義者だった私。
セックス・アンド・ザシティーを崇拝していたし、そこになんの疑問も抱いてなかった。人生は、人を愛することに意味がある。

だけど、その考えは、大好きな人を失った大失恋と共に改められた。
この人と出会う為に生まれてきた、そう思っていた人を失ったのだ。
私は、なんの為に生きれば良いのか分からなくなってしまった。

とはいえ、人生はもちろん、人を愛するためだけにある訳ではない。
中学生、いや幼稚園の頃から、好きな人のことしか考えない人生を歩んできた私には、やらなければならない事が沢山あった。

自分自身の人生を生きること。
これについては、過去の記事を読んでみてほしいです。

上の記事に書いたように、失恋をきっかけに、
私は人生で初めて、自分自身に向き合うことが出来た。
自分を知り、本当に自分が求めていた事に出会うことが出来たのだ。

深い気づきの先には、平穏な心があった。
自分自身に向き合うことに慣れてから、人と本気でぶつかる事も少なくなった。
自分の心を見つめて自問自答すると、ほとんどが自己完結できてしまい、人に期待をしなくなる。

期待してその通りにならなくても、傷つくことすらしなくなった。
傷つくのはおかしい。だって全ては自分自身が望んだことなののだから。
相手は、私に何かを気付かせようとしてくれている登場人物に過ぎないのだから。

そんな風にしていると、心は穏やかだったし、なにか新し気づきがあると、心が震えて感動することもしょっちゅうある。嫌なことはなるべく辞めて、直感に従って生きると、宇宙に導かれている感覚を味わうことだって少なくない。

だけど不思議と、
恋をしなくなってから、人生の他の場面でも、我を忘れることが無くなった。

『我を忘れる』というと、良い意味だけじゃないかもしれないけど、
私は自分が、我を忘れている瞬間が好きだった。
それに、宇宙と繋がっている時って我を失っているもんじゃないのか?
それでこそ、って感じ。

恋をしているとき、誰もが我を忘れる。
思い切って言ってしまえば、我を失っていない恋など、本当の恋じゃないだろう。
私が恋に夢中になっていた時、傷つかない恋もあるよ、穏やかな恋もあるんだよ、みたいな事を言う人が居たけど、そんなのは本当の恋をした事がない人の戯言だ。

恋は、恋をしている間中、24時間、四六時中、我を忘れているのに、まるでそんな事がない様に振る舞い生活をすることに大きな意味があると思う。
だって、それが最も難しいことだから。

私みたいに、恋を、生活、人生の中心に鎮座させ、同じことを相手に求めるのは、
その恋を壊すことを意味する。
多くのひとが、私と同じ様に大切な恋を壊し、大切な人を失ったのではないだろうか。

だけど私は最近思う。
本物の恋は、失ってこそ意味があるのではないか?
または実らないことで。

我を忘れるほどに恋をして、その恋が叶わないからこそ、私たちは自分一人で生きることの意味に出会う。2人では絶対に出会うことが出来ない、なにか。
その、なにか、に出会う為に恋をしているのでは。

そんなことも知らずに、恋に夢中になって我を忘れている人を嘲笑う人がいる。
これは本当にいるよね、恋を知らない可愛そうな人。
自分だけは、恋をしても絶対にそうならない!と信じて高い所から分かった振りをしている人。

私はそんな人を、本当に可愛そうだと思う。

だけど最近は、そんな奴と自分が大して変わらないなーと思う。
恋をしなくなって、我を失う事もなくなり、寂しさも感じない私はマッチングアプリをやったりもしない。

マッチングアプリで出会いを探したり、恋に悩んでいる人をみると、
私も恋に夢中になっていた事があったな、なんてちょっと高い位置から見ている事に気がつく。いや結構まえから気がついていた。

私がその昔、恋に夢中になっていた時、その相手には彼女が居た。
その後、彼女とは別れたけど、1年以上浮気相手だったことがある。
晴れて自分が彼女になって、浮気相手だったことも忘れかけていたある日、テレビに熊田曜子が出ていて、なんか恋愛の話をしていたんだよね。確か彼女も浮気相手の立場だったんだと思う。
そのテレビを観ていた私を見て、彼が「すごい見下した顔をしてる」と言った。そんな顔している自分にすごくショックを受けたのを覚えている。

なんか今の私はそれと似た顔をしている気がする。
もちろん、見下してる訳ないけど、だけど恋をしている人を見て、自分とはもう遠い話の気がしているのは確かだ。私はもうそのフェーズは通りすぎたと。

だけど、本当にそうだろうか?
その時期は、通り過ぎることなど出来るのだろうか?
一度は通り過ぎたとしても、また通らなければならない道なのではないか?

少なくとも、
我を忘れることを忘れた、38歳で恋人が居ない私は、その道をもう一度通るべきだと思う。


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かなみん
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