私が世界でただ一人愛していた彼が、 ついに結婚した。 ついに、と言ったのは、 彼が結婚するかもしれない、と想定して生きていたから。いつ結婚しても大丈夫なように覚悟はしていたのだ。なるべく傷が浅くて済むように。 気がつけば、彼と出会って12年過ぎた。 別れてからはもうすぐ7年が経とうとしている。 一緒に居た時間より、別れてからの時間のが長くなってしまったのだ。 これは自分でも何故だか分からないんだけど、 別れて7年経った今でも、まるで昨日出会ったかの様に彼が好きなのである
恋をしなくってもう何年たっただろう。 少なくとも5年前までは、私の生きる意味は人を愛する事だったし、好きな人と会えないなら生きている意味なんてない、そう思っていた。 自他共に認める、恋愛至上主義者だった私。 セックス・アンド・ザシティーを崇拝していたし、そこになんの疑問も抱いてなかった。人生は、人を愛することに意味がある。 だけど、その考えは、大好きな人を失った大失恋と共に改められた。 この人と出会う為に生まれてきた、そう思っていた人を失ったのだ。 私は、なんの為に生きれ
先日の五常講師の会で、 また新しい出会いがあった。 私は出会うべき人と出会ったとき、1番の幸せを感じます。幸運なことに、その瞬間は今までの人生で何度か訪れて、その度に私は思う。 それは、出会うべき人は『好き』を追い求めた先にしか居ない、という事。 その『好き』は本当に好きな事。 消去法で最後に残ったものや、◯◯するべき、得意だから、周りに進められたから、とか妥協したものではない。 むしろ誰に反対されても辞められない事。 それはゲームとか、旅行とか、絵をかくとか、 やっ
私は長女です。 そして私の母も長女です。笑 生粋の長女気質。 恋愛が上手く行かない理由。 それは自分のせいだと思っていました。 つい尽くし過ぎてしまうから? 男をダメにする的な。 人からもそんな風に言われたし、 自分でも確かにそうだな、と思っていた。 では何故尽くしてしまうのか? ここに『長女』の気質が関係しているのでは⁉️ という事に気が付きました。 そもそも『尽くす』 という表現が間違っていた。 尽くすってなんか好きでやっているニュアンスありません? 多分、『役
会えなくなってどのくらい経つのでしょう? 出した手紙は今朝ポストに舞い戻ることはなく、InstagramのDMは24時間以内にちゃんと返ってくる。 君にはもう2年会っていないけど、私は狂おしいほど君に会いたい訳ではなく、人生で1番充実した日々を過ごしている。 君に会う事以外特に重要に思える事がなく生きていた私にとって、それは本当に本当に幸せな事なのだ。 私は、君といる間自分の人生を止めていた。 なんとか君の人生の中に自分の人生を見出そうとしていた。君の人生の中に、なんとか
私が五常に出会えたのは、疑いそうになりながらも、 自分自身を信じることを諦めなかったからだと思います。 それまで、何よりも恋愛を優先してきた人生でした。 小さい頃からの夢や、なりたい職業があったけど、それらは恋愛に比べたらいつも優先順位は低かった。 気がつくと、私は常に自分以外の誰かを追いかけていました。 好きな人との関係ばかりを気にして、35歳になるまで私は1度も自分自身と向き合ったことがなかったのです。 今思えば、恋愛ばかりしていたのは、自分と向き合いたくなかったから、
気がつけば、五常に出会ってから一年が経とうとしてる。 去年の8月で初めて引いたカードは今でもよく覚えている。あれは『信』のカードだった。 【まわりをありのまま受け入れてみる。我慢することなく受け入れることが出来たら今よりもっと自由になれる。】 そう書いてあった。わたしには、そのカードの意味がすぐに分かった。 私がカードに聞いたのはこの先私は恋愛コラムで食べていけるのか?だったから直接それに答えてくれてはいない。 カードはいつも私の先回りをする。顕在意識の質問になど答
夢の中で君をずっと探していた。 探しながら見つからないと分かっていた。 まるでこの世にもう君が居ない事を知っているかのように見つからないと知っていた。 私は君がもう居ないことを知っている。 それなのになぜいつまでも探し続けているのだろう。君に向かって歩くことを辞めないのだろう。この一歩は君に会う為の一歩で、でも毎日何歩歩いたって君に近づくことはない。体も心もどんどん離れていく。 もう君は見つからない。だけど私は明日も一歩踏み出す。靴を履いて玄関を出る。君に会う為に出掛けて行く
9ヶ月ぶりの再会。わたし達は手を握ることもなく別れた。君は「そんなの聞く事じゃない」ともっともらしい事を言ったし、私もそれはもっともだな、と思った。だけど不思議に私は君を近くに感じる。心が隣にあるような。それはちょうど三浦春馬が死んでから突然彼の存在が近くに感じるようになったのと同じくらい甚だしい勘違いなのかもしれない。でも仕方なくない?近くに感じるのだ。死んでいようが生きていようが、例え二度と会えなかったとしても。
まだまだめっちゃ生きたいのに このまま眠ったら、もう起きなくてもいいんだけどな、と思う。私は、いったいぜんたいなにをそんなに恐れているのだろう 一昨日塗ったピンクのマニキュアがまだキレイで私を励ます。君を思うと、私はいつもピンクのマニキュアを選んでしまうんだ。そんな色珍しいね。全然珍しくないけど、珍しいことにしちゃおう美味しいものをたべなきゃと思う。美味しいものを食べなければ死んでしまうような性急さで。だからクルンサイアムに行く。心にレモングラスとパクチーを。君の穴を埋めるの
もう取り戻すこともできない、何年も前に私が言ったひどい言葉たちを思い出す。 あれはもう君の中にしっかり染み込んで、もう2度と取り除くことは出来ないだろう。君の中のわたしは確実にそのシミだらけで君はもうそのシミの私しか知らない。 私は、そのことを少しも後悔していない。だって後悔してしまえば、私はもう本格的に二度と起きたくないと思ってしまうだろうから。
君を思い出すのは、決まってベッドの上だ。夜眠りに落ちる前に、朝目が覚めたときに、休みの日にゴロゴロしているとき。 私はそのとき、君が横に居ないことをとても不思議に思う。なぜ君はここに居ないのだろう?なぜ私はここに居るのだろう?もう別れて3年も経つのに、私はまだ君が居ないことに慣れることが出来ない。それは最愛の死んだ猫を思う気持ちと似ている。もうこの世にいないのだから、そこのソファーになんて居るはずもないのに、丸めて脱ぎっぱなしにした部屋着が君に見えたりする。しかも飼っていた
セックスレスのことを書いたり、 濡れなくなったことを書いたりしていたら、フォローワーが減った。 正確には減った気がする、だけど。 私は35歳になる今でも、本当の自分が分からない。分からないから好きな人も失った。と思っている。自分が本当にやりたい事が分からなければ、愛は取り戻せない、そう思って私は書いている。なにも失ったその人を取り戻そうと思っている訳じゃない。その人じゃなくてもいい、ただ私は愛が欲しい。 私の心に貯まった愛を、思い切り受け止めてくれる人が人生に必要なのだ。
わたしは長い間、浮気をされたら当たり前のように悲しんできた。 それはもう無意識に悲しかった。どんな浮気だって浮気だ。 でもそもそも、なぜ浮気がそんなに悲しいのか? 彼からの愛情を毎日感じる。 日々、愛されていると実感できる。 だとしたらもしかして、彼の浮気など大した問題ではないのではないか? いやいや、愛情を感じていたからこそ、 2人の関係が上手く行っていたからこそ、 問題なんじゃないのか? だって彼は、2人の関係を不満に思い浮気に走った訳ではないのだから。 むしろ
浮気についてこんなに考えてしまうのは、 もちろん好きな人が浮気者だったからだ。 当時付き合っていた彼は、しょっ中浮気をした。でも、それでも私は彼が好きだった。 『浮気は許してもいい』というのは、 浮気は男の甲斐だ、浮気くらいで騒がずどしんと構えていなさい、とかそうゆう昭和のいい女的な話しではない。 私だって愛する人が浮気者じゃないに越したことはないと思ってる。ただ、どうしても別れたくないと思う好きな人が浮気をした場合、少しでもその人と長く一緒に居る為に、 『浮気は許しても
もう連絡する気はなかった。 しても意味がない。これ以上先に進むことはできない、ってゆうか先なんてない。行き止まりなんだからと。 でも私は昨日君にLINEをした。 なぜだか分からない。思いたった5分後には送信ボタンを押していた。 会いたい、と思う気持ちは一度漏れてしまえば次から次へと外に漏れ出し、水浸しになってしまう。会いたい、声が聞きたい、キスがしたい。私は彼を相手に何度妄想を膨らませただろう。もう妄想するべきシチュエーションが残されていないくらい何度も何度も想像する。お気に