わたしのおにいちゃんのはなし 13
第十三話
兄の秘密を知った一年生の秋。そのほぼひと月後に、宿泊学習があった。
「服?」
「そうよ、宿泊学習、私服でしょ?あんたまさか家で着てるよれよれのトレーナーとスウェットで行く気じゃないでしょうね」
「そのつもりだったんだけど」
「お願いだからあれはやめて。なんでも欲しいの買ってあげるから」
わたしの家の中で、一番おしゃれなのは実は父で、次いで兄、母の順で、最も気にしないのがわたしだ。母だって三番目なのだが、最下位のわたしとの間には、ゴ○ィバとチロ○チョコくらいの差がある。
わたしが持っている服は、制服、よそ行き(学祭に着ていったやつだ)と部屋着の三種類。ちょっとそこまでお買い物、という中途半端なおでかけが一番困る。コンビニならスウェットで行くが、もし宮ちゃんと遊ぶ、となると一気によそ行きにグレードアップしなければならない。
母に説得され、渋々宿泊学習用の服を買いに行くことになった。
「・・・母さん、華、どうしたの」
「あ、倫也、それがねえ・・・」
わたしの部屋のドアのすぐ前で、母と兄の話し声が聞こえる。わたしたち兄妹の部屋には、両親の意向で鍵がついていない。鍵がない代わりに、親たちは子供の部屋に勝手に入ってくることはしない。ただし、ノックをしても返事がなかったり、朝や晩の挨拶がおろそかになるような時はドアを開けてもOK、という約束事がある。親に挨拶も出来ないようなら、プライバシーなどくそくらえ、という教育方針だ。
わたしはベッドにうつ伏せになって、声を殺して泣いていた。
ユ○クロで新しい靴下やら下着やらを買った。わたしはそこで全部揃えると思っていたのに、母はやたら張り切って、そこからわたしをデパートに連れて行った。そして名前も知らない可愛らしいブランドでパステルピンクのセーターと白地にブルーの水玉のシャツ、どうしてもスカートだけは嫌だとごねたわたしに根負けして、オフホワイトのキュロットパンツを買った。母の勢いは収まらず、フリルで縁取られた真っ白なバスタオルとフェイスタオルのセットと、水色のふわふわしたパジャマまで買い込んだ。
どうやらせっかく娘がいるのに、まったくおしゃれに興味を示してくれず、長い間欲求不満だったらしい。
それだけ買い与えられても喜ぶどころか、まだ買うの、とか、そんなにいらないよ、とか言うものだから、帰る頃には母は少し不機嫌になっていた。さすがに申し訳ないと思って、その買ってもらった服たちを全部持って、わたしは宿泊学習に行った。
行ったのだが。
(あ、ねえ、木崎さんのそのセーター、リ○リサじゃない?)
宿泊学習で一緒の班になったのは、クラスでも一番かわいい、と言われる佐倉愛未(さくらあみ)という子だった。出席順なので、宮ちゃんとは一緒になれなかった。移動のバスの中はみんなジャージだったのだが、自由時間には私服に着替えていいということで、五人部屋で例のセーターに袖を通したところ、彼女はそう言って寄ってきた。
(あ、えっと・・・)
(ほら、やっぱり!あたしこれ雑誌で見たんだよね。かわいい~)
佐倉さんは遠慮なくわたしのセーターの袖を掴んだ。あまり話したこともなく、どちらかというと交わらないタイプの子。違う学校に彼氏もいるとかで、宮ちゃんが言うところの「リア充」の類らしい。
毎日髪型を変え、透明のマスカラ(そのぐらいはわたしにもわかる)、薄赤いリップクリームを塗って登校してくる。
派手で自信家。はっきり言って、苦手だった。
(木崎さん、リ○リサとか着るんだ、意外~)
意外、という言葉のイントネーションに、軽い侮蔑の感情が含まれていたことをわたしは読みとった。
(これは母が選んでくれて・・・)
(このブランド、好きなんだ?)
(普通・・・だけど)
(そうなんだぁ。木崎さん、あんまピンクのイメージないもんね)
(・・・うん)
(なんかさ、日に焼けてるし、肩幅もあるから、こういう可愛いの着ないんだと思ってた)
(・・・・・・・・・)
(ねえ、ちょっとそれ、貸して?着てみたーい)
日に焼けてるんじゃなくて、地黒。肩幅があるんじゃなくて、骨太でごつい、と言いたいのはわかっていた。貸して、と言ったのも、周りに自分の方がパステルピンクが似合うと知らしめたいのだろう。
そんなことされなくたって、わたしは知っている。
色が黒くて、身体つきががっしりしていて、髪が真っ黒で質感も堅くて、声も低めで、ちっとも女の子らしくないことを。男子と話すのも苦手だし、出来れば極力目立たずに三年間の中学校生活を終えたいとまで思っているのだから。
わたしは仕方なく、うん、と答えたが、佐倉さんに服を貸すのはすごく嫌だった。だってそれは、どんなに不似合いだったとしても母がわたしに買ってくれたものだからだ。母の嬉しそうな顔が思い出された。
そして案の定と言おうか、佐倉さんはピンクのセーターがすごく似合った。さらに彼女と仲良しの女子が、さらに事態を悪化させた。
(愛未、似合う!リ○リサのモデルみたい!)
それは言い過ぎだと思う、というのはもちろん黙っていた。
地毛だと言い張ってるが佐倉さんは絶対カラーリングしていると思う。もしかしてパーマもかけているかもしれない。
彼女は背中を覆うゆるいウェーブの栗色ロングヘアをわざとらしく指に巻き付け、姿見の前でくるくるっと回って見せた。
(いいなあ、これ、すっごいかわいい。欲しいなぁ)
佐倉さんはとんでもないことを言い出した。そういえば、彼女には収集癖があると聞いたことがある。自分が気に入ったものを手に入れるには手段を選ばず、シャープペンや、髪を留めるピン、コロンやアクセサリーを手に入れてきたらしい。後半ふたつに関しては、そもそも学校にそんなものを持ってくる方が悪いと思うのだが、とりあえず置いておく。
いったいどういう躾をされてるんだろう。わたしの両親なら、見覚えのないものを娘が持って帰って来ようものなら、ことの顛末を一から十まで洗いざらい白状するまで絶対許してもらえない。
(木崎さん、これさ、あたしの方が似合うよ)
(・・・・・・)
(これと交換こしない?)
彼女は自分のリュックから、ダークグレーのパーカーを引っ張り出した。決してボロではないし、甘い柔軟剤の匂いもして清潔に保たれているのはわかった。
しかし、それがユ○クロのものであることぐらい、一目でわかる。
値段の問題でも、品質の問題でもない。
この子はどこまでも失礼だ。
あなたにピンクは似合わない。あなたは地黒でごついから。
あなたよりあたしの方が似合う。あたしは色が白くて可愛いから。
あなたにはこのセーターより、ダークグレーのパーカーの方が似合う。あなたは可愛くないから。
わたしの中の自動翻訳機が、より正確な訳をはじき出そうとフル回転する。
わたしは言った。
(・・・だめ)
(え?)
(ごめん、返して)
わたしは佐倉さんの腕を引っ張って、セーターを脱がせようとした。きゃあ、とわざとらしい声を上げて、佐倉さんはよろめいた。わたしは構わず、セーターの裾をめくりあげた。一緒に中に着ていたキャミソールもお腹の真ん中くらいまで迫り上がってしまった。
(いたーいっ、やだあ、馬鹿力っ)
(脱いで、これ、はやく)
(離してよおっ)
自分にそんな力があったなんて知らなかった。わたしが掴んだ佐倉さんの手首は小さな痣になり、ピンクのセーターは裾が不格好に広がり、左側の袖だけが異様に伸びた。
その後先生に呼ばれたわたしは、さめざめと泣く佐倉さんの横で無表情に立ち尽くしていた。喧嘩の理由を聞かれたが何も答えず、最終日までジャージを着て過ごした。
結局それからわたしは同じ班の人と一言も会話せず、宿泊学習は終わった。
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