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わたしのおにいちゃんのはなし 2

第二話

中学生と高校生は、帰る時間が違う。兄は中学から続けているバスケ部に入ったので、週に三日は夕食に間に合わない。
その日も夕食に兄はおらず、わたしは先に食べ終わると宿題をすると言って二階の自分の部屋に上がった。

鞄の中から今日宮ちゃんに借りた漫画を取り出した。
漫画のタイトルは「君と僕のあの日の恋」。非常にわかりやすい。表紙は爽やかイケメンと、女子と見扮う美少年がぴったりと身を寄せている。学校で、男子同士でこんなに密着している様子は見たことがない。
宮ちゃん曰く、どうにも読みづらかったら美少年を女子だと思って読むべし、とのこと。
どきどきしながら最初のページをめくる。
十ページほど読み進んでみて、思っていたより普通の漫画だと思った。なんだこれならいける、と思って漫画を持ったままベッドにダイブした時、ただいまー、という兄の声が階下から聞こえた。


兄は高校生になってまた背が伸びた。わたしは150cmなので、30cm近く差がある。事あるごとにチビ扱いされるので、最近は隣に並ばないようにしている。
母との話し声が途切れ途切れに聞こえた。兄が台所を出て、お風呂場に向かう足音が響く。温め直している味噌汁の匂いが、しっかりごはんを食べたはずのわたしのお腹を刺激する。
いまさらの空腹を我慢して、わたしは漫画を読み進めた。

それから十分くらいして、シャワーから上がった兄が階段を上がってきた。わたしが部屋にいることはわかっていても、わざわざ声はかけてこない。わたしもわざわざ「おかえり」とは言わない。
ばたん、どさ、がたん、と鞄を投げ出したり、箪笥の引き出しを開ける音がする。うるさいなあ、と思いながら漫画を読んでいると、急に大音量で流行りのミュージシャンの音楽が流れ始めた。
兄の携帯の着信音だった。
さすがに音がでかすぎる。わたしはむくりとベッドから起きあがった。ひとこと物申してやると、
自分の部屋のドアノブをむんずと掴んだその時。


「もしもし、倫也(みちや)です」


兄の弾んだ声。


「はい、すみません、風呂入ってて・・・はい」


口調からして、どうやら先輩からの電話らしい。からから、とサッシ窓を開ける音がする。外を見ながら話しているのか急に声が聞き取りづらくなった。
話の内容など興味はない。ただ、あまり聞いたことのない兄の弾んだ声が珍しくて、無意識に耳を傾けてしまった。

「・・・え?いや、違いますよ・・・」

先輩相手だと、こんな柔らかな話し方をするんだな、と思った。わたしと話す時は、だいたいいつも面倒臭そうなのに。まあ、兄妹なので仕方ない。どこの家でもそんなものだと思う。それにしても楽しそうだし、そもそも話が長い。
七、八分経った頃、しびれを切らした母親が一階から「ごはんよー」と叫んだ。


「あ、すみません、おふくろが・・・・・・はい」


わたしはドアノブを見つめたまま、固まった。そして心の中で毒づく。
おふくろ?
なにそれ。いつも「母さん」呼びじゃん。
やっぱ先輩にはいい格好するんだ。
あまりにも面白すぎて、わたしは両手で口を覆って笑い声が漏れないようにこらえた。


「じゃあ、フタバさん、また明日・・・おやすみなさい」


フタバさん。
電話の相手はフタバさんという名前らしい。
双葉。二葉。蓋歯・・・・・・
国語が得意なわたしはフタバという名前にいろいろな漢字を当てはめて遊んだ。
兄は電話を切って、窓を閉めた。とんとんと階段を降りる音がして、兄が夕食を食べに行ったのがわかった。

そこで、わたしは急に閃いた。

フタバさんは・・・彼女なのではないだろうか?敬語ということは、二年か三年。
確かに兄は顔がいい。歴代の彼女に会ったことはないが、彼がモテるのは確かだ。
もしかしてバスケ部のマネージャーとか。
めっちゃ青春ではないか。これは明日、宮ちゃんに話さねば。もしかして宮ちゃんのお兄さんがフタバさんを知ってるかもしれないし。

翌日。
わたしは朝、宮ちゃんを見つけるなり忍者のような足取りで素早く駆け寄った。


「はなちゃん、どうしたすごい形相で」


「宮ちゃん、実は事件が」


わたしは宮ちゃんの耳元で、昨晩の兄の電話を盗み聞いてしまったことを告白した。


「それは・・・リア充というやつじゃないか」


「りあじゅう?」


「リアルに充実している人間のことだ。何を隠そう私の兄も最近彼女を家に連れてきた」


「高校生って・・・すごい」


「すごいな」


中学一年のわたしたちは、まだ小学生気分が抜けていないので、男女のことなど全くもって未知の世界だった。わたしたちは腕を組んで、うなづき合った。


「で、はなちゃん。例のブツは、どうだった」


「あ!」


宮ちゃんの貸してくれたびーえる漫画は、続き物だった。一巻は宮ちゃんの言うとおり割とライトで、主人公たちが知り合い、仲良くなり、もしかしてこれは恋ではなかろうか、と気づくあたりで終わる。


「読んだ読んだ。思っていたより読みやすかった」


「それは良かった。実は今日、二巻を持ってきたのだが・・・」


「読みますっ」


「ちなみに、二巻はハードルが上がる」


「・・・と、いいますと」


「それはここではちょっと」


宮ちゃんはくふふ、と不敵な笑みを浮かべた。なるほど、そういうことか。経験はないが、含み笑いの理由は一応想像がつく。わたしたちはいわゆる耳年増というやつだ。
わたしは宮ちゃんに渡された「君と僕のあの日の恋」第二巻をそっと鞄の奥にしまい込んだ。


「それで宮ちゃん、聞きたいことが」


「ん?」


「フタバさんって、知ってる?」


「フタバさん?」


「みーく・・・兄が、電話の相手をフタバさんって」


「聞いたことないけど」


「わたしは彼女だと睨んでいる。それも先輩」


「なるほど」


「女バスとか、マネージャーとか」


「マネージャーとの恋・・・響きがやばい」


「やばいっすね・・・」


兄は今をトキメクイケメン高校生。なのに妹の私はオタクの地味子。そしてその友達の宮ちゃんもオタク仲間。よってわたしたちの会話は割と普段からおっさん風味なのだ。


「そのうち、家に来たりとかするのでは・・・」


「確かに。妹として、見守ってやらねば」


よけいなお世話である。
この時のわたしには、自分が恋愛することなど想像がつかず、兄の恋愛を想像して楽しむだけでお腹一杯だった。


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