わたしのおにいちゃんのはなし 15
第十五話
わたしが兄とアイデンディティの話をした頃、宮ちゃんにもある変化が訪れていた。
「宮ちゃん・・・・・・?」
教室の座席に座る宮ちゃんの後ろ姿を見つけ、わたしはあまりの衝撃で立ち止まった。
彼女のトレードマークの三つ編みが無くなっていた。肩につくかつかない長さでくせっ毛が内側にくるんと巻き込まれている。
「おはよう、はなちゃん」
「宮ちゃん、髪の毛・・・」
「あ、うん・・・切ったんだ」
宮ちゃんが髪を伸ばしていたのは、小さい頃から続けているバレエのためだと聞いていた。知り合ってまだ一年経っていないので、発表会を見に行ったことはない。が、幼稚園から続けているとのことできっと上手なのだと思う。
「バレエ・・・やめたの?」
「・・・ううん、やめてない」
「じゃあどうして・・・」
宮ちゃんはすっと視線を下げた。どうやらこれは不穏な空気。わたしにピンチが訪れている間、宮ちゃんにも何かがあったのかもしれない。
「はなちゃん、ちょっとこっち」
宮ちゃんはわたしを手招きし、例の密談場所に向かった。
「なにがあったの?」
「・・・・・・」
「・・・わたしにも言えないこと?」
宮ちゃんはわたしを呼んだにも関わらず、黙りこくっている。そして膝の上で両手を組んで、ため息を吐き、こう言った。
「気持ち悪いって言われた」
「・・・え?」
「宿泊学習・・・お風呂で」
まさかのまさか、わたしと宮ちゃんは同じタイミングで傷ついていたようだった。
宿泊学習での入浴時間は、三十分ごとに区切られていた。班ごとに入ることを奨励されていて、ほとんどの生徒はまとまって大浴場に行った。
わたしはその前に例の出来事が起きて、佐倉さんたちが戻ってきてから他の班の人たちに紛れてお風呂に入った。
そこに宮ちゃんはいなかった。
「気持ち悪いって・・・誰に言われたの・・・?」
「・・・藤尾さんと・・・山岡くん」
「え?」
藤尾さんは宮ちゃんと同じ班の、女子バレー部で活躍する活発な子だった。男子のような短髪で背が高く、小柄な宮ちゃんとは20cm近く身長差がある。スポーツが出来るか出来ないかで、友達のランクを決めるような子。
しかし山岡くんは男子。どうしてその二人が?
「お風呂で髪の毛洗ってたら、藤尾さんが後ろから、ワカメみたいで気持ち悪いって」
「ひ・・・ひどい・・・」
「オタクキモいとも言われた」
勉強が出来ないより、運動が出来ないほうがいじめられやすい。体育祭や球技大会で活躍すれば人気者になれるが、テストで学年一位を取ってもやっかまれるだけ。運動部の人間はヒエラルキーの上部に位置し、地味でオタクなわたしや宮ちゃんは、最下層扱いを受ける。少なくともこの学校では。
「その後、ご飯の前に山岡くんと何人かの男の子に髪引っ張られて・・・」
山岡くんは隣のクラスの子で、男子バレー部。藤尾さんと仲がいいとも聞く。そこが繋がっているのかどうかは知らないが、あまりにもひどい仕打ち。わたしにあったこととは少し色が違うが、どちらもアイデンディティを否定される出来事だ。
「宮ちゃん・・・」
「家帰ってお母さんに言ったけど、横で聞いてたお父さんが、切ればいいって。勉強するのに、そんな長さいらないだろうって」
「そんな・・・そんなこと言われたの?」
「・・・ちょうどいいから、バレエの稽古も減らして、塾に行けって言われた」
「・・・・・・」
わたしはふたつに結わえた自分の髪の先を見つめた。
血の繋がりのない兄が支えてくれたわたし。
厳しいお父さんに、慰めてもらうどころか逆手にとられてしまった宮ちゃん。
わたしは自然に、涙が流れた。
「わたしは宮ちゃんの三つ編み、好きだった」
「・・・うん」
「でも今の髪も似合うよ。どんな髪の長さでも、宮ちゃんは宮ちゃんだよ。・・・わたしは絶対、宮ちゃんとずっと一緒にいるから」
兄のように上手に慰めることは出来なかった。アイデンディティ、という単語を使いこなすには、わたしは未熟だった。
宮ちゃんは両手で顔を覆って、静かに泣いた。
その一年後、実は当時、宮ちゃんが山岡くんのことを好きだったのだということをわたしは知ることになる。
中学二年になった。
宮ちゃんとはクラスが離れてしまったが、今でも行き帰りは必ず一緒だし、昼休みも二日に一回は漫画の話やそれぞれのクラスであったことなどを話す。
兄も高校二年になり、最近は部活とバイト、塾にも通っていて忙しいらしく、あまり喋ることもなくなった。そのうちわたしも塾に通えと言われる時が来るのではないかとびくびくしているが、今のところ両親からは何のお達しもない。
「はなちゃん、約束のブツを持ってきた」
「おおっ」
わたしたちは今でも、二人揃うと古風な物言いになる。一年の時の宿泊学習以来、他の子と話すときはみんなに馴染む口調で話しているが、やっぱりこっちの方がしっくりくる。
宮ちゃんは今でも、わたしに新しい世界を教えてくれる。びーえるを好むわたしたちが「腐女子」という名称で呼ばれていることを知ったのも、宮ちゃん情報だ。
今日は、最近流行の作家さんのびーえる小説を持ってきてくれた。会合場所はいつもの階段の踊り場。
「これが噂の・・・!」
「そう、今、ものすごく萌えると評判のやつ」
「小説ははじめてだ!読むの、時間かかるかも・・・・」
「わたしは二回読破してるから、ゆっくりで大丈夫。それの続編もあるし」
「ぞぞぞ続編!」
初めて読んだびーえる漫画「君と僕のあの日の恋」から一年、わたしのびーえるの知識もずいぶん豊富になった。思えば最初、主人公の透司と悠希を兄と兄の恋人になぞらえて、わたしたちは楽しんでいた。
兄が高二になったということは、三年の双羽さんは卒業しているはず。当然その後、双羽さんが兄を訪ねてくることはなく、透司と悠希を思い出すことも少なくなっていた。
「それではなちゃん、ちょっと別の話なんだけど」
急に宮ちゃんの表情が堅くなった。
「うん?」
「進路・・・決めた?」
「ああ・・・・・・なんとなくは」
「はなちゃん、実はわたし、もう決めているんだ」
「宮ちゃん、どこの高校に行くの?」
「・・・光稜高校」
「え・・・」
光稜高校は有名進学校で、この町からは電車で一時間ほどのところにある。全寮制で、かつて兄が受験して受かったが、行かなかった高校だ。
「だから・・・特進の塾に変えることにした」
「・・・・・・宮ちゃんも、医者になるの?」
「出来れば医療関係に、とは思ってる。それに・・・寮に入れるから、親とも離れられるし」
「・・・・・・」
宮ちゃんは両親、特に父親との間に確執があるようだった。お兄さんの陽介さんとの会話を聞いていても、宮ちゃんは家族の中では圧力をかけられる側のようだ。
「来週から週三回、学校帰りに直接塾に行くことになったんだ。はなちゃんの家と方向が逆で・・・一緒に帰れなくなることがあると思う」
「・・・・・・そうなんだ」
「ごめんね」
「謝らなくていいよ。・・・宮ちゃんの進路だもん」
「うん・・・」
宮ちゃんは一年の宿泊学習から髪を伸ばすことはなくなった。二年に上がる頃には、かつての実乃里さんのようなショートカットになっていた。わたしはというと、未だに背中の真ん中くらいまで髪を伸ばしている。最近はふたつに分けることはやめ、ポニーテールにすることが多くなった。
宮ちゃんは顔を上げて力強く言った。
「朝は一緒に行こう」
「うん、もちろん」
「三年になっても」
「うん」
三年、という言葉が切なかった。宮ちゃんと一緒にいられるのはあと二年。その後わたしたちは違う道を歩み始める。まだはっきりした進路は決まっていないが、わたしの学力では光稜は望めないし、そもそもそこを受験するつもりはない。
そろそろ本気で進路も考えなきゃならないんだな、とわたしは教室に戻りながら考えた。行きたいのは兄と同じ高校。でもそのためのプランもないし、将来なりたい職業のビジョンもない。
宮ちゃんはわたしより数段しっかりしているんだと、実感した。
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