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『7人の聖勇士の物語』第12章(1) 東の大帝が大規模な馬上槍試合を開催し、騎士たちが腕を競うお話。

こんにちは。
いつもお読みくださりありがとうございます。

このところ日が暮れるのが早くなりましたが、今日は明るいうちに帰れました。バス停から自宅へと歩いていると、どこからか金木犀のほのかな香りが漂ってきました。金木犀の盛りの時期はもうすっかり過ぎてしまいましたが、見回すとまだ咲き残っている木がありましたので、思わず写真を撮りました。日当たりとか方角とかの関係でしょうか。でも、きっとこの木で今年の金木犀はおしまいでしょうね。

私は、この春、超遠距離通勤だった職場を辞めたのですが、それまでの数年間、辞めよう、辞めようと思いながら、なかなか辞めることができませんでした。辞めるきっかけとなったのは、仲良くしてくださっていた方が定年を迎え、職場を離れることになったことです。私はその方にお目にかかるのが楽しみで、辞める決心がつかなかったのです。

その方はとても美しい方で、座っておられるだけで、まわりの空気が静まるような、気品のある方でした。金木犀の香りがお好きとおっしゃっておられました。秋が深まってくると、私たちは毎年、金木犀の香りを話題に楽しくお話しをしたものです。私たちは二人とも暑さが苦手で、毎年汗ばむ頃になると二人とも急に疲れやすくなり、涼しい季節を待ちわびました。金木犀の香りは私たちにとって、やっと涼しくなった、ということを実感させてくれる嬉しいしるしだったのです。

職場を辞めてからその方とは電話で何度かお話しはしたのですが、まだお目にかかることができずにいます。是非ともお会いしたいものです。


『7人の聖勇士の物語』の続きです。

東の大帝が大規模な馬上槍試合を開催し、多くの武勇自慢の騎士たちが参集します。長い章なので3回に分けてお送りいたします。

『7人の聖勇士の物語』
第12章 コンスタンチノープルの馬上槍試合大会(1)

さて、東の大帝がコンスタンチノープルで大規模な馬上槍試合を開催するということがありました。その試合にはキリスト教国の全ての騎士や貴族たちが招待され、まもなくとり行われる大帝とさる王女との婚礼に敬意を表することになっておりました。そこへ7名の勇士たちがやってきました。彼らは長い別離の間、お互いがどうなったのか知らなかったのですが、それぞれが皆は地球のどこか遠い地域にいるのだろうと信じておりました。大帝は、銀の喇叭の音が彼らを召し出すまで7人の戦士たちが過ごせるよう、異なる色の7つの天幕を張りました。試合は7日間続き、それぞれの日の優勝者となる騎士が決められることになっていました。

第1日目は、フランスの聖デニスが「黄金の騎士」の称号のもと、優勝者となりました。彼の天幕はキンポウゲの色で、天辺には素晴らしく輝く太陽が照り映えておりました。

彼の馬は鉄灰色で、黄金をちりばめた羽毛でできた羽根飾りで飾られていました。彼の前を馬に乗った忠実なル・クラポウが主人の旗を掲げて進みました。旗には金色のイチハツの意匠が描かれていました。彼が馬上槍試合を行った異国の騎士は数え切れないほどでしたが、その全員を彼は打ち負かしたのでした。

次の日は、銀の武具を身に着けたスペインの聖ジェームズが優勝者として進み出ました。従者の忠実なるペドリロは4つの旗を高々と掲げておりました。それぞれの旗には聖ジェームズと彼の祖先の名前と称号がすみずみまで記されておりました。彼はたいへん立派に振舞いましたので、観客は皆賛嘆しました。

第三日目には、青みがかった鋼で身を包み、青騎士と呼ばれたイタリアの聖アンソニーが優勝者として進み出ました。付き従う忠実なニッコロは青地に鷲を描いた旗を運んでおりました。彼の天幕の上には望楼の形をした小ぶりの観覧席があり、そこには貴婦人が座って試合見物をしていました。それは、あのグルジアの王女、勝ち気なロザリンド王女でした。王女は、称賛すべき忍耐力によってどんな些細な問題もないがしろにしませんでしたので、聖アンソニーの心を完全にとらえ、彼の花嫁となったのです。イタリアの戦士聖アンソニーもしっかりと務めを果たし、大勢の勇敢な騎士たちが彼の槍によって落馬の憂き目にあいました。

第四日目には、スコットランドの聖アンドルーが試合の第一挑戦者でした。彼の天幕は海原を進む船の形につくられており、いるか、法螺貝、不思議な形につくられた多くの人魚たちに囲まれていました。天辺には海神ネプチューンの像が立っており、手に持った吹き流しの隅の一つには緋色の絹でできた十字架がついていました。血のように赤い布が彼の馬を覆っておりましたので、彼は赤騎士と呼ばれていました。彼の天晴れな偉業は皇帝の目にとまりましたので、皇帝は彼にご自分の銀の籠手(こて)を投げ与えました。その籠手はポルトガル金貨1,000枚に価するもので、従者のマードック・マッカルパンはそれを地面から拾い上げると、大喜びで主人の天幕に運びました。そこには聖アンドルーも戻っていて、気高い対戦の後で甘美なる休息を楽しんでおりました。

第五日目、アイルランドの聖パトリックが第一挑戦者として試合場に入場しました。緑色の覆いで覆われたアイルランド産の馬に跨がっておりました。付き従う忠実な従者テレンス・オグレーディは森の住人のような出で立ちで、肩には花盛りの木を担いでいましたが、これは「美徳は常に栄える」という標語を表わしているのでした。聖パトリックの天幕は夏のあずまやによく似ていて、シャムロック(クローバーのこと)のような形をしており、薔薇の花輪で美しく飾られていました。彼は緑の騎士と呼ばれていました。緑は臆病者の色ですが、聖パトリックの場合は緑の騎士と呼ばれているだけで、誰も自らが聖パトリックよりも練達の騎士であると証明出来ませんでしたし、彼よりも気高い偉業を行ったこともありませんでした。

第六日目には、ウェールズの名高い勇士が試合場に入りました。彼はタタールの馬に跨がっておりましたが、馬を覆っている黒い布は、オゥエン・アプ・ライスが明らかにしたところによりますと、聖ディビッドの力を思い知ったあらゆる種族の全ての騎士にとってこの日が暗鬱で悲劇的な日であることを意味しているのでした。彼の盾にはランパントの姿勢をとった銀のグリフィンが、そして黄金の兜には古のブリテンの紋章が描かれていました。

彼の天幕は胸壁が無数の屈強な武装兵に守られた城の形をしていました。彼は堂々たる偉業により、皇帝の手から然るべき褒賞を得ました。また、(忠実なオゥエンが後に断言したのですが)その場におられた身分の高い美しいご婦人方全員が聖ディビッドを、これまでに槍を振るった中で最も気高い騎士、東方皇帝の宮廷に現われた中で最も幸運な優勝者であるとして拍手喝采なさったのでした。
(※「ランパント」は、紋章に描かれるライオンなどの動物の姿勢の一つで、左後ろ片脚立ちの姿勢をさします。)

第七日目、最終日には、イングランドの聖ジョージが第一挑戦者として試合場に入場しました。彼は黒い色の馬に跨がっておりました。馬は光沢のある黄金のはみを付けられ、額は深紅の羽毛で作られた豪華な羽根飾りで美しく飾られていました。その飾りからは黄金の垂れ飾りが数多くつり下がっておりました。騎士の武具は最高純度の鋼でできており、銀の象眼が施してありました。兜は真珠や多くの貴重な宝石で豪華に飾られ、彼の前を忠実なド・フィスティカフによって運ばれる旗には、血のような赤い地に3つの王冠を頭に戴いたランパントの姿勢のライオンが描かれていました。

彼の天幕は白鳥の羽毛のように白く、混じりけのない真鍮でできた4頭の象の像で支えられていました。天幕の前には12名の石炭のように黒い肌の黒人に護衛された象牙の車があり、その中には彼の美しい花嫁、サブラ王女が試合の見物のために腰掛けていました。

あらゆる人の目がイングランドの勇士に向けられ、じっと見つめ、賛嘆しました。彼の馬は実に立派に彼を運び、どんな騎士にも衝突することなく、あっという間に人馬もろともなすすべもなく地面に落下させました。その日、試合は日の出から宵の明星が姿を現すまで続き、その間、聖ジョージはアジアの最も屈強な騎士500人を倒し、1000本の槍を砕き、全ての観客の賛嘆を集めました。

試合が終りますと、皇帝は聖ジョージの天幕に黄金の木を届けさせました。黄金の木には、7人の異国の優勝者たちの間で平等に分けるよう、7本の枝がついていました。そこへ7名全員が集まりました。そして彼らがカスク(兜の種類)を脱ぐと、驚いたことに、長い間会っていない古い仲間たちであることがわかったのです!

彼らは互いに温かく手を握り、とても楽しそうに話したり笑ったりしました。そして、その晩は聖ジョージの天幕で賑やかな酒宴が行われ、互いに冒険や手柄、偉業を語り合いました。彼らは黄金の大コップになみなみとつがれたワインを陽気に飲み干し、酔って真っ赤になりました。そして、多くの陽気な歌を歌い、多くの話を語りました。皆は、聖アンソニーの天幕の頂きにいる貴婦人は誰なのか知りたがりました。そこで、聖アンソニーはグルジアの気丈夫な王女ロザリンドに心をとらえられ、結婚を承諾したのだ、と白状しました。

今回はここまでです。
7日間続いた大馬上槍試合。各日の優勝者は7人の聖勇士でした。久しぶりに再会した勇士たちは、大いに飲み、歌い、語り合いました。やはり気になるのは美しい王女のことのようですね。

次回をどうぞお楽しみに!


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