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反省と過去と現在
先日、電車に乗っていた時のこと。
途中に停車した駅にてお年寄りの方から乗り込んできたのだが、その後ろから乗車してきた若者が老人の前を足早に遮り優先席に座り込んだ。
他人事に興味を持たない私だが、心の中ではみっともない奴だなーと思っていた。
そして抜かれ座る席がなかったご老人が吊革につかまり立った位置に強い意思を感じたのだが、そこはなんと追い抜いて行った若者の真ん前だった。
スペース的には立つにはいくらでも場所はあったのだが、ご老人はきっとあえてその若者の前を選んだように見えたのだ。
そしてその若者はご老人をチラっと見はしたものの、すぐに手に持つスマホに視線を落とした。
私はルールやモラルよりも、道理を1番に考えている。
お年寄りや怪我人などが優先される席に健康な若者が座り、その前にお年寄りが立っているその景色にものすごい不快感を感じつい無骨にその若者を追い払ってしまった。
ご老人は一言「ありがとう」と言い席についたが、周りの人たちには輩が若者に絡んでいるように見えても仕方なかっただろう。
怪訝な視線をいくらか向けられたが、それが今の世の中の当たり前なのだろう。
他人に興味もなければなるべくなら知らない人と関りを持ちたくない私ではあるが、自分の信念に触れるような出来事は放ってはおけない面倒くさい人間なのだ。
別にご老人を助けたかったわけではないし、他人の注目を集めたいわけでもなかったのでその後の居心地の悪さといったらなかったのは言うまでもない。
スマートにそういう行為が出来る器用な人間であれば、そんな状況を作ることもなかったのだろうが…。
自分、不器用ですから(笑)。
先日の記事の反省とツッコミ
私は以前、雑誌のライターの仕事をしていました。
主に物や場所の紹介や解説記事の他にコラムなど、それなりに色々と書いてきた経験がある。
そんな私が何を反省していたのかというと、先日の記事のボリュームについてだ。
文字数が5000文字を越える記事となってしまったことについて、かなり引っ掛かったものが胸にあった。
なぜなら5000文字クラスの記事ともなると、軽い感じで読み切れないからだ。
noteやブログなどは興味のないところから触れてみたりする方や、暇つぶしに読み歩いている方もいることだろう。
そんな方々にとって5000文字のボリュームは興味のある記事でもない限り、間違いなく面倒になってしまう方が多いはず。
ましてや運の話やスロットの話など、興味のない方が多いのだから当たり前なのだ(笑)。
これについては知り合いにも長くて読み飛ばしたと言われ、やっぱりなーと苦笑い。
こういう場において適切な文字数はどれ程なのかというと、5分もかからずほんの数分で読みきれるボリュームである。
文字数にして1000~2000文字以内といったところだろう。
仕事でコラムを書いていた頃に教わったことなのだが、人は1分に700文字前後を読み込めるらしく興味に関係なくその集中力がもつのが1500文字くらいらしい。
なので前書き込みで多くても2000文字以内が適切だと言われ、これについてはよく怒られた記憶がある。
なぜならば、私は前書きに関係のない話が長過ぎるとボツを食らうことが多かったのだ(笑)。
本来、前書きとは本文の内容を書くに至った経緯など由来とすることを書く場なのですが…私の場合は前書きというよりは前置きといったご挨拶みたいな感じに、近況やちょっとした出来事などから書き出すクセがあります。
原因としてはブログの経験が長過ぎたことにあるんじゃないかと…。
中には前書きは必要とせずに必要な情報のみの記事を求められることもあるのだが、趣味でひとつのブログを11年程書いていたことがありクセとなっているのだ。
スマートな記事の例としては正しい前書きを500文字程度書いてから1000文字程度の本文を置き、簡潔にまとめて2000文字以内に収めるのが理想なのである。
しかし私の場合は関係ない話を置いてから本文に話を変える傾向にあり、編集者からすれば厄介なライターであったことは間違いないだろう。
そしてここまで読んだ方々は思ったはずだろう、こいつ悪いクセが直ってねぇ!と。
しかし気づいてほしい、前書きの最後の一文に。
そう、不器用だからこれも仕方のない事なのです(笑)。
(最後の一文を以て本文と関連付ける力技である)
結局のところ、好きにやってもいいんじゃなかろうか
別にこの場で書いている記事は、仕事として請け負ってお金を頂き書いているものではない。
であれば構成など好きにやっても構わないよね?ってこと。
これを含めて初めて私の記事を読み始める方は、主に暇潰しにタイトルに引かれてページを開いたというものが多いだろう。
そして私の記事を最初から開くというより、目についたものからというのがほとんどのはずだ。
であれば私の事を冒頭に置いて、こんな人がこんな事を書いているのか…という印象付けとなるこのカタチも正解ではないだろうかと考えている。
しかし先日の記事はどう考えても悪いものであることは反省している。
仕事ではないといえ過去には仕事にもしていた文章を書くという行為については、美意識を持って書いていきたいと思います。