最後のTight Hug⑯
「ほら、史緒里。バンザイして。ばんざーい。」
『…うー…やっ!!』
キャッキャッと笑って部屋を走り回る史緒里を追いかける。
母親に似て明るく元気な子に育ってるなと、微笑ましく感じながら、俺は史緒里を捕まえた。
『えへへっ』
「史緒里。バンザイして、お服着なきゃキラキラのママ見に行けないよ。」
『やっ!!ママみゆ!!』
「じゃあ、服着替えるよ。バンザーイ。」
『あいあーい。』
小さな手を、目一杯天井に向けた史緒里に、外行き用の服を着させる。
「よし、じゃあ車乗るよ。ブーブーで、行くからね。」
『あいっ!!おんぶっ』
「そろそろおんぶ卒業しなきゃダメだぞ?」
そうは言うものの、親バカの俺は史緒里をおんぶをしながら家の鍵閉めを確認して、車に向かう。
『ママ!!早くみゆ!!』
「ブーブー乗ったらすぐ着くよ。」
『あいっ。しー、キラキラのママみゆの好き!!パパも、好き?』
「パパはお外でキラキラのママも、おうちで優しいママも、どっちも大好きだよ。」
『あちゃ!イチャイチャ!!』
「もちろん史緒里も同じくらい好きだけどな!!」
『いひひっ!!』
⊿
『ちょっと、なな取りすぎ!!』
『ええやん。こんなに沢山あるんやから。あんまケチケチしてると○○に嫌われんで。』
「よく食べるよなぁ、2人とも。」
『そりゃあ、映画見たらポップコーンって決まってるからね。』
『私からしたら、全然食べてない○○の方が変や。』
映画館からの帰り道を、俺はいつものように飛鳥と西野と一緒に歩いていた。
『せや、○○!!お願いがあるんやけど』
「また、レポート写させろってか。」
『正解!!さすが、私の頼れる影武者。』
西野は飛鳥と同じ事務所に入っている、大学の同期だ。
飛鳥がオーディションに応募して、合格した時に一緒にいたのが西野で、縁あってそれ以来早くも3年、一緒にいる。
飛鳥に負けず劣らずの美女で、今や若い人たちに大人気のインフルエンサーになりつつあった彼女は、その多忙さから授業に参加できないことも多く、いつも俺のレポートを少し編集して提出しては、何とか単位をとって進級していた。
「何が影武者だよ、ただのパシリに使ってるくせに。入学からの3年間、唯一の失敗は西野と知り合ったことだよ。」
『…アンタの彼氏、打ってええ?』
『まぁ、まぁ。…根は良い奴なのよ、○○も。』
「飛鳥はどっちの味方なんだよ。」
『そんなん、か弱いウチに決まってるやん!!いいから、はよレポートのファイル転送して!!』
「1000円な。」
『…体で払うのは?』
『ちょっと、なな!!』
行き過ぎた西野の冗談に、慌てて飛鳥は仲裁に入った。
『冗談やん。すぐプリプリ怒って、ホンマに○○の事大好きやなぁ飛鳥は。』
『別にそんなんじゃない!!…もう撮影間に合わなくなるから行くよ!!』
慌てて否定をしながら顔を赤くした飛鳥は、スタスタとスタジオに向かって歩いていってしまう。
売れっ子モデルの彼女たちは、この後また夜まで撮影があるらしい。
一足先に歩く飛鳥を追いながら、西野が呟いた。
『…何かごめんな、いっつもウチ一緒におって。2人の限られた時間やのに。』
「いいさ。飛鳥が一緒に行こうって自分から誘える人って、少ないし。それだけ西野の事、好きなんだよ。」
『…なぁ、○○?』
「ん?」
『分かってると思うけど、飛鳥はめっちゃ、アンタのこと好きやで。…こんなに誰かを大切にする人、初めて見たくらい。』
「うん。口は悪いけど、態度ですごく伝わってる。」
『再来月号の雑誌、今度あげるな。…飛鳥の見えん所に隠すんやで。』
「ありがとう、いつも。」
『飛鳥の特集、"気になる彼とのデート服"やってんけど、ずっと○○が好きそうな服かどうかで撮影の衣装選んでたわ。』
「…何か、恥ずかしいよ。仕事的に、それでいいのかな。」
『いいんちゃう?モデルの気持ちがノるのが大切やし。めちゃくちゃ輝いてたで、飛鳥。ウチ、掲載枚数負けてもうたし。』
「そっか、頑張ったんだな。今度なんかこっそりプレゼントしとくよ。」
振り返った飛鳥が、大きな声で西野を呼んだ。
『ちょっと、ななまだ!?間に合わなくなるって!!』
『すぐ行く!!』
そう飛鳥に返事をすると、西野は1歩踏み出して、思い出したように振り返る。
『…○○、しつこくてごめんやけどさ…』
「ん?」
『…ホンマに、あんなに愛してくれる人おらんと思う。…絶対手放したらアカンよ。』
「大丈夫だよ。」
その言葉を聞くと、西野は満足そうに飛鳥の元へ走っていった。
⊿
俺は、1人、PCの前で焦っていた。
大学3年にもなれば、夏前から友人たちは就職活動に向けてインターンに参加するなど動き始めて、色々な所で自分が将来やりたいこと、夢を語るようになっていた。
それに、最も近くにいる存在の飛鳥や西野が、最も俺からは遠い世界で、自分の夢を叶えていて
まるで俺だけ、修学旅行の集合時間に間に合っていない1人の生徒のような気持ちを抱いている。
「…私は、御社で…」
何度もタイピングをしては、バックスペースボタンを連打し、また自分の志望動機を描いては、消して。
300文字を漸く埋め終わったかと思い、読み返せば、一体誰がこんなことをしたいのだろうか。誰の志望動機なのだろうか、と悩む。
席を確保する時間稼ぎのために、ラージで頼んだカフェラテも、ついには容器の中身が、溶けた氷の水だけになっていた。
夏休みだからだろうが、人も増えてきた店内を見渡して、これ以上席を独占することも憚られた俺は、ノートPCをリュックに入れて、行くあてもなくカフェを出ると散策を始める。
見渡せば株式会社ーー、と看板がいくつも並んでいて、世の中にはこんなにも会社が多いのかと、実感した。
そしてそのどれにも、就活生がいて、志望動機を書いて、自分をPRしているのだ。
でも、俺は何処に行けばいいんだろう。
何をしたいんだろう。
そう考えていた時、大きなホールでの"夏の音楽祭"と書かれたポスターに目が止まった。
いや、正確には、
"生田絵梨花"という、たった5文字に。
近づいて、ポスターをくまなく探すと、当日券が販売していることを知り、俺は市民ホールまで駆け出した。
学園祭の日のように。
夢中で走って、ホールの外の係員に、3000円を押し付けると、チケットを受け取ることも無く中に駆け込む。
あの日とは比べ物にならないほどの大きなキャパの会場。
あの日とは比べ物にならないほどの大勢の観客。
そして、あの日とは比べ物にならないほどの、大きな存在感で、ステージの中心に力強く立っている絵梨花。
彼女は、ゆっくりとマイクを握って、一礼をすると、柔らかな声で語り始めた。
『…今、こうして、こんなに多くの方々に私の歌を聞いて頂けることが、どんなに幸せなことか、私は分かっているつもりです。』
『ここに立つまで、多くの辛いこと、苦しいことがありました。』
『…時には、大切な人に裏切られたって、そう感じて、塞ぎ込んで、何にも出来ない時もあった。』
『…でも、私は色んな方々に支えられて、背中を押されて、今、ここに立ってます。』
『…もし、今何か勇気が出なかったり、先が見えなくて困っている人が居たら、そんな方々の背中を、私が少しで押せたなら、嬉しいです。』
『聞いてください。きっかけ。』
────まるで、その歌は彼女の人生を表現しているようで
そして今、その歌がここにいる皆の心に響いていて
他の誰でもなく、俺自身が、絵梨花からとてつもないほどの大きな力で背中を押されていると、そう感じた。
いつしか俺は、チラシをグチャグチャにするほど強く握りしめながら
何度も
何度も瞳を拭って
涙でぼやけてしまう絵梨花の姿を、必死に脳裏に焼き付けようとした。
こんなに輝いて、誰かの為に、歌を届けることが出来る力を持っていた彼女を
俺は危うく、"俺"という狭い世界の籠に閉じ込めようとしていたのかと。
どうして、俺は、あの時──────
⊿
『…○○、いくちゃんと仲直りして。』
「…齋藤?」
『…それが、私の願い。…優勝したら、聞いてくれるって言ったでしょ?いつまでもうじうじと意地張ってるだっさいあんたなんか、見たくない。』
瞳に多くの涙を堪えながら、俺の背中を押してくれた齋藤に、俺はハッキリと「もう迷わないから」と、伝え、絵梨花が待つホールへと走り出した。
まだ、絵梨花の順番には十分に間に合うはず
そう思った瞬間に、横に黒塗りのベンツが止まって、中からは見覚えのある顔が出てきた。
「…○○くん?どこに行くんだ?」
「…絵梨花のお義父さん。」
「…市民ホール…か。彼女のオーディションの。」
躊躇いながらも、俺はゆっくりと頷くと、絵梨花の父親から、乗りなさい、と車の中に導かれる。
「…この前は、すまなかった。…君たちを、引き裂くような誤解を産んでしまったようだね。」
「…誤解?」
「…あのあと、絵梨花に酷く怒られたよ。どうしてそんな酷いことを言ったのか、とね。…私は、絵梨花はただ君を利用しているだけだと、そう思っていた。…けれど、泣きながら、喚く絵梨花を見て思ったんだよ。」
「絵梨花は、本当に、君のことを愛しているんだ、とね。」
「…俺も、絵梨花を信じてあげられませんでした。…あなたにそう言われて、絵梨花を疑った。…でも、だから、もう迷わない。俺は絵梨花と一緒に居たいんです。」
その言葉を聞いた、父親は、静かに一筋の涙を零した。
「…君に、出会えて本当に良かった。…頼む。…君にしか頼めないことがある、どうか、どうかたった一つの願いを聞いてくれないか。」
「…なんですか。」
「絵梨花のそばにいてあげてくれないか。…そして、君と同じ所で構わないから、大学に進学するように、説得して欲しい。」
「…けど、絵梨花は歌手になりたいんですよ。…その夢を、応援しないんですか。」
「…私は、先が長くない。…持って1年だ。…若いことに不摂生や過労を繰り返したツケがきて、体がボロボロになっている。」
「…嘘、ですよね。…絵梨花は…知ってるんですか。」
「…母親を自殺で亡くしている一人娘に、そんなことが言えると思うかい。」
「…そんな…」
「…私がそもそも高校3年に上がる時、絵梨花に跡取りを見つけろと、そう伝えたのも、それが理由さ。」
「…じゃあ、本当は、あなたは会社の跡取りなんて…」
「会社なんて、いくらでも、くれてやるさ。…絵梨花さえ、絵梨花の人生さえ、ちゃんと真っ当に歩んでくれるなら。…私が欲しいのは、会社の後継者じゃない。…絵梨花をただしい方向へ導いてくれる存在、だ。」
「…歌手、応援できませんか。」
「…私があと10年生きられるなら、手放しで応援する。…玲香の、彼女の母親の夢だったからね。…でも、私がいなくなったあと、身寄りのない絵梨花にそんなリスクのある夢を追わせることは、出来ない。」
「…だから…大学に行けと。」
「…古い考えだと笑っても構わない。…子供を信じていない親だと蔑ん出もらっても結構。…それでも私は、絵梨花に、普通の人生で構わないから、幸せになって欲しいのさ。」
「…お義父さん。」
「…歌手になって、人生の大成功を収めることより、確実に、平凡な幸せを掴んで欲しい。…親とは、子どもの大成功を追うことよりも、大失敗をするリスクを排除しようとしてしまうものなのさ。」
「…」
「着いたよ、あとは、君に任せる。私はホールの外から彼女の声を聞くことにするよ。」
「…まさか、ずっと、…いつもオーディションの度、絵梨花に黙って聞きに行ってたんですか。」
「…玲香によく似た、透き通るような声だ。…私には音楽の才能がないからかな、何故絵梨花が選ばれないか、ちっとも分からないよ。」
⊿
あの瞬間に、俺は絵梨花の父親の偉大さを身に染みて感じた。
そして、クリスマスの日、絵梨花と離れ離れになり
冬休み明けの教室に、絵梨花はいなかった。
ただ一言、担任から
「生田は、忌引でお休みだ。…お父さんが───」
俺はその言葉に、彼と交わしたシャンパングラスの音を思い出しながら、教室で1人嗚咽した。
そんな記憶が、一瞬でフラッシュバックすると共に、あの時、絵梨花はどんな気持ちだったのだろうと、胸が締め付けられた。
俺に裏切られ
父を失い
それでも、絵梨花は、今、あそこで輝いている。
俺は、何をしていたんだろう。
『─────自分のこと 自分で決められず
背中を押すもの 欲しいんだ
きっかけ
決心のきっかけは 理屈ではなくて
いつだってこの胸の衝動から始まる
流されてしまうこと 抵抗しながら
生きるとは選択肢 たった一つを
選ぶこと』
彼女は、俺や、お義父さんの想像を遥かに上回るほど、強く、逞しい女性だ。
『決心は自分から 思ったそのまま…生きよう』
「お義父さんっ……!!ごめん…なさいっ…!!俺は…俺は、貴方との約束を…守れませんでしたッ……!!!!」
力なく、俺はホールの階段に座り込むと、1人、お義父さんへの懺悔を口にし続けたのだった。
⊿
『ありがとうございました。』
共演者の方々にお礼を述べながら、控え室に戻ると、マネージャーから差し入れを手渡される。
「最近、多くなってきましたね。どんどん知名度と人気も上がってきてて。変な人に騙されないように気をつけてくださいよ。」
『大丈夫ですって。私は、歌以外興味なし!!彼氏なんていりませんから!!』
おどけて見せた姿に、笑いながら次の舞台へ向かうための配車の為に、マネージャーは控え室を出ていった。
最初は一通あれば大喜びしていたファンレターも、いつの間にか数が増えてきて、誹謗中傷より賞賛の数が殆どになってきた。
こうやってファンの方々からフィードバックを貰えることが何よりも嬉しくて、私はいつも一通一通丁寧に読んでいる。
その中に1つ、宛名も、差出人もない手紙が入っていた。
何となく、気になって、手に取り、中を開く。
" きっかけ 感動しました。
自分の人生の背中を押してくれました。
俺の人生に影響を与えてくれました。
誰よりも、貴女の歌う姿と声が大好きです。"
間違いなく、彼の字だった。
一緒に勉強する時に、何度も目にした、あの字。
『……○○……○○…!!』
私は衣装の格好のまま、控え室を飛び出すと、マネージャーが慌てて走ってくる。
「ちょっと、生田さん早く着替えて!!次の舞台に…」
『これ!!出した人どこに行った!?どこから帰ってるの!?』
「え?いや、受付から渡されて、中身チェックしただけだから、直接差出人は見てません。」
『わ、分かった!!ごめん!!5分だけちょうだい!!』
手紙を大切に握りしめ、走ってホールの外にかけ出す。
人通りが多い中で、衣装用のドレスで走っている私の姿は目立つから、色んな人に白い目で見られるけど、そんなことはどうでもいい。
私は、あなたにさえ会えれば─────
⊿
『答えてよッ…!!』
病院の待合室に響いた私の声に、一拍置いて、○○が頷く。
頭が真っ白になって、気がついたら私は○○の頬を打っていた。
「…ごめんなさい。」
力なく、心ここに在らずと言った感じで返事をする○○。
『…信じられない。…もう隠し事はなしって、約束したのに。どうして1番大切なことを、隠してたの!!』
返事もないまま、俯いた○○に、私は感情的になったあまり
『…私たち、距離を置こう。…今の○○の事、信じられない。』
そう吐き捨ててしまった。
その夜から一週間後
年明け早々に、あっさりと父はなくなってしまった。
葬儀やら、学校の休暇やらは親戚が手配をしてくれて
そのまま身寄りのない私は親戚に引き取られ、○○と会うことも無く、退学してしまった。
退学の直前、担任に挨拶をした時、私の事情を説明したあとのクラスの反応を教えてくれた。
「…○○。…大泣きしてたよ。…日頃、あいつがあんなに感情的になることってないから。部活の最後の試合も、みんなと笑ってたのに。…相当、生田のお父さんの事、慕ってたんだろうな。」
その言葉を、その時は素直に受け取れなかった。
でも、段々気持ちが落ち着いて、周りが見えるようになった時、気づいたことがある。
ずっと、○○は何かを隠していて、かなり躊躇っていたことを。
お父様の体調を、あの日も案じていたし、お父様が願ったお酒の乾杯を引き受けてくれたことを。
そして、今なら分かる。
お父様からのお願いと、私との間で、とっても苦しんでいたことを。
きっと、私にバレた時は、私に怒られる、嫌われることなんて分かっていたのに、それでもお父様の無理なお願いを全うしてくれたんだ。
そんな大切な事に気づいたころには、もう、今更○○に連絡を取る勇気なんてなくて
私は、諦めてしまったんだ。
誰よりも、私の味方でいてくれた○○を、突き放したのは自分自身だったから。
⊿
会いたい…
ひと目でいいから、遠くからでいいから…
あなたを、もう一度見たいよ。
遠くに、見覚えのある影を見つけ、駆け寄ろうとして、私は足を止めた。
だって、
幸せそうに、飛鳥と手を繋ぐ貴方の姿があったから。
そんな彼の背中に、私はたった一言、呟く。
『…私と出逢ってくれて、ありがとう。』
Next episode will conclude this story...