「そろそろ時間だよね、出ようか。」 『そうだね、うん。』 彼女の─── あーちゃん、こと守屋茜のグラスが空になったのを見計らって、本心にもない気遣いを見せる。 カードとレシートを受け取って、大衆居酒屋を出て、歩いて最寄り駅に着く頃にはすっかり夏の夜が深くなっていた。 「意外とまだ、人が沢山いるもんだな。」 『…だね。金曜日だし、帰らずに遊んだりする人が多いのかも。』 そんな他愛もない会話をしながら、改札の電光掲示板に備え付けられた時計に目をやると、針は23時15
━━━━━━━━━━━━━━━ ※注意 「付かず離れず」のスピンオフストーリーです。 未読の方は短編集から本編をご覧下さい。 ━━━━━━━━━━━━━━━ AM5:30 寝る時には暑かったから付けたクーラーも、さすがに朝方になれば冷風が肌寒く感じられて、意図せず目覚ましの代用となった。 スマートフォンの時刻を確認し、まだあと1時間程は二度寝が出来そうだと思うと同時に、昨夜は疲れて22時には意識を手放したことを思い出し、念の為LINEを確認する。 幸いな事に業
『起きろぉ!!』 「うぉ…!?」 バフっという布団の音と共に、絵梨花の全体重と、飛び込んできたことによる重力が自分の体に掛かった。 絵梨花はグリグリと頭を俺の顔に押し付けて、起こそうとしてくる。 こんな状態で二度寝なんて出来る分けない。 「…おはよう、絵梨花。」 『起きた?』 「起こされた。」 『良かった。今日はドライブの日だからね。』 絵梨花の強い引力をもちあわせた眼差しと、大きな歯を見せて、ニカッと笑う姿は、ふとした時に俺の淡い記憶を呼び起こす。 そん
外回りの営業を終え、漸く一休みができると自分のデスクの椅子に座った途端、PCモニターに出た煩わしい社内チャットの通知が俺を辟易とさせた。 "ちょっといい" そのたった6文字に、滲み出る圧倒的不満感に、俺は聞こえないよう小さく舌打ちをする。 『あ、…あの…すみません…』 隣のデスクからおずおずとか細い声で、申し訳なさそうに遠藤さくらが俺に声を掛けた。 『…飛鳥さんから呼ばれましたよね…。その…あの……また、私が書類間違えちゃってですね…ごめんなさい。』 「いや、大丈
自分がどんなに相手の事を想っていても、 相手がその気持ちに応えてくれるかどうかは別問題だ。 だから人は、愛する人が同じように自分のことを想ってくれていると、この上ない幸福感に包まれ、それだけで生を実感できるのだろう。 逆に言えば、意中の人から想われなければ、返って自分の自己肯定感を傷めることになる。 人が1番、醜く、愚かで、そしてどうしようもなく足掻くのは、愛する人に愛してもらう為の努力の瞬間だ。 もし相手の気持ちさえ簡単に掌握できるのならば、皆、こんなに苦しまずに済
────────── 「…マジ。…これ、俺のために…?」 恐る恐る手を伸ばした〇〇は、私から小さな正方形の箱を受け取ると、分かりやすく頬を朱に染めた。 『…嬉しい?』 「…うん、めちゃくちゃ嬉しい。」 少し、マウントを取り気味に上から目線で嬉しい?なんて聞いたけど、内心はドキドキしていた。 そんな私の心の駆け引きには一切気が回る様子もなく、彼は素直に嬉しいと言ってくれる。 そういう所なんだよね、好きなの。 『…勘違いしないでね。』 「…え?あ、あー…なるほど
────────── 「…気付いてるかもしれないけど、俺は好きだよ。」 ようやく絞り出した俺の言葉に箸を止めると、遥香は一口だけ麦茶に口を付け、一呼吸置いた。 『…ありがとう。…でも、私はそういう関係としては、見れてないかも…』 「…そっか。」 『…何か、ごめんね。…そうだよね。こんな中途半端な関係だから、訳わかんなくなっちゃうよね。』 「いや!全然…俺は今まで通り…」 『…もう、来るのやめるね。家に。』 ────────── カチャッ…という、金属のグラス
『やだ!!』 「ヤダじゃない!!いくよ!!」 『ヤダヤダヤダ!!無理!!絶対いや!!』 ぐんっと、ソファーにうつ伏せでしがみついて一向に動こうとしない絵梨花 もう今年で3回目だが、毎度当日の絵梨花は全く言うことを聞かない。一種の冬の風物詩と言える光景だ。 鍋、雪、クリスマス、そして 予防接種を頑なに嫌がる絵梨花。 「もう予約してるんだから、出ないと間に合わなくなるって」 『私は予約してなんて言ってない!』 「しないと行かないだろ!」 『行かなくてもかからな
「おはよう、飛鳥様」 彼女の綺麗な黒髪を撫でて呼びかけると、まだ重たい瞼を擦りながら、はにかんだ表情で悪態をつく。 『何、飛鳥"様"って。キモイんだけど。どうした。』 バカにしたように笑う声も、少し乱れた髪も、シーツに顔を隠す仕草さえ、全てに愛情を注いであげたいほどだ。 彼女がそばに居るだけで、どんな朝だって、起きる理由になれる。 「今日は飛鳥のことをお姫様みたいに扱って、日頃の感謝を伝えようと思ってさ。」 『何それ。変な映画でも見たの?バカみたい。』 「面白そ
夢に見たキャンパス 憧れていた、大学生活 新品のスーツ ここから、新しく私の大学生活が始まるんだ…!! そんな風に意気込んで、入学式が行われる講堂に向けて石段を歩み始めたのも束の間 パキッ…という音とともに、右側に私の視線が傾いた。 『ふぇ…?』 嫌な予感しか、しない。 恐る恐る右脚を見ると、買ったばかりのはずのヒールが折れていた。 『えぇ〜……なんでよ。…どうしよ…』 キョロキョロと、不安そうに周りを見回すけれど、ガヤガヤとした中で、見知った顔なんて見当
笑ってしまうくらい、ドラマチックな恋の始まりだったと思う。誰に馴れ初めを話しても、感激されるような。 僕が遥香と出会ったのは、僕の命日になるはずの日だった。 ちょうど、"あの日"から1年が経った日。 "あの日"から、僕の世界は止まったままだった。 無色で、無味で、無臭で、 そして、無意味なこの世界にピリオドを打とうと、隣の市まで向かう終電が走る線路に、歩みを進めた。 遮断機をくぐって、暗い線路に警笛を鳴らしながら走ってきた電車のライトが、僕の顔を照らす。 さよう
「おはよう、飛鳥」 集中しすぎるあまり、○○が起きてきたことに気がついていなくて、ビックリする。 『…おはよう。』 「どうしたの、そんなに驚いて。」 『いや。…それより、はい。…郵便届いてたよ。…カードの請求書。』 「え……見た?」 『…とりあえず、3つくらい説明してほしい請求があるから、後で教えてもらうね。』 「終わった…。」 『どーせまた、変なガラクタ買ったんでしょ。』 「…まぁ、はい。…」 『とりあえず、私今日撮影早いから出るね。仕事、行く時は戸締り
「ほら、史緒里。バンザイして。ばんざーい。」 『…うー…やっ!!』 キャッキャッと笑って部屋を走り回る史緒里を追いかける。 母親に似て明るく元気な子に育ってるなと、微笑ましく感じながら、俺は史緒里を捕まえた。 『えへへっ』 「史緒里。バンザイして、お服着なきゃキラキラのママ見に行けないよ。」 『やっ!!ママみゆ!!』 「じゃあ、服着替えるよ。バンザーイ。」 『あいあーい。』 小さな手を、目一杯天井に向けた史緒里に、外行き用の服を着させる。 「よし、じゃあ車
これまで、冬は大嫌いだった。 寒くて起きることが億劫になる朝も。暖房で乾燥する喉も。着膨れをして、動きづらくなる学ランも。 夏派、冬派論争は皆、必ず経験したはずだ。 冬派の言い分は「夏はどんなに脱いでも暑い。冬は着れば凌げる。」だろう。 それに対する夏派である俺の反論はこうだ。 「夏は、どんなにやる気がなくても頑張れば動けて、活動が出来る。冬は、寒すぎて本当に外に出る気力が無くなって、活動が出来ないじゃないか」 それが本当に正しい反論かと言われれば、そうではない。
『つまづいたり、転んで泣いてみたり。決して上手く生きれるあたしじゃないけど。』 歌えば、歌うほど。 1小節毎に、メロディを刻む度 『あなたがほら、あたしの手を引くから』 あなたへの想いが、気持ちが増していく。 私の音楽に、誰かへの愛情という伴奏を付けてくれたあなたが。 『怖がる、心も、強くね。なれるよ。』 ○○のことが、どうしても、大好きだよ。 もっと、 もっと響け、 まだ来てない○○に届くように。 このホールの外まで… この街の遠くまで… ○○の、
「まずは、1年生代表の、遠藤さくらちゃんです!!部活は吹奏楽、特技は…」 そんな司会の声を聞きながら、舞台の裏でずっと、心を落ち着けるように私は彼のことを思い返していた。 いつだって、私を照らしてくれた、○○のことを。 高校に入るまでは、まさか私がこんな全校の注目を浴びて、ステージに上がり、ミスコンに出場するなんて、夢にも思わなかった。 "暗い" "地味" "つまらない" 私の中学3年間は、そんな言葉で形容される。 上手くノリに乗れないのは、私のせいでシラケた