最後のTight Hug①
2週間ぶりに登校した朝。
校舎の前に貼りだされた新学期のクラス表を前に、あちこちで様々な感情や言葉が飛び交っている。
友人とまた同じクラスになれたとはしゃぐ男子。
早くも今年1年間のイツメンを確定させようと、猫の皮を被って喜びの感想を取り繕う女子。
さしてクラスに興味なさげといったリアクションで、自分の名前だけを確認するもの。
担任が、部活の顧問だと知り、阿鼻叫喚している運動部員達。
強いて言うならば、俺の希望としては─────
『お前、3-1だよ。今年もよろしく。』
掲示板を覗きに行く前に、高校生活最後のクラス分けをネタバレされてしまった。
「今年もよろしくって…」
『同じクラス、結局高校3年間もずっと私のこと付け回してきたね』
「クラス分けに俺の希望なんか入るわけないだろ」
『…へぇ?意向、じゃなくて希望、なんだ』
しまった。
ニヤニヤと笑う齋藤飛鳥に、俺は口を滑らせた事を大いに反省すると共に背中を向けて教室に歩き出した。
『ねぇねぇ、無視すんなよ。私と同じクラスが嬉しくて早く教室に行きたい気持ちは分かるけどさ』
「いち早くお前と離れたいから席につきたいんです。」
『離れられると、いいね』
またニヤニヤとした笑みを浮かべた齋藤は、そそくさと上履きに履き替えると、俺を置いて先に教室へ小走りして行った。
3年の教室は、校舎の3階に位置する。
つまりそれは去年、もとい2週間前までより更に1階数分登る階段が増えるわけで
なんちゃってバスケ部の自分にとってはそこそこにしんどい。
1段飛ばしで階段をのぼり、3階に着くと直ぐに1組があって教室に入った。
ここが、最後の高校生活の教室か。席は出来れば後ろの方だとありがたいんだけど…
そんな誰しもが抱く願望を考えているとふと、あることに気がついた。
先に行ったはずの齋藤の姿が見えない。それどころか、教室に貼りだされたクラス名簿に俺の名前がない。
「…あれ?」
脳裏によぎる、齋藤のニヤついた顔を裏付けるかのように同じバスケ部の△△に声をかけられた。
「〇〇、お前2組だぞ。」
⊿
『…へそ曲げんなってー…間違えただけじゃん!!』
朝と変わらずにまだニヤニヤとしている齋藤を無視して、昼食のサンドイッチを袋から取り出す。
『お邪魔しまーす』
俺の機嫌なんてまるで意に介さないように、齋藤は机を俺にくっつけてきた。
「やめて貰えます?」
『いいじゃん、一緒に食べようよ。…山とクラス離れて寂しいんだもん。』
山、とは山下美月のことで、齋藤の、唯一無二の親友。彼女は友達が多い一方で、齋藤はあまり友人が多くない。と、言うと少し失礼か。
「…まぁ…いいけど」
『良かったな、友達少ないお前とご飯を食べてくれる私がいて!!』
…大概こいつも失礼極まりないが。
『…高3か…受験嫌だなぁ』
「…齋藤って、行ける大学あんの?」
『失礼なやつだな。今は少子化の時代だぞ?』
頼みの綱が自分の学力ではなく、全国の大学の定員割れであることの時点でかなりお察しだな。
高3の初日から、午前のこいつは教科書を忘れるわ、携帯がなるわ、かと思えば居眠りするわで問題行動のオンパレードだった。
横でそれを見るのも、なかなか面白かったけど。
ちなみに今後の弱みを握るために、そっと教科書でかくしながら齋藤の寝顔は無音カメラで確保させてもらった。
…いざって言う時に、使うだけだけど。
『〇〇って、今日面談の日?』
「いや、俺は明日。…何で?」
『そっか、良かった。火曜日で部活休みでしょ。今日も゛旅゛行こうよ。旅。』
「あー、いいけど。」
旅、とは俺と齋藤の間の隠語だ。帰り道に、通学路と違う裏道を通ると、隠れ家的なカフェと古本屋を兼ねた店がある。そこでは古本以外に最新の雑誌も揃えていて、コーヒーを飲みながら読めるというなかなかに粋なお店だ。
゛やばい!!ここ凄くよくない?まるで旅してる時みたい!!゛
そんな初めて行った日の齋藤の感想から、旅と称するようになった。
『じゃあ、終わったら裏門集合ね』
「おっけ。」
はやる気持ち、高揚感で口元が綻ばないよう、俺は慌ててペットボトルでサンドイッチを流し込んだ。
⊿
「あれ…、ちょっと待って」
『何やってんだよ、早く早く』
サドルに跨ったまま、俺を煽るようにベルをチリンチリンと鳴らす齋藤。
その音に急かされるようにポケットを漁るが、自転車の鍵が無い。カバンの中も漁ってみたものの、出てくるのは新学期で新調した手帳と、ノート、筆箱とイヤホンだけだった。
「教室に忘れたかも。」
『もー、どんくさいな』
「先行ってて、教室にあるはずだからすぐ行くわ。」
『あっ、おい…!!もぉ…』
多分あるはずだ、大丈夫大丈夫。
自分の心を落ち着けるよう言い聞かせながらも、それでも早く安心したい気持ちから駆け足で教室まで駆け込んだ。
そういえば、三者面談だからみんな居ないのか、と教室の外から1人椅子に座っている女子を見て思う。
ガラガラッ、という建付けの悪い音に反応して、椅子から立ち上がったのは生田絵梨花さんだった。
『…あ…なんだ…〇〇くんか…』
先生か、親と勘違いをしたのだろう。生田さんは俺だと認識した途端、キツくつり上がっていた目が少し和らいだ。
「ごめん、驚かせて。…自転車の鍵忘れただけだから。」
『うん。』
駆け足で、自分の机の中を漁るとお目当ての自転車の鍵が出てきた。
良かった、そういえば今朝はクラス表を見ようと思っていつもと違う動きをしたせいで机の中に突っ込んだんだった。
忘れていたことは、無くし物が見つかった時にいつも思い出す。
「ごめんね、邪魔して。…今日三者面談なの」
『…うん、そうなんだ。』
教室で二人きりということもあり、生田さんに話を振ってみたが、特段互いに打ち解けている訳でもない為、よそよそしい反応だった。
ちなみに生田とは、今年初めて同じクラスになったからほとんど面識はない。
…強いて言うならば、イメージとしては真面目。
授業中に齋藤のスマホがなったときも、ふと自分の前の席の生田さんを見ると、冷たい目で齋藤のことを見つめていた。
「…そっか、頑張ってね。」
そう言って教室を出ようとした時、後ろから゛ひゃっ…!!゛という甲高い声が聞こえる。
振り返ると、教室に入り込んでいたハエが飛び回っていて、ちょうど生田さんの周りに来たようだった。
『…わっ…わっ…!!』
フルフルと頭を振り回していたが、ピタッとハエは生田さんの机に止まってしまい、彼女はその机から2mほど離れる。
『…どうしよ』
まさに虫が苦手な女子といった反応で立ち尽くしていたので、俺はカバンに入っていたプリントの裏紙を持って生田さんの机に近づいた。
「外に逃がすよ」
『待って!!あたしの机の上で潰さないでよね!!』
ありがとう、とかごめんね、より先にその言葉が出るとは意外だったが、
「大丈夫だよ」
とだけ言って、プリントでハエを掬おうとした時、俺たちを嘲笑うように飛び立った。
『うわっ…!!』
自分目掛け、飛び立ったハエを避けようとして、椅子に足を引っ掛けた生田さんが躓く。
「あぶなっ…!!」
俺は慌てて生田さんの腕を掴み、もう片手で生田さんの背中に手を回して支えた。
『うっ…』
目の前に生田さんの顔があって、傍から見ると俺はハグをしていると見えてしまう、そう気がついた時には───────
「絵梨花ッ…何してるんだ!!!!」
教室内に響き渡った怒号に一瞬で緊張がはしって、驚き振り向くと、シワひとつない綺麗なスーツを来たダンディな男と、目をまん丸として驚いている担任の姿が。
「あ、すみ、すみません…!!」
慌てて生田さんを離したものの、生田さんの父親はそれはもう鬼のような形相で
「名前はなんだ?どういう関係なんだ?…何していた、すみませんとはどういうことだ…!!」
と、矢継ぎ早に質問を浴びせながら、近寄り、俺は学ランの襟を思いっきり掴まれた。
いやいや!寧ろ俺は娘さんを救っただけなんですけど。
そういうことも出来ないうちに、生田さんの父親はあれやこれやと罵声を浴びせてくる。
「生田さん…落ち着いてください…!!まだ彼も何か理由があったのかもしれない…!!」
そう慌てて担任が止めに入ってくれて、物理的には開放されたものの、まだ父親は収まらないと言った感じで、次に生田さんを標的にした。
「絵梨花ッ…!!」
『は、はい…お父様…』
「説明しなさい」
ここで、生田さんが「つまづいたのを支えてくれただけです。彼は悪くありません。」
そう言ってくれて、全てが丸く収まると思っていた。
というか、現代でお父様、なんて…
そんなことを呑気に考えていた俺は、信じられないような言葉を耳にする。
『…〇〇…くんです。…お付き合いさせてもらってて…抱きしめてもらっていただけです。…ごめんなさい、お父様…』
───────は?
信じられない言葉が生田さんの口から紡ぎ出され、父親は再び鬼のような形相で振り返ると
「そうなのか」
と、問う。
いや、ちょっと待ってくれ、そんなわけないだろうと反論の口を開こうとした。
したのだが、
『…』
くっ、とスカートの裾を強く握り締めたまま、ビクビクと震えて、険しい表情で俯く生田さんが視界に入る。
きっと、理由は分からないけれど、ここで俺が今の言葉を否定すれば、生田さんは嘘をついたとこの頑固な父親に酷く叱責されるのだろうということは、理解出来た。
しばらくの逡巡ののち、゛まぁ、この場さえ丸く収まるなら、口裏を合わせてあげた方が良さそうかな゛
そう、安易に結論づけてしまった。
「…はい。真面目に…お付き合いさせていただきます。…この度は、娘さんに触れてしまい、申し訳御座いませんでした。」
釈然とはしないながらも、頭を下げる。
まだ、父親は俺に何かを言いたそうな素振りではあったが、くるりと担任の方に視線を移す。
「…先生、今日は連れて帰ります。また別の日程で、進路はご相談させてください。」
そう言うと父親は、来なさいと、生田の腕を掴んで教室から出ていった。
父親に連れ去られる間際、生田さんは俺の方をチラリと見ると、申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。
その親子の後ろ姿に呆気を取られたまま、担任が口を開く。
「……知らなかったよ、お前と生田さんが付き合ってるなんてな。」
「…ええ、俺もです。」
「…は…?」
これが、俺と絵梨花との出会いだった─────
to be continued...
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