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最後のTight Hug⑥


去年の9月頃だった。

齋藤を意識してしまっていると気がついたのは



『夏休み、何か面白いことあったか?』


夏課題を回収されながら、齋藤は答えを写し終えた俺のノートを返してそういった。


「…面白いこと…あぁ、そう言えば中学の同期と部活に顔を出したんだけどさ…」


そこで俺が当時想いを寄せていた部活のマネージャーと再会した話を、何となくしてみた。


「めちゃくちゃ可愛い子だったんだよ。…こっそり俺だけタオルを渡してくれたりして…」



いかにその子が魅力的だったか、仲が良かったか、きっと告白すれば付き合えたのではないか、という話を誇らしげに語った。

一段落着いたところで、つまらなそうに話を聞いていた齋藤が、ポツリと呟く。



『…で、その子の事は今でも好きなの?』


「…え?」


『だから、そのマネージャーの子…今でも好きなの?そういう話?』


想定外の質問に、一瞬の間が空く。

正直にいえば、俺は彼女のことをすっかり忘れていた。完全に彼女は思い出の1部になってしまっていたから。


「……いや、この前会うまで思い出してなかった気がする。」


すると、齋藤はパッと明るい表情になり、誇らしげに笑う。




『…じゃあ、アンタの人生で印象的な異性、暫定1位は私って訳だ。』

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「…アホか、お前は全然違うよ…」



きっと、そんな上辺だけの返事をした気がする。



──────彼女のことなんて思い出さなくなったのは、齋藤と出会ってから…か…?



不思議なものだ。


先に出会ったのは彼女のはずなのに、そして当時その子に恋心を抱いていた時には、齋藤飛鳥がこの世に存在するなんて一切知らなかったのに。


今や齋藤は、そんな彼女への想いを遥か遠くへと追いやってしまう存在になっている。


その日からだ。


俺の瞳に映る世界では少しだけ、ほんの少しだけ齋藤が強調されるようになって行った─────




もし、こんな状況でなければ、どれほど齋藤と触れ合ったことを幸せに感じられたのだろう。


彼女の華奢な体を、俺の腕で包み込むことが出来たら、


彼女の精一杯の言葉に、素直に喜ぶ姿を見せてあげられたなら


俺自身の想いを、嘘偽りなく伝えられることが出来たなら。


悶々とした欲求と、ぶつけようのない不公平感を抱きながら、研修所の自習室に戻ろうとした時、生田さんに呼び止められる。



『…あの、〇〇くん…』


ずっと、ここで待っていたのだろうか。自習時間が始まるギリギリまで。


生田さんのその顔を見た途端に、先程まで清田と手を繋ぎ、仲睦まじく話していた記憶がフラッシュバックした。



──────生田さんの嘘に付き合ってあげてる俺が、どうして我慢をしなければならないんだ。



そんなのは、安易に生田さんとの仮交際を受けいれた自分の責任で、完全な八つ当たりだと分かっているのに、そう思わずにはいられない。



「…何。」


『…清田くんと、手を繋いで、ごめんなさい…』


生田さんはおずおずとしながら、頭を下げた。そのまま目線を落としたまま、体の前で両手をキュッと握りしめて、俺の返事を待つ。


「…ごめんなさいって、別にいいじゃん。そういうルールだし、俺も問題ないって、言ったんだから…」


『…でも…』


「…でも…?」


『…〇〇くん……怒ってる…』


「怒ってないよ…」


『…怒ってるよ…目が怖いもん……私が戻ってきたときも…すぐに目を逸らすし…』


「別に。…楽しそうでなによりだと思っただけだよ。…そんなに楽しいなら清田と付き合ってればいいんじゃない、とは思うけど。」



最低だ、と、分かっていた。

でも、抑えられない不思議な感覚が、胸に渦巻く。

それは人としては最も醜いとも言える、嫉妬、独占欲、傲慢の全てを包含した感覚だった。



俺は、君のためにやってるのに、君は、俺以外を見てるんだね。と



『…どうして…どうしてそんなこと言うの…』


「どうしてって…素直な気持ちを言っただけだよ。」


『…そんなこと、言わないで。私は〇〇くんがいいの…清田くんのことは、謝るから…』


「…いいよ別に」


きっと生田さんは、付き合っているのに手を繋いだのは悪い事だと思って、謝っている。


けど、俺の感情はもう少し醜いものだ。


それでも、素直に、「俺の生田さんなんだから、誰にも触らせたくない。…本当に付き合ってるわけじゃないけど、俺以外を見るな。」なんて、言えるわけもない。


匙を投げるように、横を通り過ぎようとした俺の腕を生田さんは掴んだ。




『…自分だって……飛鳥ばっかりの癖に…』

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「…それは…」


『この2週間、ずっと、…飛鳥とふたりで残って…今日だって、ずっと2人で係をして…今だって…2人っきりでいたくせに…』


「…イベント係だから、しかないだろ…」


『私だって…そのイベント関連で清田くんといただけだよ。それに私は、ちゃんと〇〇くんにも確認した…。〇〇くんは、飛鳥といることを私に確認してくれたこと…ないじゃん…。』


「…齋藤は…別じゃん…」


『何それ…意味わかんない…』


「関係ないだろ…そもそも生田さんになんで俺と齋藤の関係をとやかく言われないといけないんだ。」


『じゃあ、私だって清田くんとの関係をとやかく言われる筋合いない…』



「齋藤と清田は別!!齋藤は生田さんにとっても友達で、清田は他人だろ…!!全然違うじゃないか…!!」



『…分かんないよ…!!』



そんな生田さんの大きな声が廊下に響き渡り、一瞬、冷静になる間ができる。


我に返って生田さんを見ると、彼女は瞳いっぱいに涙を堪えて、強い眼差しで俺を睨みつけていた。


『…私だって…そう思ってるよ。飛鳥は友達。でも…不安なんだよ。…飛鳥と何話してるんだろうって…何してるんだろうって…本当は私なんてって…!!』

「……」

『…でも…我慢してきた。…〇〇くんに…嫌われたく…ないから…』

「もうさ…」

『…』



「…別に、もういいじゃん。…俺ら、本当に付き合ってるわけじゃ無いんだ。…一体いつまで、この嘘に付き合えばいいんだよ!!」



言い切った頃には、生田さんは力なく俺の腕を離していた。


ついには、瞳いっぱいに堰き止めていた涙をポツリ、ポツリと垂らし始めると、生田さんは俯いたまま呟く。



『…そう…だよね…本当に付き合ってるわけじゃないもんね…。…〇〇くんには…迷惑なだけだったよね……』





『ごめんなさい……っ…』

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──────やってしまった。


そう気がついた時には、もう生田さんの姿は見えなくなっていた。



どうして、彼女の責任にしてしまったのだろう。


本当に責任を取るべきなのは、安易に安請け合いをしておきながら、今更になって齋藤の事が気になっている自分なのに。


ぶつけようのない怒りを昇華する方法もなくて、俺はただ1発だけ、壁を強く殴った。




夏合宿から、2週間─────


「ここが勝負だからな。また、休み明けに成長したお前らを見せてくれ。じゃあ、課題一覧表貰ったやつから帰っていいぞ。」


終業式を終え、ついに受験の夏が来た、と言わんばかりに担任の熱の篭ったスピーチを聞き流した俺たちは、午前中には放課となった。



もう部活に参加するものなんて当然居なくて、あるものは図書室へ向い、あるものは塾へ向い、そしてあるものは現実から目を背けるように遊びへと向かう。



夏休みとは言いながらも、実際は明日からも希望者のみの補習講義が続くし、3年の棟だけは開放されるから、みんな大体は登校することになるが。


かく言う俺は、月水金は学校で自習と補講を受け、火、木、土曜は塾に籠るつもりである。


今日やるつもりだった英語の教科書をカバンに詰めていると、前の席から────生田さんから、プリントが回ってくる。


「…あ!ありがとう」


そう返すものの、生田さんは小さく頭を下げただけで、目を合わせることも無く前を向いてしまった。



あの日以来、生田さんとは連絡を取っていない。


合宿から帰ってきた晩に送ったLINEも、既読がついたまま返事はなく、週明けの月曜日からは、生田さんの車が迎えに来ることは無かった。



最初は周りから、破局したのか、とかただの痴話喧嘩だろ、とか…あるいは一部で清田に乗り換えられた、なんて噂も立てられたが


あまりによそよそしすぎる俺と生田さんの関係に、ついに周囲もなんとなく腫れ物に触るようなリアクションで、介入してこなくなった。


これって、もう自然消滅…する流れだよな。


生田さんの後ろ姿を眺めがら、そんなことを考えていると



『…おーい、〇〇。』


隣の齋藤から机を叩かれる。


「え、何」


『何、じゃないよ。後ろにプリント回せよ。みんな待ってるぞ。』


「あ、ごめん…!!」


慌てて1枚だけプリントを抜くと、後ろに回す。


『…どうしたんだよ。…最近変だぞ』


「…そう、かな…」



歯切れの悪い返事に対して、齋藤は口パクで゛い・く・ちゃ・ん?゛と、生田さんの背中を指さしながら問う。



「…うん。」



そう頷くと、齋藤がスマホを取り出してラインを送ってきた。


───────まだ、仲直りしてないの。


────────連絡が帰ってこないからな。


─────いくちゃん、夏補習来ないらしいよ。


─────そうなんだ。


─────そうなんだ、じゃないよ。…今日仲直りしとかなきゃ、来月末まで会えないかもしれないよ。


──────俺らって、別れてるのかな。



───────そんなの、私に聞かれても…



そんなやり取りをしている時だった。


ガラッ…!!と2組のドアを乱暴に開けると、鬼のような形相で山下が教室に入ってくる。


『…山…?どうした…』


そんな、齋藤の言葉を無視すると、山下は腕を組んで生田さんの目の前に立つ。



異様な山下の殺気に、教室中の視線が山下と生田さんの2人に注がれていた。


『…な、何…』


『…ねぇ、生田さん。…そろそろハッキリさせてくれない。』


山下は相変わらず腕を組んだまま、見下ろすように生田さんを睨みつけている。


「…どうしたんだよ、山下。何怒ってんだよ。」


ただ事じゃないと察した俺は、椅子から立ち上がると、二人の間に割ってはいった。



『どうしたも、こうしたもない。…あんたもそうだよ。ハッキリしなさいよ。いつまで白を切るつもり。』



「…だから、何のことを言ってんだよ。」



そんな俺の言葉を無視すると、山下は冷たく生田さんに言い放った。





『生田さん。…〇〇と付き合ってるの、嘘だよね。本当は付き合ってないんだよね、最初から。』

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山下のその言葉に、クラス全体がザワザワとし始める。事もあろうか、担任も、目を丸くしていた。



『…それは…』



『…嘘なら、嘘って言ってくれない。…生田さんがそうやって独占してると、本当にこの男の事を好きな人が何も出来ないじゃない。』



『……』



山下の追撃に、生田さんは視線を落としたまま、小さく震えていた。



『ハッキリ、言って。…付き合ってないんでしょ。…みんなを騙してて、何が楽しいの。』



「…何言ってんだよ、山下。もういいだろ、変なこと言って怖がらせるなよ。」


『〇〇だってそうだよ!!…思わせぶりな態度とって…本当にアンタを好きな人の気持ちを…』



悔しそうに、唇を噛み締めた山下が、一瞬だけ視線を外して俺の隣を見た。



そこでようやく、山下が怒っている理由を全て理解する。


なぜ、山下が知っているのかは、置いておいて


山下は、友人の齋藤を思って、怒っているのだと。



『…生田さん、ハッキリ言って。…本当のことを教えて。』


『…私…』


『付き合ってないんでしょ。…そのくせ、朝も2人で登校する所を見せつけて、先生たちにも言いふらかして、周りを固めたんでしょ。』



気がつけば、教室中に浸透していたのは、齋藤を庇うために、真実を暴こうとする正義の味方・山下と、これまで散々みんなに嘘をつき続けてきた悪役・生田さんという構図だった。




──────嘘だったの。


──────大人しそうな顔して、やる事小賢しいな。



───────ふたりして、何がしたいんだよ。


そんな声が聞こえてくる中、ついに耐えきれなくなった生田さんがホロりと、1粒の涙を床に零す。


そんな彼女は、初めての日と同じように、ビクビクと震えながら、スカートの裾をキュッと握りしめていた。


あの日、この生田さん姿を見て、俺が安易に口裏を合わせたから、こうなってしまったことは確かだ。


軽い気持ちで、彼女を助けてあげようなんてして、後にひけなくなってしまった責任は、俺にもある。


なのに、彼女だけ、こんなふうにクラス全体から疑いの目を向けられていいのだろうか。



゛〇〇くんが好きな女の子って、どんな子かな゛


゛こうすれば、少しは暖かいでしょ?゛


゛私は〇〇くんがいい…゛


゛〇〇くんに嫌われたくない…゛

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『…私…、私、本当は─────』







「…俺は、生田さんと付き合ってます。嘘じゃない。…本当は肝試しで清田に嫉妬して、痴話喧嘩をしてました。」



『…〇〇くん……?』







「…ごめんなさい、生田さん。…俺が意地を張ってました、仲直りしてください。」





俺はそっと、生田さんの泣き顔を周りに見せないように、腕の中に彼女の顔を隠した。



to be continued...

















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