最後のTight Hug LAST
「おはよう、飛鳥」
集中しすぎるあまり、○○が起きてきたことに気がついていなくて、ビックリする。
『…おはよう。』
「どうしたの、そんなに驚いて。」
『いや。…それより、はい。…郵便届いてたよ。…カードの請求書。』
「え……見た?」
『…とりあえず、3つくらい説明してほしい請求があるから、後で教えてもらうね。』
「終わった…。」
『どーせまた、変なガラクタ買ったんでしょ。』
「…まぁ、はい。…」
『とりあえず、私今日撮影早いから出るね。仕事、行く時は戸締り忘れないで。』
「うん。はい、飛鳥。」
玄関で大きく両手を広げた○○に、抱きつく。
この時間が、私にとって1日の活力をくれる瞬間だった。
『…ん。よし、行ってきます!!』
「無理、しないようにね。」
彼に見送られて、玄関を出て、直ぐにポケットに手を入れる。
"○○様へ"
そう書かれた文字は、間違いなくいくちゃんのものだ。
『…はぁ。…どうしよ。持ってきちゃった。』
私は、ひとつ、小さなため息を着くと、その手紙をポケットに突っ込んで、気持ちを切り替え撮影へと足を運んだ。
⊿
『そう言えばさぁ』
七瀬が、横でヘアスタイリングをされながら、話しかけてくる。
彼女はまだ独身を謳歌していて、そして出産を経験していないからか、幾分か同い年の私よりまだ若々しく見えた。
『今日、リトル飛鳥ちゃん、来るんやろ』
『うん。パパが連れてくるって。』
『…はぁー…いいなぁ旦那がおって、あんなに可愛い娘がおって。羨ましい…。』
『ななが結婚する気ないだけじゃん。』
『失礼な。結婚する気はあるよ。…したい気にさせてくれる男がおらんだけ。』
『いい人、ななの周りには一杯いると思うけどねぇ…』
『…そう?…○○の100分の1も愛してくれへんで。』
『コラ、いじんな!!』
いたずらっぽく弄ってくるななを小突くと、ななは舌を出して笑った。
意外とみんな、ないものねだりをしているだけで、幸せのベクトルは違うのかもしれないな。
そう思うと、私自身、産後もこうやってモデルをさせてもらえてる事がとても幸せであると、再認識をしたのだった。
⊿
何年ぶりだろうか。
多くの時間を過ごした公園に着くと、いつものベンチに絵梨花がもう座っていて、俺はその隣に腰を下ろした。
公園内の遊具がいくつか、変わっていて
あの頃と違う子どもたちが走り回っているのを見て、月日の経過を感じた。
「…久しぶり、だね。」
『…うん、久しぶり、です。』
あのクリスマスの日以来の再開に、俺たちは2人ともさぐり合うように、言葉や話題を探している。
話したいことも、聞きたい話も、沢山あるのに
あの時のように、思うように話をすることが出来なくなってしまった。
「…そうだ、これ…」
来る途中で買った、カフェラテを絵梨花に手渡すと、絵梨花は遠慮がちに頭を下げ、両手でカップを包み込んでいた。
『…寒いな』
その言葉の真意を、きっと俺は理解していたのに
俺は、気に止めてないふりをして"そうだね"って、返事をする。
絵梨花は、『…うん。』と、心做しか、寂しそうに呟いた。
「…そう言えば、俺1回、絵梨花の歌を聞きに行ったんだよ。…まだテレビとか、出る前にさ。」
『…手紙、くれたよね。』
「そう!!…分かってくれたんだ。…良かったよ。…だから、よく周りにはさ、俺は昔から生田絵梨花を推してたって、そう自慢してて。それで───」
『…私、結婚するんだ。』
『…○○には、最初に伝えたくて』
俺を遮った絵梨花の言葉に、喋ることが出来なくなってしまう。
『ずっと、私の味方でいてくれたのに、あんな別れ方をして』
俺に出来ることは、もう、何も無くて
『…私、ずっと、ずっと後悔してた。だから、だからね…今日は、サヨナラって─────』
今度は俺が絵梨花の言葉を遮るように、精一杯の気持ちで抱き締めた。
今までよりも、長く
今までよりも、強く
今までよりも、優しく。
抱きしめるしか、無かった。
「絵梨花。…これで、最後にしよう────────」
『───────!!』
その言葉に、大きな涙を、零し続ける絵梨花に、最後のハグをした。
⊿
大きなチャペル。
神父の前で、1人、心拍数のメトロノームが振り切れそうになっているのを落ち着けながら、俺は緊張で乾いた唇を舐めた。
"新婦の入場です。"
まるで、後光が刺すように、純白のドレスに身を包んだ彼女が、ゆっくりと、1歩1歩踏みしめるように俺の元に歩いてくる。
そして、彼女の掌を手に取って、真正面を向かせた。
「綺麗だよ────────
─────────絵梨花」
『…幸せにしてね。…○○"くん"。』
「…ちょ…っ…それは…」
『あははっ…照れてる。』
そんな様子を、朗らかな笑顔で見つめながら、神父が問いかける。
"新郎。あなたは健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?"
「…誓います。」
"新婦。あなたは健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?"
『…誓います。』
"では、誓のキスを"
その言葉に、唇を重ねようとして、絵梨花が小さく囁いた。
『…分かってるよね。』
「…もちろん。」
そっと、唇を重ねた後、
俺は思いっきり、絵梨花のことをハグした。
『待たせすぎだから、バカ!!』
⊿
「ほら、史緒里、見て!!」
『ママだ!!キラキラのママ!!…綺麗ぃ…』
ステージに立つ絵梨花を指さすと、史緒里は座席の上でキャッキャっと喜び始めた。
「じゃあ、ママが歌うからな。歌う時は…?」
『しぃー…!!』
ステージの上で、大きく一礼すると、マイクを持った絵梨花にスポットライトが当たる。
『…大切な人を想って、この詩を書きました。…聞いてください。』
絵梨花のその言葉に、既に目頭が熱くなる。
何度も、何度も絵梨花が夜通し推敲を重ねて、書き下ろしてくれた、歌。
俺のために、届けてくれる想い。
───────抱きしめるしかなかった。
言葉では伝えられない──────
──────────
──────
───
「絵梨花。…これで、最後にしよう。嘘をつくのは。」
『……嘘なんかじゃ…』
「裾。」
『…裾?』
「…絵梨花は嘘をつく時や、隠し事をする時に、スカートの裾を握るくせがあるんだよ。…俺も、お義父さんも気付いてた。」
その言葉に、ハッとしたように、自分のスカートの裾から、ゆっくりと絵梨花が手を離す。
『……だって…』
「…結婚、しないんでしょ。」
『…だって○○は、もう飛鳥と結婚するんでしょ。…そんなの、直接聞きたくなんかないよ。だったら…私から、サヨナラしたい。』
「…しないよ。」
『…嘘。…手紙の返事もくれなかったくせに。』
「…手紙って、これ?」
ポケットから、綺麗に保存されたままの便箋を取り出す。
『…それ…どうして。…○○に振られて、捨てられたんだって…思ってた。』
「…飛鳥が持ってた。…持ってて、隠してたけど、罪悪感に耐えられなくなったんだってさ。今朝、押し付けられて、"未練がましい男は嫌い"って、振られたよ。」
『…じゃあ…○○は…結婚しないの…』
「…するよ。」
『どっちよ!!』
「…絵梨花としたいと思ってる。…絵梨花との約束も、お義父さんとの約束も、守りたい。」
「ずっと思ってた。絵梨花と繋いだ手を、どうして離しちゃったんだろうって。出来ることなら、もう一度だけ、やり直すチャンスが欲しいって。」
『…私も』
「もう最後にしよう、…俺らの強いハグで、お互いに抱えてた隠し事は、全部潰しておうよ。…最後のハグで。」
絵梨花を抱き寄せる力を、強くする。
絵梨花の力も、強くなる。
「…隠し事、嘘、もうない?」
『…ありません。』
「わかった…絵梨花…」
『はい…』
「結婚してください。」
『…よろしくお願いします!!』
───
─────
─────────
お義父さん。
俺は、約束守れそうですよ。
絵梨花も立派に歌手になってます。
届いてますか、彼女の歌が。
『最後のTight Hug────』
『最後のTight Hug』 FIN.