「健常者」から「障害者」へ Part2
前回の続きから話したいと思います。
退職後もしかしたら自分はこれからもっと悪くなって
したい事ができないかもしれないと思い退職金や貯金を
使い1ヶ月半東京に滞在することになります。
この時ももちろん足の疲れや痛みなどありましたが
自分が死ぬまでにしたいことの1つに
「東京に住んでみる」
ということを決めていたので当時はとても楽しかったです。今までは日勤と夜勤をして休日は少ししか遊べずと働いてばっかりだったのでとても良い息抜きになったと思います。1ヶ月半の滞在も終わり地元に帰って来てからが地獄の始まりでした。
足の太ももの筋肉がふくらはぎと同じくらいの細さになり「ASL」かもしれないと思い症状を調べれば調べるほど自分に当てはまっている気がして不安が押し寄せてきました。
そこで一度、脳神経外科の方へ受診をしました。
MRIを撮ってもらったのですが目立った原因は見つからず結局自分の症状はなんなのか知ることができませんでした。病院に行けばなにか分かって治せると思っていたのですが現実はそう甘くはなく原因の分からない病と付き合う事になるのです。とりあえずもう少し症状を見てみようという事で普段通り生活していたのですがやっぱりどんどん悪化していくので怖くなり大学病院へと紹介状を書いてもらい大学病院に受診をしに行きました。
血液検査などMRIなど先生の診察などをしてもらいましたがやはり原因がなんなのか分からずもっと詳しい検査をする為に検査入院を勧められました。僕は1秒でも早く原因を知りたかったのでその場で即答し検査入院を決めました。しかし、病室が埋まってしまっているという事で2ヶ月も先延ばしになってしまいました。入院を決めたからといってすぐに入院できると思っていた自分がバカでした。その間自分は何をすれば良いんだろうと思い夜な夜な人が出歩かない時間を見てスーパーに行ったり公園で歩く練習をしたりとなるべく自分がこんな風になってしまった事をバレないように過ごしていました。
この時は友達に会うのも弱っていく姿を親に見せたくないという思いから自分の部屋から出る事も減っていきました。俗に言う、引きこもりというやつです。親が仕事に行っている間に食事やお風呂を済ませひたすらベッドの上にいる生活をしていました。仕事も見つけておらず
「こんな自分に何ができるんだ!」と、自暴自棄になっていました。そんな日々を繰り返してやっと検査入院できる日になりました。初めての入院で始めは慣れずご飯もろくに食べることができませんでした。
同じ部屋の人達が使っている機械などの音が24時間鳴っていてとてもストレスを感じた事を今でも記憶しています。入院した初日から大量の採血がありMRIがありと腰から針を刺して髄液を取る検査をしたりと初日で疲れ果てて入院するまでは朝方に寝る生活だったのに19時には寝てしまいました。
2日目に検査の結果が出てやっと自分を悩ませていた病気の名前が分かりました。
それは、、、
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