悲しい記憶 妹のこと
旅田百子さんの小説「神様のことなんですけど、」を読んで、忘れることのない悲しい記憶を書き残しておこうと決心した。言葉にすることで、私の中で何かが変わるかもしれない。
"右脳でも左脳でもない、どこかとっても狭い部分" にあるスペース。そこに存在する妹のこと。
私が42才のとき、ひとつ年下の妹が死んだ。妹は35才頃に1型糖尿病であることがわかり、食事制限やインスリン注射で症状を抑え、病気と長く付き合っていかなければならなくなった。その頃の私は子育てに忙しく、初めのうちこそ子どもたちが幼稚園や小学校に行っている間に妹のもとを訪ねていたが、そのうちパートを始めてからは足が遠のき、妹に会うことは少なくなっていった。
妹の糖尿病は治療をしても症状が落ち着くことがなかった。血糖値の上昇と下降が激しく、血糖値が高くて意識を失ったり、低くて意識を失ったりするようになり、入退院を繰り返していた。ある日、妹がまた倒れ、入院したと知らせがあった。たまたまその日のパートが早上がりだったので、仕事終わりに病院へ向かった。
病院のふたり部屋に入った妹は意識なく寝ていて、義弟(妹の夫)が付き添っていた。そんな状態だったが、私は病院にいるから大丈夫、いつものように意識を取り戻すものだと思っていた。
医師の診察が始まり、私と義弟は病室の隣の待合室に移動した。入院中は洗濯物とか取りに来て洗って届けようか?とか、代わりあって病院に来たほうがいいよね?とか、これからのことを相談していたら、妹の同室の人が、「大変なことになってるよ、私部屋に居られへん。あんたらは行ってあげたほうがいいんと違う?」と待合室に入ってきた。慌てて病室を覗くと、妹は挿管され機械につながれ、心臓マッサージを受けていた。もう、呼吸は止まっていたのだ。どういうことなん?こんなことになってんのになんで私らに声かけてくれへんの?お医者さんも看護師さんもおかしいんちゃう?なんの説明もないままやん。怒りと悲しみで心がいっぱいになっていく中、私は両親に、義弟は義弟の両親に電話をかけた。両親が到着し、義弟の両親の到着を待っているとき、心臓マッサージのリズムでびくんびくんと動く妹の姿を見て義弟がふと言った。「僕は何を待ってるんかな。もう充分やんな。」
そうして妹は死んでしまった。
妹を家に連れて帰り、布団に寝かせ、あれやこれや用事を済ませたあと、私は自宅に戻った。もう夜も遅かったのに、私は妹を探そうとした。本当は妹の写真を探そうと思ったのだ。けれどいつの間にか私は妹を探していた。本棚の扉を開け、ベッドの下を覗き込み、押し入れを開け、廊下の端まで行き、妹を探した。生きていたとしてもこんなところにいるはずもない。なのに探して探して探してまわった。あんた、どこにもいいひんやん、どこにいるん?訳がわからなかった。
訳がわからないまま、また同じように訳がわからないままの義弟を手伝い、葬式を済ませた。そして、逮夜の度にお供えを持って義弟の家でお参りした。お供えを選ぶときは妹の好きなものを思い出し、あんたコーヒー好きやったやんなあ、やっぱりチョコレートがいいかもなあ、豆入りの煎餅もよう食べてたなあ、これはあかんわ、あんた好きとちゃう。早く帰って夕飯の支度をしなければ。そう思いながら、もう死んでしまった妹の好物を探して、あてどなくさまよった。生きてるうちに買ってやればよかった。妹が昏睡して病室のベッドにいたとき、失禁していた。すぐに着替えさせたかったけど、診察が終わってからにしようとそのままにしたことを思い出して悔やまれた。パートを言い訳にして会いに行かなかった自分を責めた。一緒に行く旅行の行く先でもめたとき、あんなにきつい言い方をしなければよかった。何をしてるのかわからなくなり、デパ地下の菓子売り場を徘徊した。
私はすごくすごく傷ついていたのだ。
あれから20年。妹のいない日常が当たり前になり、妹がいてもいなくても変わらない日常が繰り返される。息子たちは大人になり、結婚し、孫も生まれた。決して忘れることはないのに、思い出すことが少なくなっていく妹のこと。楽しい思い出もいっぱいあるのに、妹を思い出すときには必ず、恐ろしいほどの後悔が私を襲ってくる。そしてその後悔は幼い頃までさかのぼる。妹の友だちが遊びに来たとき、その子を横取りしてふたりで遊んで、妹がひとりで本を読んでいたことがあった。そんな意地悪をしなければよかった。妹は私と違ってクラスでも目立たないほうで、地味な感じだった。そんな妹が嫌であまりいっしょに出かけなかった。もっと買い物とか映画とかいっしょに行けばよかった。私より先に結婚した妹が、私と婚約者を家に招いてくれたとき、夕食のメニューは焼肉で、なぜかゆで卵を8個も作っていた。あのとき食べなかったゆで卵を食べてやればよかった。子どもが生まれてから、忙しい忙しいと言って、妹の誘いを断ってばかりいた。子どものいない妹を、なんてお気楽なやつ、と内心で思っていた。子どもが欲しくてもできなかった妹の気持ちを、もっと思いやればよかった。
数え上げればキリがない後悔も、妹のいない日常が当たり前すぎて、思い出すことがどんどん少なくなっていく。こうしていつか、妹のことを思い出さなくなったら?
旅田百子さんの小説「神様のことなんですけど、」は、そんな私の悲しみの行く先を教えてくれた。私の、"右脳でも左脳でもない、どこかとっても狭い部分" に、妹のスペースがずっとあって、楽しい思い出も、恐ろしいほどの後悔も、全てひっくるめて妹といっしょにそのスペースに存在し続けるのだ。
葬式が終わったあと、当時小学5年生だった下の息子が言った。「お母さんもおばあちゃんももっと泣けばよかったのに。」そのとき流れなかった分の涙が、小説を読み終わって、あたたかく流れるのがわかった。私の悲しみの行く先がやっと見つかったと思った。