こたけ正義感さんの「弁論」を解釈してみる。
こたけ正義感さんは自ら検察の振る舞いをして見せたのだと思う。
こたけ正義感というお笑い芸人さんがYouTubeにあげているライブ映像を観ました。一時間というしっかりフルサイズの尺に重そうなテーマ。
なかなか腰が上がりませんでしたが、ようやく観ました。
観終えたあと、残るのは決して愉快な気持ちだけではありませんでした。重厚な物語。語られなかった歴史も含めて、まさしく六法全書のような厚みを持った一時間。嘘をつきました。六法全書など見たことがありません。広辞苑ぐらいは厚いと思います。
動画最後、こたけ正義感さんは「考察をしてほしい」と語っているので、ならこのnoteでもう少し読み解いてみよう、とnoteを書き始めてみました。
しかし考察という形であまりエンタメにしすぎるのも良くないかと思うのであくまで解釈とします。
以下からの文章はネタバレ注意でーす。読んでくださーい。
1. 検察の立ち位置
こたけ正義感が袴田事件について語り始めた瞬間、会場は水を打ったように静まり返りました。
お笑いライブの中で袴田事件という単語は、異質なもので、相容れないものであろうことはすぐにわかります。しかし観客を覆ったあの沈黙はただその異物感だけによるものではありません。
純粋に楽しいだけであったライブ前半は、お笑いの加虐性を自覚するための時間には十分だったからです。
まず、こたけ正義感は普段とは違った暗い衣装で舞台に現れます。もしかしたらライブではいつもこの衣装なのかもしれませんが、YouTubeの動画で着ている弁護士っぽい衣装とは違うものです。
屈んで最前列のお客さんに映像の許可を取った後は過去のエピソードを交えた漫談が始まります。これも意地悪な内容のものが続きます。
「弁護士は検察と違って嘘をつかないと思われてる」
「失礼な不動産屋にプレッシャーをかける」
「親を名誉毀損で訴えようとする同期」
その後は相対性理論尿意の話、罰則を選べると思っていた被告の話、無限の並行、夫婦間での争点整理の話、などの弁護士あるある?な内容が続きます。
まず、これらのトーク内容はある意味において、弁護士という肩書きを活用した権威主義を含んだネタです。
肩書きに伴う大きい権力のもと「特権的な目線によるお笑い」の構造がネタには組み込まれています。
無礼を働いた不動産屋へ法律家の目線でのこらしめ。
親族を訴えられるか話し合う弁護士同期二人。
そういった権威主義的なネタを一段高い舞台から披露する姿は強者によるお笑いであり、自虐的なムードはあまりありません。
衣装も相まって、私はその舞台上の姿からこたけ正義感に袴田事件再審請求における検察の姿を感じ取りました。
その点から私は、こたけ正義感が自ら特権的で威圧的な振る舞いをすることで、観客が自らの権威主義的な加虐性に気づくキッカケとする仕掛けをしていたのではないかと解釈しました。
学生運動が遠い過去となった現代日本において、権力構造への疑問が絶えたわけではないものの消極的なものとなったことは事実です。
人々は政治に不満を抱きながらも投票という形で政治制度には参加しますし、警察による不手際や汚職の報道があろうとも緊急時には警察を頼るものです。権力への疑いを抱きつつも、結局は大きな権威主義に包まれることを良しとしたのが日本人的な実存であると私は解釈しています。
そのような現状で、時に死刑囚に対する取り扱いなどにおいて過激な議論が巻き起こる様を見ていると、そこには権力の絶対的な盲信の危険性があります。
こたけ正義感のライブにおいて舞台上のこたけ正義感は絶対的な存在であり、その存在が生み出すお笑いを信じることを罪と断じることはできません。しかし、盲信することの危険性はあります。
こたけ正義感は自らの権威性を衣装や漫談の内容から表現することで、袴田事件における検察の姿勢と被る部分を作り出し、観客への気付きを誘導したのではないか、というように解釈いたしました。
(ライブ中の検察の取り上げ方について)
とは言え、袴田事件における検察の姿勢は舞台上のこたけ正義感よりも、弁護士のそれよりも、特権的であり一方的なものでありました。
事件、裁判詳細はライブの中でも語られた通り日本の刑事司法制度そのものに疑問を抱いてしまうほどひどいものです。
ライブで触れられていた検察庁のチャイルドページリンクには以下の内容があります。

指摘のあった通り、ページ上部だけを読むと原則無罪が守られていないようにも読めます。
しかし、続きを読むと印象が変わります。
被告人のことを「犯人と疑われている」と記述しています。これは原則無罪のなか検察の立ち位置としても正しい記述に思われます。
検察のことを特別に庇うつもりはありませんが、子供向けに用意したページであることを考えれば、被疑者や被告といった言葉よりも定義上誤っていても犯人という呼称を用いるほうがよかったのかもしれません。犯人と疑われていると説明を足すことで説明不足を補おうとしているいとも感じ取ることができます。
また、袴田さんの無罪確定後出された検事総長談話は袴田さんや事件被害者遺族に寄り添った内容とは到底思えないものの、最後には下の記載があります。
先にも述べたとおり、袴田さんは、結果として長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうことになりました。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております。
最高検察庁としては、本件の再審請求手続きがこのような長期間に及んだことなどにつき、所要の検証を行いたいと思っております。
こたけ正義感は弁護士という立場から袴田事件を通して、ひとつ検察の問題点を確かに指摘しました。しかし同時に説明のあった通り、弁護士としての立場、検察としての立場、その上で保たなければいけない体裁があるのも事実です。くだらない体裁ですが、控訴をしないと決定をする程度の理性は体裁の向こうに残されていることが救いです。
検察には特権的な力が確かにあります。ベンおじさんも大いなる力には大いなる責任が伴うとかなんとか言ってる通り、個人の身体を拘束する権力は慎重に行使されなければなりません。
検察のみならず、刑事司法にまつわる機関をメディアと国民が監視することが適切な制度の運用に繋がるはずです。
また、チャイルドページには下記のようなページもありました。

2. バイアスと目撃者
ライブは最初、一人の男性が弁護士法第一条を読み上げるところから始まります。この男性はこたけ正義感ではありません。初めて見る男の人が読み上げ終えて舞台が暗転してから、こたけ正義感は舞台へ現れます。
後に種明かしとして、この冒頭の仕掛けは目撃証言の曖昧さを表すためのものであったことがわかります。
母親の顔を忘れないのと同じこと、
ピカチュウの尻尾の先が黒色であるのと同じこと、
記憶は揺るぎない真実です。見てから一時間と経たない顔を間違えるはずはない、はずでした。
私は動画を観ながら自信満々にBや!と声を上げていました。
一人暮らしでよかったです。
出てきた人を見てお前や!とも叫びました。
一人暮らしでよかったです。
あのライブ冒頭での仕掛けは事件における目撃と非常に性質が似ています。
こたけ正義感ではない何者かが弁護士法を読み上げるという演出はライブ冒頭としては違和感があり、記憶に残ります。
この違和感こそまさしく目撃証言の条件です。日常と違うことへの違和感から人や物事を覚え、目撃者は生まれるのです。
明確な違和感によって観客は公然の目撃者となりました。
しかし違和感を前にして刻まれたはずの記憶も、多少のバイアスをかけられるだけで揺らいでしまうのです。ライブ序盤でこたけ正義感が詐欺師から教えられたと言うとおり、人の行動ですらバイアスによって無意識下にコントロールされてしまいます。
こたけ正義感は漫談のなかで「弁護士は嘘をつかないと思われている」と語ります。これもひとつのバイアスです。弁護士は嘘をつかないという無意識への刷り込みがあの目撃者クイズの裏切りを後押ししました。
警察によって行われる取り調べ手法にはリードテクニックと呼ばれるものがあります。リードテクニックはアメリカ発の尋問法であり、心理学などを用いることで容疑者の自白を引き出す技術を体系化したものです。
一見、素晴らしいテクニックのようです。袴田事件でもそうであったように取り調べる側からすれば自白が最も楽で効果的なはずだからです。
しかし冤罪被害者からすれば、自白頼りの尋問法が未だに用いられているということは悪夢に等しい話です。長期間拘束される間にできることと言えば無実を必死に訴えること、それか黙秘ぐらいです。
わたしたちが曖昧な記憶のもと誤った目撃証言をしてしまうという事実は、わたしたちが加害者の立場になりかねないことを明るみにしました。
個人の記憶や意志がバイアスによって容易に操られてしまうという事実は、権威の側の人間からすれば都合のいい話です。
今回の仕掛け人はお笑い芸人のこたけ正義感でした。平和なことです。次はどうでしょうか。
私たちが持たなければいけないのは自らの意思や決定を考え直す俯瞰した視点なのかもしれません。
あと、これは余談ですが、ピカチュウの尻尾の先端は黄色です。
3.冤罪事件をなくすためには
先述したとおり、私はこたけ正義感は意図的に検察のような振る舞いをし、そのうえで観客へバイアスをかける言動や演出も盛り込んだと考えています。
ひとつの懸念として、上記の結果、観客は無根拠のままこたけ正義感こそ正義であると信じてしまった恐れがあります。
もちろん袴田事件に関してはこたけ正義感や弁護士連合会は袴田さんの冤罪を明らかにしたという点では明らかに正義でしょう。
しかし検察が日々事件内容を精査し、起訴不起訴を判断する過程も一因として、比較的良いとされる日本の治安が維持されてきたこともまた事実であり、これは当たり前であるがゆえに誰からも賞賛されることはありません。
観客のなかで、こたけ正義感が口にした法的根拠や条文をチェックした人はどれだけいるでしょう。一次情報にあたらないままただ信じるだけという姿勢は無垢な信奉者ではあっても、中立な姿勢とは言えません。
今回のライブのテーマにもなっている袴田事件にはすでに「袴田」という名前が付いてしまいました。冤罪被害者の名前が事件名となってしまい、肝心の真犯人の追求は現実的に難しいものとなりました。冤罪事件が狂わせるのは冤罪被害者と関係者の人生だけではありません。
新たに過去に取り残されてしまった遺族の心中、察するに余りあるものがあります。
また、冤罪事件は遠い過去のものでは決してありません。
大川原化工機事件
つい先日も操作に関係した元公安部員の不起訴が決まってニュースとなった冤罪事件です。内容は少し複雑ですが、できれば直接読んでいただきたい内容です。大川原化工機株式会社の代表取締役らが逮捕されたのは2020年3月のことです。2020年代にあっても内容の深刻な冤罪は発生してしまったのです。相談役は拘留中に胃がんが発覚。11ヶ月ぶりに釈放された二日後に相談役は亡くなってしまいます。
冤罪は過去のものでなく、今日のものなのです。
このnoteですでに書いたとおり、私たちに一人ひとりに求められるのは正しい情報リテラシーと盲信からの脱却です。広い情報源を持ち、できるだけ一次情報に近い発信元を探し、信じ込み過ぎないことです。一途な盲信は自己判断を委託してしまっている状態であり、健全なものではありません。
弁護士は嘘をつかない。いや、嘘ついてるやないか!
私たちに求められているのは弁護士の言う事もしっかり疑う。
そういう自立性です。
という、ライブだったんじゃないかな、と解釈しました。
いや、こんだけ書いておいてあれなんですけど、まだこたけ正義感さんのグッズを買っていません。
これって、訴えられたら敗けますか?
あと、次に最前列に座る人には例のドルガバTシャツを着てもらいたいんですがいかがでしょう。