お笑い芸人になれなかった私たち
少年のぼくにとって、友達を『笑かす』ことは、それはそれはもう笑いごとではなく、命がけになって相手を笑かしにかかったものだ。
テレビで流行ってたギャグ、校長先生の真似、クラスメートの癖、校長先生の真似、親から伝授された小ボケ、校長先生の真似、あの手この手を尽くして笑かしにいったものだ。大阪という土壌ゆえだろうか。笑かしのライバルは多かった。ぼくはあまり体の動きで笑いをとれるタイプではなかった。むしろ人の体の動きを例える方が向いていた。社会の教科書の端の方に載っていたのを思い出し