まさかり

27歳 小説を書いたり、エッセイを書いたりします。読んでいただいた方全員がブラザー。ソ…

まさかり

27歳 小説を書いたり、エッセイを書いたりします。読んでいただいた方全員がブラザー。ソウルメイト。幸あれマジで。 夢は小説家になって市民プールへ入水未遂。 青鯖を空に浮かべてここは雪国。 どこまで正気か無用な憶測はせぬがよい。

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お笑い芸人になれなかった私たち

少年のぼくにとって、友達を『笑かす』ことは、それはそれはもう笑いごとではなく、命がけになって相手を笑かしにかかったものだ。 テレビで流行ってたギャグ、校長先生の真似、クラスメートの癖、校長先生の真似、親から伝授された小ボケ、校長先生の真似、あの手この手を尽くして笑かしにいったものだ。大阪という土壌ゆえだろうか。笑かしのライバルは多かった。ぼくはあまり体の動きで笑いをとれるタイプではなかった。むしろ人の体の動きを例える方が向いていた。社会の教科書の端の方に載っていたのを思い出し

    • 蹴り出し5メートルの自由

      久しぶりにプールに行った。 ただごとではない腰痛に悩まされ、走ることもできなくなっていたことからブクブクと太ってしまっていた。 さすがにベルトの穴が2つ変わるとなると危機感も甚だしく、プールで泳ぐのであれば腰も痛くないんじゃないかということで隣の市の市民プールへ。 利用の仕方がわからなくて、受付のお姉さんに教えてもらう。お姉さん、俺のわからなさ具合に参ってやがったぜ。もうろくしてるじいさんよりも厄介なのは、考え過ぎて勝手に混乱する理屈野郎なのだ。参ったか。 プールの床のぬ

      • マイ某所を作る旅に出てみる

        金木犀を落とす雨を眺めながら、京都府某所の山中を思い浮かべた。 あの川に降る雨、あの苔に当たる雨、それはどんな音をしているのだろう。 某所が雨の日にみせる表情はまだ知らない。 京都府某所に初めて訪れたのは、私が流木に取りつかれていた時期のことだった。 植物好きから発展して流木の魅力に気付いた私は、大阪で流木を探して無暗に歩き回っていたのだが、良い流木に出会うことはなかった。 ある日、流木を探すためにグーグルマップで川を調べていた。大阪の川を遡ると滋賀県の琵琶湖にたどり着く

        • 宅配のサイン欄未だに自信ない

          結局正解を知らないまま来たものが何個かある。 例えば、服屋の試着室に関して、服屋ごとにルールができすぎていて、いまいち正解がわからない。 H&Mの試着室は店員に言わなくても使えそうなのだけど、あれは勝手に使ってよいのだろうか。GUやユニクロは門番みたいな店員さんがいてわかりやすい。わかりやすいのだが、もう門番にも慣れてしまっているのだろう。店員さんの 「ご試着何点ですか」 が早口すぎて聞き取れない。あれはもう飲食店に入る時と同じ要領で指を三本立てて試着コーナーへ向かえばよいの

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        • 創作大賞2024
          15本

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          ミニマムな苔リウム

          最近、苔リウムっぽいものを作っている。 苔で芝生を再現して牛のフィギュアを置くような、よくあるやつは作らなかった。なんとなく、苔にはもっと本来的であってほしい。 ささやかに鬱蒼として、じめじめとして、寄り添っていてほしい。 とか言いつつこんなジオラマチックなものを作ろうと挑戦もしている。やってみてわかったことは、ガンプラを入れるなら塗装は必須ということだった。 好きな苔はアオハイゴケとオオバチョウチンゴケ、それにノコギリゴケ。 この3つは最初のポケモンぐらいタイプが違

          ミニマムな苔リウム

          腰痛爆発托鉢坊主

          学生の頃から癖になった関節痛が、齢27にして爆発した。 半年ほど前から腰をじんわりと痛めていたのだが、ついに三ヶ月ほど前、痛みで動けなくなるような始末となった。 動く度にキンキンと鉄琴みたいな音色が響く有様で、更に先月からは椅子に座るともも裏が痛むようになってきた。調べると坐骨神経痛らしい。もうボロボロである。 結果として、動けと言われる時間以外はほとんど寝て過ごしてやったわけだが、さすがに運動不足からの肥満化著しい様子に自らも消沈し、いよし本格的に腰と向き合ってやろう、と決

          腰痛爆発托鉢坊主

          あれは桑名の蕎麦屋やった

          あまり引っ越しの経験は多くないものの、どこか移り住んだ時のあのじっとりとした最初の数日の、わくわくともそわそわともつかない時間の過ぎ方はもどかしい。 三重県の桑名市へ仕事で越した時も、最初のうちは土地に慣れないのもそうなんやけど、土地を移ったことでじんわりとした緊張感を覚えていた。 そうして落ち着かず、私は飯屋を探しに出た。 住んでいたところは駅から離れていて、車もまだ買っていなかったので、錆がきいきい鳴る自転車をとにかく漕いだ。 またGoogleマップでアタリをつけてお

          あれは桑名の蕎麦屋やった

          分裂社会の末のハラスメント十戒

          ダイハラなるものがあるらしい。 要は方言を無闇に使ったり、方言を揶揄したりすることをまとめてダイアレクトハラスメント(ダイハラ)とするもののようだ。 ダイハラやらパワハラに限らず、わたしはハラスメントとは 現代における十戒なのではないか、と思っている。 同時にハラスメントという概念はとても危うい状態にあるとも思っている。 この思い付きに至るまでにあったのは違和感の積み重なりだ。 まず最初は、多様性というものに違和感を覚えるところから始まる。 多様性による集団の亀裂この

          分裂社会の末のハラスメント十戒

          小説「森の賢者」

          私は、昨日は内的で独創的な人間で、今日は社交的で活発な人間だった。 駅前の通りは閑散としていた。 友人が無言のままに送りつけてきたリンクを開いてみると、性格診断のサイトに飛んだ。 「診断開始」をタップすると、 「友達と外に出て遊ぶよりも、家で趣味のことをしているほうが気が休まる」 という現実的ながら曖昧な質問が表示された。 全部に回答して、友人に診断結果を送る。 「それモテへんやつやで」 最初の返答がそれだった。 性格診断を送りつけてきて、モテないと最初に言ってくるとい

          小説「森の賢者」

          でんぷんのりの海かと思ったら金木犀

          まだ覚めきらない遠浅の夢のなかで、巨大なでんぷんのりに腰までつかる。ぬとぬとべたべたしていて、動くこともままならないけれど、嫌な気はしない。小さな机の汚いお道具箱からした、あの匂いが包み込む。 朝、窓から入る風がカーテンを海にしていた。 どこからか金木犀が香る。 正確なことを言えば、わたしは花の名前をあまり覚えられないので、このでんぷんのりの匂いはなんだろうとしばらく嗅いで、それから今が秋であったことを思い出して、金木犀の名前を思い出して、金木犀の金平糖みたいな黄色を思い

          でんぷんのりの海かと思ったら金木犀

          「みんな、道でたばこ踏もうぜ」

          言語化という言葉があまり受け入れられない。 たらたらと文章を書くやつが冒頭から言うことではないが、言語化こそ大事だというような風潮は特に好きでない。 言語化ってなんだ???? これぐらいの時期は、夕方などそこらへんをほっつき歩くだけで、なんとも言えない情緒的な想いを抱いてしまう。汗が脇から横ぱらに流れ落ちていく蒸し暑さであるのに、夕陽は眺めるまもなく落ちていく。 葉の萎びた朝顔が道路へはみ出していて、どこからどこへ蟻の行列は二車線を横断。 カラマツ虫とコオロギは包みこむよう

          「みんな、道でたばこ踏もうぜ」

          うちのお京ちゃん

          かわいい。 最近はベランダに出せ!と朝の5時から魂の叫び。ちょっとでも体を起こしたら布団と体の間に潜り込んできて二度寝を許さぬ動き。 罠です。ここでお腹をなでると噛みます。 やり返してやる。案外いやそうじゃない。 顎をなでろのサイン。 うちのお京ちゃんをよろしく。

          うちのお京ちゃん

          コインランドリーカントリー

          コインランドリーの前にとめた車の中から、道の向こう側を覗いた。 病院の窓は灰色に光っていた。 どの窓にもバッテンがされている。 台風が近づいていた。 病院の明かりは力無く、弱々しいものだった。蛍光灯の数が不足している。だから、古い壁紙の黄ばみばかりが窓から漏れてくる。 その病院にかかったことはあった。 首をやったときと、たしか腰をやったとき。 入院用の病棟もあるとは知っていたが、そこの明かりを目にするのは初めてだった。 窓の向こうを横切っていく人の影はない。 巡回する看護

          コインランドリーカントリー

          眠るためには適切な疲労が必要だった。

          眠るためには適切な疲労が必要だった。 心を焦がす焦燥の末のくたびれた疲労ではなく、目的と過程にねじれのない肉体的な充実を伴う疲労が必要だった。 炎天下で河原の石を吟味しているとき、それを見下ろしながら通り過ぎる10トントラックの運転手に憑依するような気持ちになる。暑いのによくやるよと呆れる顔つきが、むしろ自分にとって正しいもののように思えてくるのだ。 実際、河原の石を拾っては目を近づける私の顔はとても険しいもので、その動作ほど楽しげな様子はとても感じられない。太陽に熱された

          眠るためには適切な疲労が必要だった。

          問われるメディアと受け取り手の姿勢 桶川ストーカー殺人事件についての本を読みました。

          桶川ストーカー殺人事件 ー 遺言 新潮新書 清水潔著 ストーカー、つきまとい行為が犯罪であることはわたしたちにとっては当たり前のことだ。 それが当たり前になるきっかけになる事件があったことを、わたしは知らなかった。 週刊誌の記者にわたしが抱いてきたイメージなんてものは、下世話でろくでもない文屋というぐらいのものだった。正義感でもあればマシなのだろうが、とにかく彼らの仕事は人間の下世話な欲求に従うものだ。読み物に値しない記事。これは偏見だろうか。抱いていたのはとにかくそんな

          問われるメディアと受け取り手の姿勢 桶川ストーカー殺人事件についての本を読みました。

          売れ残る炭酸水の箱。先週読んだ本「文章のみがき方 - 辰濃和男」

          水道水の味がよくわからない。 コップに水を入れて飲んでみる。水道水はマズいという思い込みがある。それをできるだけ忘れて、ごくっと喉に通してみる。ぬるい。 地震が来るかもしれないと思うと、家を出ることが億劫になる。 居住地おんぼろ小屋なわけだから外に居たほうがよっぽど安全なんやけど、家には愛くるしい猫がいるし、なにより家が崩壊する瞬間を目撃しないことが悔しい気がする。出かけている最中に大きな揺れが来たとして、ああ今頃家がぺしゃんこになっているのだろうかと考えているのが一番やり

          売れ残る炭酸水の箱。先週読んだ本「文章のみがき方 - 辰濃和男」