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小説「泣く女神 マルチビジネス」

チェーン店のカフェ、とても居心地の悪いテーブルに向かい合って、私と初対面の女性はイヤホンをしていた。

小さい携帯画面の向こうでは高そうな生地をしたスーツの男が熱心に喋っている。彼が言いたいことは二十四万円の登録費用など安いものだということだ。投資であって、すぐに取り返せるということを黒ずんだホワイトボードに荒れた図を描きながら説明している。

怪しいビジネスへの勧誘に、私は本当にただの興味だけで乗り込んでいた。
世の中はそんなに甘くないと、大人ぶった私は知っていた。なので、初対面の彼女から持ち掛けられた儲け話にはウラがあり、カモにされる側にいることは予想がついていたのだ。

軽く話を聞いた段階からわかっていたことであったが、それはウェブ広告を商材とした商材ビジネスであった。

話を聞いていてとても可笑しかったのが、彼女とその仲間たちはしきりに「ビジネス」という単語を口にした。

自分達がやっている内容を説明するたびにビジネスだビジネスだというのだ。よほどビジネスがやりたいんだろうな、笑いがこみ上げそうになる。

稼ぐ人はそれで平均以上に贅沢をするらしい。
彼らのSNSのアイコンは自慢げな写真ばかりである。

曖昧模糊としていて、まったく作業としては何をするのか、どういう仕組みになっているのかわからない説明会を聞き終えた。

聞きたい質問事項を聞いてくれと向かいの彼女は言う。

二三、仕組みの一部を深堀する。彼女はとても曖昧に返した。
大丈夫、儲けられるからと説得するように彼女は話す。

そうだ。私が大金を投じて登録作業をすれば彼女へ紹介手数料が入ることになっている。なんとも古典的な仕組みである。

恐らく、彼女はそれほどひどい女性ではないのだろうなと感じた。私を無理やりに騙すほどの度胸といったものもなく、何か事実を歪曲するような手段も持ち合わせていないのだ。白けた空気感を受け止めることもできないのだろう。

頭が悪いことや、真っ当でない仕事をしていることが罪なのではない。
自分がやっていることすらまともに把握できていないことに問題がある。

賑わうコーヒー屋の中で、このテーブルの間だけ妙に時間の流れが遅い。

家にいる猫の顔を思い出していた。また舌を出したまま寝ているのだろうか。

目を落とした。一時間以上前に頼んだアメリカ―ノのカップは水滴まみれで、プリントされた女神のイラストは汗ばんでいるようにも泣き続けているようにも見えた。

そっと、指を添えて、拭いてやる。

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