自立するフィギュアが好きだった

なにか思い立って朝の四時から自転車で65キロ走っていると、考えることはいろいろある。大半はペダリングの効率性とか、トルクのかけ方みたいな自転車の乗り方に関わることで、速くなるための工夫を少しでも求めてしまうのは競技をしていた時の癖なのかもしれない。
でも、全然関りのないことを考えている時間もあって、それは京都の木津川にかかる大きな橋をゆっくり渡っている最中だった。

人形遊びをしていない。ここ二十年弱。おかしなことだ。
子供の時は大きな缶カンに大量のフィギュアが入っていた。両手で二つ持って空中で戦わせていた。一番お気に入りのフィギュアは機動戦士ガンダム0083スターダストメモリーに出てくるシーマガラハウ搭乗機ガーベラテトラのフィギュアだった。小さくて、小学生の小指ぐらいの大きさしかなかった。それでもそのコンパクトなフォルムがガーベラテトラっぽくて、自称中流家庭一軒家のリビングにしょっちゅう出撃させた。戦いの相手はゴジラとかビグロとか、かめはめ波のポーズの孫悟空とかであった。孫悟空とモビルスーツを戦わせるのには苦労した。どう戦わせていいものか想像がつきにくい。そういう時はプロレスみたいにタッグを組ませた。困っている孫悟空のもとにキングゴジラが来てくれて一緒にガーベラテトラと戦うのだ。孫悟空は小さいので引き付けてかく乱するように戦いつつ、キングゴジラの熱波線が決定的な攻撃となるのだ。そんな風にして遊んでいた。
ある時、いよいよ誤魔化しが効かなくなったことがあった。ガーベラテトラは爪先立ちのような姿勢であるため自立ができない。人形遊びにとってこれは致命的であった。自立できないフィギュアは片手で持っておくか寝かせるかの二択になる。だが寝かせるのはナンセンスだという気持ちが子供ながらにあった。劇は続いているのに舞台で寝ている役者などどこにいるだろうか。かと言って片手で持ち続けるのは物語の幅を狭くした。右手がガーベラテトラで左手が敵という構図である以上、ガーベラテトラのタッグを登場させるためには右手を空けなければいけない(それか不格好に人差し指と中指で挟むように持つか)。右手を空けるということはガーベラテトラを寝かせるか、敵の人形に掴まれたというような演出を取ることで左手に乗せるということになる。これをしている時、なんだか製作者サイドの都合で無理な扱いをさせられているガーベレテトラがとても不憫で申し訳ない気持ちになった。

やっぱ人形は自立しなきゃだめだよなあ。そう思っているうちに山の麓へと差し掛かっていた。
「自転車乗りがなぜ山を目指すのか」
サイクリングを趣味にしたことが無い人にはわかり辛い話だが、自転車に乗ることが好きな人たちは山を目標地点にしがちである。大阪なら金剛山、十三峠、葡萄坂、清滝。東京は詳しくないがヤビツ峠だろうか。東海地方の人にとっては二ノ瀬になるか。
山はまさしく目標地点にしやすい。上った先に頂上があるというシンプルさが良いし、何百回上った山でも上り切れば達成感がある。平地ではなかなかこういう区切りがつけ辛い。平坦では踏めば踏むほどスピードがのってきて楽しい。楽しいのだけど維持するのがかなり辛い。時速30キロ程度の巡航でも一人で走っている分には結構辛い。
だから自転車乗りは山を目指すのだろう。限りある辛さを求めて。でも上り始めた瞬間から後悔はしている。なんでこんなしんどいことをするんだろうって。そうして、そういうしんどい最中に浮かぶ考えは取り留めようのないほどに馬鹿馬鹿しいことが多い。

例えば予算が∞であったとして、友達にどんなサプライズがしたいだろうか。小規模なサプライズはこれまでにもしてきた。誕生日パーティーの用意をしておいて誕生日野郎を連れてきたり、なんでもない日に花束を買ったりしたこともある。(あまり芯を喰ってないサプライズは花束が忘れられて枯れていくみたいに残念なことになる)
もし、石油のパイプラインを実家に繋いでもらえて裕福になったらなにをするだろうか。べとべとの実家を製油所に建て替えてからの話だが。
訳の分からない規模のフラッシュモブとかいいだろうか。100日間連続のフラッシュモブ。通勤中の駅で急に全員躍り出す。毎日。乗客も車掌も全員満面の笑顔で。
怖いな。顔引き攣るだろうな。3日目から迷惑でしかないやろうし。フラッシュモブの嫌なとこって、全員笑顔なとこ。そんなに人って笑えない。笑って! って言われた時に照れて変な顔なっちゃうぐらいが人間臭いはずだ。
これはシンプルなフラッシュモブの悪口。

息が切れてくると、変な考えも薄まっていく。余裕がない。延々とsouthpenguinのvitaminのイントロがリピートされる。早く頂上に近づいてくれ。頂上がこっちに来てくれ。自転車を必死に左右に振る。
上半身を使って自転車を漕ぐってことがわかるようになってから、上半身が分厚くなった。自転車は脚だけの乗り物じゃない。爪先から頭のてっぺんまで使って全身で進める乗り物だ。そうして、そこまでしてもレースでは勝てなかった。純粋な一番を取れたレースは唯一で、そのレースでは表彰式が省略された。コロナだったから。代わりに二番はいっぱい獲った。いつも一つだけ小さい段に立っていた。

腰掛峠という名前らしい。一番高い地点にはなにもない。和束方面へ降りる道が向こうに見えるだけだ。
踏みつけるような最後の一踏みで自転車を転回させて、もと来た道へと下っていく。

スーパー銭湯の貸しタオルにちょうどいいほつれ具合ってあるんだろうな。
時速60キロメートル。おわり。


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