缶コーヒー折り重なる日々
なんて用事のない休日の朝に、冷やしておいた缶コーヒーを手に取りながら
「なんかちゃうねんな〜」
と納得いかない思いを抱く。
プルタブを引く。パシュ。コーヒーの封印が解かれる。缶コーヒーはひと口目が大事。ひと口目の香りが広がる。やっぱり
「なんかちゃうねんな〜」
となってしまう。
一等賞に美味しい缶コーヒーは、朝からうんざりするぐらい働いて、もう夕焼けも落ちかけてる頃、これからしばらく電車に乗らなきゃいけないって時に自販機から拾い上げる冷えた缶コーヒー。これに勝るものはない。冷えたスチール缶は手の平の熱を吹き去るように奪って、巡る血液は冷えた缶コーヒーが「そこ」にあるって全身に触れ回ってる。まだ汗もかかない缶のプルタブに指をかけると溜め込んだ疲労が露わになる。薄い曲げスチールの中にコーヒーを閉じ込めるそのプルタブの、わずかなはずの反発はとても強固で、擦れて痛くなった人差し指の指先がちいさーく悲鳴を上げる。無視するみたいに勢いよくプルタブを引く。違うことは、コーヒーの香り。すでに香ってくる。口元に持っていかずとも胸あたりに持った缶コーヒーが喜びの香りを立ち昇らせる。嬉しい。やったね。帰ろう帰ろう。そんな声に気づかないふりをして、すこしだけ勢いをもってひと口目を入れる。コーヒー臭い香り、わざとらしい甘み、喉元にくるへばりつく苦み。そのどれよりもなんとも涼やかなのは唇についた缶のうえ。艶のない銀色が確実に「ある」涼しさをもたらしてくれる。缶を下ろして前を向くと、さっきまでのただのくたびれた自分は居なくって、缶コーヒーを持ったくたびれた自分が居る。それが嬉しい。もう一度含む。
そういう訳で、休みの午前に飲む缶コーヒーはなんかちゃう。賞をあげても健闘賞。
健闘賞が冷えてる冷蔵庫。自動販売機は一等賞。おわり。
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