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「踊り」がわかりたいーダンスや演技のよさを評価できるようになるには
先日、「THE DANCEDAY」というテレビ番組を見ていました。ダンスや芸術の専門家?が審査員となり、さまざまなジャンルのダンスを見て、評価をし、頂点を決めるというものでした。そこには、ブレイキン、社交ダンス、コンテンポラリーなど様々なダンスがある中で、優劣をつけるのは難しいなと感じていたのですが、それよりも。
審査員の語彙が乏しく、いまいち何がよかったのかが分からなかったというのが率直な感想でした。
私は新体操をしていたので、どちらかというとダンスがわかる方なのかなと思いますが、それでも、あのダンスの良さが分からなかった。というか、なんとなく良し悪しは判断できそうなのですが、それを説明するのが難しい。「すごい」「かっこいい」「綺麗」意外の具体的な言葉が出てきませんでした。
この現象は、私だけではなく、ダンス界隈にいる人たちにとってもそうなのではないでしょうか。(違ったらごめんなさい)
ダンスや演技のよさをわかるにはどうすればよいか、こうすればいいかも?というようなことを考えてみました。
ここから、ダンスや演技を「踊り」として論を展開していきます。
踊りは好みでしか判断できない?
さて、踊りには様々なジャンルがあります。先ほど例に挙げた番組では、一部審査員は「この踊りは私のどタイプ。最高」みたいなことを言いながら、高い点数を出すという場面がありました。踊りの良し悪しは、それぞれの好みで判断してしまってよいのでしょうか。
実はこの問題は、美学の世界でも問われていることです。
とある絵画作品があったとしましょう。この絵は美しいか美しくないかを判断するとき、人によって評価は分かれるでしょう。ピカソの絵をみて、素敵だと思う人もいれば、ごちゃごちゃしていて何を描いているか分からないから素敵ではないという人もいそうです。こういうのは「主観的」な判断です。
一方で、ピカソは世界的な画家であり、その作品には高値がついています。好きではないと判断できる一方で、広く世界でなされている判断は「よい」であり、この世界の判断は「客観的」です。ピカソの絵を見て、「これは駄作だ」と評価した人は、後でその絵の価値が高いことを知ると恥ずかしい思いをするでしょう。それは、「絵の価値がわからない人だ」と言われてしまうことになるからです。
主観的に判断できる一方で、こうした判断は必ずしも主観的であるだけとは言えません。世界での判断=客観的な判断基準も存在しています。
美や芸術は、こうした「主観」「客観」それぞれの側面があり、決して主観的な判断に留まらないとしています。
踊りも同じことが言えると思います。踊りの判断は決して主観的なものではない。EXILEのダンサーだといえば、この人の踊りは絶品であるという客観的な評価がされていると判断できるし、もしその人の踊りと一般人の踊りを区別できなければ、踊りがわかっていない人と思われてしまいます。
ダンスがわかるための方法
では、ダンスをわかるにはどうすればよいのでしょうか。
ここでは、センスの判断の例として、食の判断を取り上げたいと思います。
「舌バカ」という言葉は、おいしいものを判断できない、つまり食がわからない人に対して言われる否定的な言葉です。食の判断は「センス」です。
このセンスを磨くためには、「様々な食の経験をすること」ももちろんですが、それ以上に「味の言語化」が必要になるでしょう。つまり、食レポです。
食レポは、その食べ物の味を評価するための表現方法です。食レポの多くは、料理のおいしさを伝えるためのもので、食レポを参考にお店を決めたりします。(この食レポも、好みだけで伝えられていなければ客観性を持ちますね。)
しかし、食レポは完璧に味を再現するためのものではありません。言葉で「甘い」「フルーティー」「歯ごたえがある」などと表現できるものは、味の一部です。食レポで行っているのは、言葉による味のカテゴライズです。カテゴライズされているので、実際は味を粗く表現しただけのものですが、言語化されることで、十分魅力が伝わるものになっています。
そして、その食レポをもとに食べに行った人が、「この味は(甘くて)(フルーティーで)(歯応えがある)んだな」と、舌+言葉でインプットすることができます。そうした経験を重ねることで、食がわかる範囲が広がっていくのです。
言語化することで、自分の中で煩雑だったものがカテゴライズされ、体験とつながり、その世界を知ることができるということです。
(言葉と概念形成、具体的な言葉の運用など整理したいことはまだありますが、ここではこれまでにします)
踊りも、食レポのように踊レポ?をし、そのよさを言語化してカテゴライズすれば、踊りがわかっていくのではないでしょうか。食と同じようにわかるようになっていかないかなあ。
もし踊りがわかるようになったら
言語化し、踊りの良さがカテゴライズされれば、いろんな困ったことが解決するように思います。
例えば、踊りの評価はより客観的になり、公平な判断ができるようになる。
踊り手は、自分の踊りがより芸術的になるように行動することができる。
踊り手自身も、踊りがわかるようになってくる。
見ている人も踊りがわかることで、踊り文化が醸成される。
あと、私は教員なので、教育にも活かせると考えました。ダンス教育、そもそも教員が踊りをさっぱりわかっていないのです。指導する教員もわかり、子どもも具体的に動くことができる。
そして、私も踊りがわかるようになる。
踊りがわかるということのよさを広げるべく、踊りがわかるためのシステム構築とかできたらかっこいいなって思います。
これから数年単位で、じっくり考えていきたいです。
もし論文になったら、その時は報告します。
参考文献
今回は、『「美味しい」とは何か 食からひもとく美学入門』(源河亨/中公新書)から着想を得ました。この本、本当に美学の入門です。読みやすい上に、題材も身近な食であることから、あらかじめ美学の知識がなくても理解できる本でした。これを読んで、興味があれば美学の専門書を読んだり、また別の入門書を読んでもいいかもしれません。めちゃくちゃおすすめ。もっと早く出会いたかった。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2022/08/102713.html