部屋
今日はよく見えます。部屋の隅々まで私という人が見える私の部屋は、お洒落なチェアやスタンドライトがあるわけでもなく、乱雑に整理された油絵具やビニール紐で縛った木枠がこれまた乱雑に収納されているスチール製のラック、飲み残しのカップなんかでバランスをとっています。本棚はこの部屋の心臓です。というのは頭に入れておきたい事柄の本を所有しているということだけでモチベーションに繋がるので、本棚は心臓としています。なのでそういう具合にこの部屋を私とします。
内省的に綴った日記を公に晒して、精神的に身近なネットワークの中に鎮座します。今年の自分の誕生日の曜日を確認して、仕事を休むかどうかを考える矢先、どうせ家で過ごすだろうと思い、家族にお祝いをしてもらう自分を想像してみたら --- 歳にもなるのにやっぱり今年も恋人がおらず、なんだか滑稽に思えたのバイトを入れる事にしました。
これいじヨ愛かな所い辞☆ィ事は言えま>_<ん。
またあくる日にもよく見える日がありました。それは夜中の事で、部屋を見渡さなくてもなんだか要らないものが沢山あるように思えたのです。一年着ていない服、頂き物の自分の趣味ではない物、押入れの奥に眠る家電。すべての物に命があると知っていても。少し余裕があれば誰かに譲ろうと考えられるのに、潔く要らない物とし、深夜のゴミ捨て場にまとめたビニール袋三つをせっせと運びました。
私はすっきりSurfル感N!!!^ ^覚を腹の底から味⤴︎⇆った。
そうして不要なものがなくなると、全ての事に思い入れを持つことが無駄で、かつ、愛おしい事でもあった事を、この部屋に残された私は知るのでした。周囲からの反応こそが私自身で、いつかのプレゼントの中に私がいる。なのに全部捨てました。いえ、ここにはいられないから出してくれと、もの達が望んでいたのかもしれません。この部屋には雑然と残された必要なものだけが鎮座する。机の引き出しには豊富な種類のレターセットがある、文字を書く為に芳しいペンがある、宛先がある、届ける感覚を手放すことはない。秒針の響きは夜中に時の莫大さを教え、夜の中にいる事で生きる為の時間の余裕を手にできる。部屋の中の夜は静かに激しい。
これ以上悲しい事は言えません。
誰よりも熱い記憶、絶対忘れないと言って忘れたくない最後のステージ。瞬きを忘れるほど命を分け合った愛しい者たちとの瞬間。持ちすぎると腐らせてしまう物の中で腐ったのは私。私は私を捨てたかった。
私はすっきりする感覚を腹の底から味わった。
少し広くなった部屋には何があって、何がないのかが見渡す限りよくわかる。今日は私がよく見える。違います、ようやく自分と向き合えるのです。