祖母の家
父方の祖母の家は、山奥にあった。車でくねくねと、大泉洋なら早々に車酔いして文句を言いそうだと思うような山道を進む。木々は真っ直ぐな幹をしていて、背が高くて、葉は鬱蒼としている。木々をもっと見ようとすると、ガードレールの向こう側は深い崖であることに気づく。幼い頃は落ちたらどうしようと怖がっていた。
無事祖母の家に着いて「ただいまー」と声をかけると、祖母の優しい声が聞こえる。祖母の家、と言っているのは、祖父は私が幼稚園のときに亡くなっていて、あまり記憶がないからだ。
祖母の家に行くと必ず、がぶ飲みメロンソーダというジュースがあった。年末に遊びに行くと、祖母が準備してくれていた鍋を囲むことが多く、熱々の鍋を食べながらこのメロンソーダをぐびぐび飲んでいた。
うつ病になり休職を経て復職した後、今日の反省やこれからの不安で心がいっぱいになってしまったとき、コンビニでガブリチュウを買うことにしていた。ガブリチュウのメロンソーダ味を久しぶりに食べたとき、がぶ飲みメロンソーダと同じ味がした。もういない祖母のことを、祖母の家での冬休みを思い出しながら、私は泣けてきた。
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祖母は認知症だった。祖父が亡くなってしばらく1人暮らしをしていたが、だんだんと1人で生活することが難しくなって、施設に入った。たまに遊びに行くと子供のように喜んでくれた。同じ会話を何度も何度も繰り返した。私はすでに大学生だったが、祖母の世界では小学生もしくは中学生のままだった。いつ私を見ても喜んでくれなくなるか、「どちらさま?」と言われるか恐れながら遊びに行った。
祖母がいなくなった家は、ときどき父が片付けに行っているが、家というものは人がいなくなった途端に朽ちていくものらしい。久しぶりに行った祖母の家は、雑草が生い茂り、動物たちの侵入した後がたくさんで、よく分からないホコリやゴミがそこら中に落ちていた。家の中には、洗濯物の山があったり、『今日は何月何日』と書いたメモなどが出てきたのだそうだ。
あの山奥の家で1人で、祖母は何を考えていたのだろう。そして祖母の生活の名残を目の当たりにした父の気持ちはどうだったのだろう。