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【一本の線の向こう側にある千の紙】エゴン・シーレ展 東京都美術館


エゴン・シーレ展。
数年前のクリムトを見逃したことがジワジワと後悔に繋がっている。
これだから美術展は怖いのだ。
手当たり次第見るわけではないけれど、ちょいと気になってたな、という作家の作品の生が拝めるならば行くべきだ、と思うようになった。

昔は所謂ブロックバスター展が苦手だったが、新聞社の背景だの、無視される美術館建築だのはとりあえず置いておいて、本物を見に行く!ポスター以外の自分の中での名品に一つでも出会えれば儲けもんである。

とまぁ、美術をもう少し素直に楽しもうと思う40歳過ぎ。現代美術、ネオダダ、反芸術から美術の世界に入り込んだのだ、仕方ない。
赤瀬川さんも最初は印象派なんて、日本美術なんて…と言っていた、と。ところが名画読本という文献まで残すのだから人は変わる。
因みにシャガールの絵を「てんぷら」と称していた。シュワシュワしたころもみたい、だと。

さてエゴン・シーレ展の気持ちが昂ったポイントを二つ。

ドローイングの自在さ



線、の人なのだろう。
人体に対する興味の深さからそれを捉えて線に起こす力量の凄さ。凄み。
残っていないだけでかなりの枚数の素描を描いていたのではないか。
画壇に名前が売れ始める前、どれくらい修作を重ねていたのだろうか。現在残っている作品の前に膨大な紙の山が積み上げられている様に思えた。

展示されたドローイングのいくつかは紙がくしゃくしゃでシワが入っていた。
そのシワもシーレがつけたのか。
丸めて捨てる途中だったのを誰かが拾い上げたのか。
展示されている絵の紙がくしゃくしゃ、シワの跡がある、というものを今まであまり見てなかったのでちょっと衝撃だった。
その紙一枚が通ってきてこの場に展示されるまでの時間を思うと堪らなくなる。

裸婦の良さ


終盤の部屋が裸婦というのもまた。
描いてて楽しかったのではないかな。
体、人体、身体って本当描ききれない楽しさというか、描き終えられないというか。
純粋な興奮と共に画面に向かえるのではないだろうか。
動く人体ならば尚更。ポーズをとってるところよりポーズを取ろうとしている所を切り取った様なドローイングがすごく好きだった。

ヌードは描いてて楽しいのですよね。
実はヌードデッサンをする機会が若い頃にあった。
服飾科にいたので、まず人体!骨格を覚えよ!
ということでデッサンの授業があったのです。

モデルと対峙したあの感じ。
始まりのちょっと変な空気が描くたびに変わっていく感じ。描く人とモデルの対決の様になってく時間とか。
ムービングの腕の動き、関節、骨の隆起、骨の上の筋肉、柔らかい肉質、硬い肉質、伸びる皮膚、シワのよる皮膚。
を、凝視しながら紙にスケッチを描いていく。

思い通りに描けたことは一度も無かったけれど、授業後の心地よい疲労を今でも思い出せる。

あーー。
シーレの描いた裸婦像を見て
そんな目眩く時間を思い出した。
これ情熱そのものだよな…。

ふーっとため息をついたら、展示の最終室であった。
堪能できた!

今だとセルフィーだよなぁ、という自画像。
抽象と幻想の間

できれば、都美館は空いてることを願いたい。


でも皆んなに見て欲しい。
だから土日は避けれるなら避けたい。
電車が動いてる程度の荒天の日とかも狙い目。
と思ったら、金曜は夜間開館を再開していた。

あれ?いつから?東京都の美術館施設で金曜日20時までやってるのは写美だけだと思ってた。現美も庭園も18時閉館である。庭園は庭が暗いから仕方ないにしても、現美は金曜20時までをはやいところ再開して欲しい。

こりゃ金曜20時狙うぞ!と。17〜18時入場のチケット買ったら大正解だった。
駅に向かう人の多さに対して公園方面へ向かう人の少なさ。これはラッキーだった。
入り口からドンドン見ていくことができた。
大行列もなく、みんな割と部屋を縦横無尽に見てくれていたおかげで、絵を独り占めできるタイミングが幾つかあり。

こんな感じでした。金曜夕方。

気に入った絵の前で少し長めに見ていても後ろに待つ人がいないので気が楽。
行列になっちゃうと…物凄く疲れちゃうのですよね。つい次の絵が気になってしまったり。

という訳で、18時に上野へ移動できる方ならば、金曜日の夜間開館中の鑑賞も狙い目です。
おすすめですよ。

2月末17時前でこのぐらいの明るさ。
日が落ちたらライトアップもされていた。

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