【何者でもない】倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙 世田谷美術館
倉俣史朗(1934〜1991)
インテリア・デザイナー、とカテゴライズされるらしいのだがどうも自分にはその印象が薄い。
どちらかというと現代美術の人のイメージがあった。なぜか。
それは60年代70年代の美術家たちのエピソードの中に時折名前が出てくるからで、そのカテゴリー側から眺めていると現代美術家という印象を勝手に持ってしまっていたようだ。
この現象は、建築家の磯崎新氏にもある。ネオ・ダダの人、という思い込み。正しくはネオ・ダダの周辺にいた人なのだけども。
でもカテゴライズなんて結局後世の人間がわかりやすく理解するためのツールに過ぎず、その時、今を生きていた当人にとってはどう呼ばれようが、どうでも良かったのかもしれない。
インテリア・デザイン、アート、設計、空間デザイナー
言葉を尽くしても作ってみても本人の創作のエネルギーや出来上がったものの面白さには関係ないことなのだろう。展示を見てそう感じた。
展示解説は彼の仕事を時系列に紹介する形で進む。
アクリルの家具を作る話や 店舗デザインの話。
途中、高松次郎氏の名前も出てきた。
高松さんの作品を、内装に使ったり、工事現場の外壁にうつしてみたり。
今で言うパブリックアートの概念もこの頃からあったのか。
そういえば、地元の小学校の外壁に卒業制作として子どもたちによって描かれた人影の絵は高松次郎オマージュなのかもしれないと、ふと思った。
人が見てワクワクするモノの創作。
新しい素材と新しい感覚への挑戦。
透明、への挑戦。
iMac G3のスケルトン具合ににキャーキャーした時代(90年後半)の下地は前時代(80年代)のこういうデザインに憧れや慣れがあったからなのかもしれない。