【襖絵はどこへ】気温30度の桂離宮を楽しむ
美術館じゃ無いけれど。
2020年の石元泰博生誕100周年展を見た時、写真のモチーフに桂離宮があって、気になっていた。
そしてコロナ以降、さらになかなか予約が取れないということも相まって余計に気になっていた。
今回は9月の旅を7月頭のセールで取った。
その時点で予約をしてみたら「見学を許可します」というメールが届いた。
「許可」が降りる体験ってそんなにないぞ。
まぁ、その辺は置いておく。
残暑の残る京都駅からバスに乗って川のほとりの桂離宮へ。本当に離宮だな。
京ことばのはんなりお爺さん(時々毒舌)がガイドをしてくれる。面白かった。
「don't Step the MOS!」
苔を踏まないで!と時たま叫ぶ。
春の茶室にて
襖絵は復元なのか?という質問をしたら面白い回答が。
襖絵は狩野探幽の模写だけどもそもそも模写自体が明治期の修復時にしたものなので、模写にも価値が、という話。
その当時の権威ある日本画家が担当したとのこと。誰だったでしょうなぁ?えーと、ということだったのですが。
宮内庁の資料見るともしかしたら昭和28年の修復時に入れ替えたのかもしれない。
この宮内庁のPDF資料だと昭和28年かな。
https://www.kunaicho.go.jp/event/kyotogosho/pdf/27shoin.pdf
うーん、それまでずっと本物だった訳で。1954年ぐらいまでか。まぁよく残ったよなぁ、と。
修復、模写からもかなりの年月が経つので模写自体も価値ありますわ、とのこと。
京都周辺の襖絵は修復に前田青邨が駆り出されていたりと確かにそれこそ、違う価値が!と思ってしまう。
そしていつも素敵なスケッチと展覧会の考察を投稿していらっしゃる、スケッチ講師のわたなべ・えいいちさんのこのお話、大好きなんですけど、なんかそんな雰囲気を思い出した。
等伯の絵を寝転んで独り占めのお話。
このお話が昭和40年代ぐらいとのことなので、桂離宮は早いうちから襖絵の保護に動いていたのだな。とはいえ、明治期(昭和28年?)までは本物が飾られていた。
さて外された襖の本物はどこに収蔵されているのだろうか。
中秋の名月の夜間見学の倍率は200倍だそうで。
「先に宝くじ買うて下さい」と言っていて笑ってしまった。
気軽に行けない場所、と思っていたがひょんなタイミングが合い、見学する事ができた。
庭の造りや季節の工夫など色々話を聞くことが出来た。建築の基礎に通じる話、災害対策などもある。古来から住居に対する工夫を凝らして快適さを求めていたのだな、と気温30度以上の桂離宮で日傘をさしながら思った。
京都のバスがわからない
さて、桂離宮は朝9時の見学予約をしていた。
朝は6時過ぎに起き、近所を散歩した。朝は涼しいと思ったけれどぜんぜん涼しくなかった。
マルキ製パンのお店があったからこれを朝ご飯にしよう!と思ったらここでも現金を忘れた。
一旦、ホテルに戻るという。
コッペパン、美味しかったから良い。
というわけで7時台に一旦京都駅へ行き、駅のロッカーに大きな荷物を預けた。
奈良線のホーム端にあるロッカーはガラ空きで適当な場所へいれる。
京都駅に近いホテルだったらチェックアウト後も預かってくれただろうが、今回は戻るにもちょっとな、という距離のため京都駅のロッカーを使用。
バスロータリーから桂離宮行きのバスになるのだが、なんだか不安。
一杯案内板は出ているけれど、一応運転手さんに近くで停車するか確認した。
後乗り前降りなので前まで聞きに行かねば、なのが観光客にはツライ。
出発するまで、「このバス○○通ります?」と聞く人が何人かいた。やっぱり観光客にはわかりにくいんだろう。
かつらまんじゅうを入手
桂離宮を後にして、また大阪へ向かう。
快速電車はボックスシートなのでちょっとお茶。
空いてたのでありがたく。
相変わらず移動しまくりの旅。