【道路コア】SIDE CORE 展|コンクリート・プラネット ワタリウム美術館
東京都現代美術館で開催中の高橋龍太郎コレクションで見たSIDE COREの作品郡。
主張の強い作品に少しずつ疑問を持ち始めた高橋さんが次に気になったのが路上の作品だった、という。
自分も赤瀬川原平さんの路上観察学会の影響から路上にあるものが昔から気になるし、好きだった。面白かった。共感しかない。
最初は「路上観察学会が好き」なのだと思っていたが、どうもそこから路上的なもの、道端にある物、に惹かれる癖があることに気がついた。
なのでSIDE COREの作品も「わ、面白い」からはじまり「もっと見たいな」と思っていたらタイムリーにワタリウムで個展開催である。
東京都現代美術館にはちゃんとワタリウムのチラシがあって、出て来だ時には、あ、これさっきの人達じゃん!となって見た勢いそのまま行ってきた。良い動線。
サイドコアを認識した展覧会はこちら↓
24年横浜トリエンナーレにも出ていたが、その時は作家名を認識せず。
概要
平面作品から立体物、映像作品まで様々。
工事現場の看板をコラージュした作品もよくよく見るとなぜこの字体なのか、色なのかと思えてくる。
画面の隅から隅まで目で追ってしまう。
見慣れたもののはずなのに、こうして提示されると急に作品にみえるのが不思議。きっとコーナンPROとかでも見れるのに。今日も売っているであろう。
改めて考現学だよなぁと。
コロナ禍の渋谷の映像
これが地味に好き。やっていることは単純なのだが、そうだったのかもと思えるような、人形劇のような世界。
「誰も写ってないんです」。そんな帯が巻かれ、中野正貴氏の写真集『TOKYO NOBODY』が注目されたのは、2000年。これを撮るの大変だったろうな、というところから20年後、社会状況でそんな写真や映像がサクッと撮れてしまうなんて考えもしなかった。
この映像に写っている建物、看板、広告もまた20年経つと「懐かしの風景」となるのだろうか。
「今の街」を作品にすると、「記録」としての役割も付与されるのか。
そんなことを考えながら様々な映像作品を眺めていた。
今回のワタリウム美術館のチケットは購入すると、会期中何度でも再入場できるフリーパス制のチケットである。
あまりに面白かったので、後日子供と一緒にもう一度立ち寄ってみた。