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【ホックニーの生々流転】 デイヴィッド・ホックニー展 東京都現代美術館



楽しみにしていたホックニーの個展。
しかも東京都現代美術館ですから期待も高まる。
見終えた後、あぁ、やはり良いな、楽しい絵だなぁと実感した。
心が暖かくなる展覧会だった。嬉しい。

長い画業の中から、東京都現代美術館の所蔵品とホックニー個人蔵の作品を中心に年代別に提示する展覧会。
一つ一つの取り上げ方はやや浅いですが、

網羅的に見ること
今の作品もしっかり見せること

に注力したのかな、と。
挿絵の作品などは22年10月に名古屋市美術館でまとめて展示があったのが良いジャブになった。


全体を通して思ったこと、考えたこと

「らしさ」とはなにか


その作家らしさってどこから生まれるのだろうか?ということだ。
同じツールを使っても描く人が違えば同じ絵が出来上がらないのは当たり前なようでなぜだろう。
油絵も版画もipadの絵も。

この部屋のどの作品が油絵でどれがiPadか。


逆にテクスチャーや方法論が全然違うのに、ホックニーが描けば出来上がった絵が「ホックニーらしい」絵だと思えるのはなんでだろう?

非常に不思議だ。

きっと黒板にチョークで描いても、木の枝で地面に落書きをしても「ホックニーの絵」になるのだろう。

生々流転だ


近年の作品にiPadで描かれた文字通り長ーーい「超(長)大作」がある。
これがまるで車窓から外を眺めているような、そんな気分にさせてくれる。
移り変わる風景。


あれ、でもなんかこれ、どこかで体験したような、と勝手に思い出したのが横山大観の生々流転だ。横山大観がもしiPadを使って絵を描いたらやはり大観らしい絵巻物になるのだろうか。
モノクロの表現をiPadでするのかしら?
と、ちょっと想像しニヤニヤしてしまった。

裏テーマはコレクション企画展でもあった


東京都現代美術館はホックニーのコレクションが豊富だ。
スプリンクラーやプールの作品などは90年代の常設展示室ではおなじみの作品で、かなりの頻度で展示されていたと思う。

自分がホックニーという作家を認識したのもこのスプリンクラーの作品だった。しかし近年は常設展の入れ替えも頻度が上がり、日本人作家中心の展開が多くあまり見る機会がなかったのも確かだ。
今回、馴染みの作品が企画展示室の広い空間で見ることができてよかったな、としみじみ思う。

特にスプリンクラーの絵画は、ウォーホルのマリリン、リキテンシュタインのヘアリボンの少女、リヒターのエリザベートに続き、東京都現代美術館所蔵海外作家作品の核を成す作品の一つだと言ってもいいだろう。

ダミアン・ハーストに噛みついたのが何となくわかる。元気だな。
風景とは。


今回はコレクション展示室(常設展示室)にもホックニーの作品が出ていた。子供が思わず「これ、企画展に並べられなかったからここにあるの?」と口にしたほどだ。
おいー!物の言い方!!!
と焦ったがもしかしたらそうかも知れないし…とモゴモゴしてしまった。

そう、今回は子供と一緒に見たのだ。
1階展示室の大きな絵が大変気に入った様子だった。
「この前ハイキングした〇〇ヶ原みたい」とか
「〇〇の時の森にいるみたい」とか
自分の胸にある風景と重ねながら見ていた。

なにかの作品を前にし心の中の風景が引っ張り出される経験って大人にもあって、そのような記憶が呼び起こされる体験というのは10年生きた人も40年生きた人も同じなのかな、と考えた。

2023年サマーナイトミュージアムを利用。金曜日21時まで開館は嬉しい。あ、鳩。

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