【知らない事を学ぶには多少根性がいる】交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー 東京都庭園美術館
一言でいうと、今回は難しかった。
いや、ちゃんと導入部分を読んだはずなんですけども、それでも展示品に夢中になってしまうと、この作品がどういう位置づけで展示されているのかの文脈がぶっ飛んでしまう瞬間があった。
それは私が服飾展示に目がなく、つい細部や縫い目を追うのに夢中になってしまうからかもしれないが。
そこから、流れにを追うのに頭を戻すことに時間がかかり、14時過ぎに入場したけれど閉館間際までいた。
こんなに時間がかかったのは久々である。
でも展示室内は撮影禁止だったし集中して見る環境が整っていたからかもしれない。
すっかり暗くなってしまった庭園を歩いて正門に向かう時はやり切った感があった。
でも夜の庭園美術館、なんか怖い。古い洋館だからな。。
今回は主に以下の3点について書き残したい。
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【日本の近代時期のデザイナー名】
今まで見てきた展覧会の中で名前を見た人(基本的に日本の人物)ならなんとなくは覚えていた。
「これ系のこの時代の展示ならこの辺の人たちの話が出てくる」とある程度予測ができている中で、まったく初めて名前を聞いた人物が、
斎藤佳三(さいとうかぞう)氏。
考えてみたら今回はインテリア寄りのデザイン文脈の展示であり、私は近代時期のグラフィック以外の日本人デザイナーを全く知らなかった。(グラフィックには里見 宗次がいる)
その時代にデザインと言う概念がまだ無く、デザイナーという言葉も日本にはなかったからかもしれないが。(意匠という言葉だった時代。柳宗悦が書簡にデザインと言う言葉を使ってて驚いた記憶が。もう少し後の話。)
ウィキペディアにも名前がなかったからやはり知名度的にはまだまだなのだろう。でも子供向けのジュニアガイドにもがっつりページ割いて斎藤氏のことを紹介していて、素晴らしいと思った。
斎藤佳三氏はドイツに2度留学している、ということはバウハウスやら、当時の海外の現代美術を肌で吸収した日本人なはずである。
ただその頃日本は未だ洋装が完全ではない時代なので、洋服そのもので生活様式は変えられず、未だ市民権のあった浴衣の柄やら着物の帯ににカンディンスキー的な文様を還元したものを取り入れ、和洋折衷を試みた。
しかしそのセンスの良さたるや!感激してしまった。
「染色」でなく、テキスタイル、という言葉で十分通用する。
斎藤氏は音楽の才もあったので「リズム模様」として発表とのことだが、カンディンスキーが音楽に影響を受けた絵画を描いている、ということも理解した上でではないか、という解説があった。すごい、納得。
イブ・サンローランがモンドリアンのコンポジションをワンピースに取り入れモンドリアンルックを発表したのは1965年。それよりも先に、1940年代に絵画から衣服に柄は取り入れられていたのだ。
その落とし込み方もとてもセンスよく、むしろ現代の着物の方が古典柄ばかりじゃないか、と思う。
【バウハウスの流れは結構皆知ってる。じゃあ一方その頃フランスでは?】
バウハウス側の歴史は多く語られるが、やはりその存在を意識せざる得ないフランス側の活動はというと、UAMというフランスのモダンデザイン団体の発足である。
Union des Artistes Modernes(現代芸術家協会)を略してUAM。
UMAみたいだなー。
名を連ねるのはル・コルビュジエ、シャルロット・ペリアン、ジャン・プルーヴェなど。
はい、団体名より個人名の方が著名な方々ですね。
とある雑誌記事ではUAMは本国フランス人にさえも少し不思議な存在だった、という記述も見つけた。回顧展がフランスで行われたのは2018年。
今回なぜそうなったのか、を作品や資料と流れで解説してくれる展示がとてもわかりやすかった。
【ここで会ったが百年目、東近美の所蔵品を庭園美術館で見る驚き】
東京国立近代!!!海外の食器や机まで所蔵してたのーーー!!!
まぁ、洋画のコレクションもあるし、お隣に工芸館があったからそのなごりですかね…と思ったけれど。
電気スタンドまで収蔵してて…今の近代の常設では出る幕ほとんどないのでは?とも思うので貴重な機会だった。
しかし、この電気スタンドや食器たち、東京国立近代美術館本館の常設展示室に飾られる日は来るのだろうかと勝手に不安になってしまう。
という点でも、庭園美術館へ東近美の所蔵に会いに行くのはよいのではないでしょうか?とおすすめしたい。
【終わりに】
今回、難しいなりにも見てて役立った知識は以前見た上野リチ展や、ジャンプルーベ展で得たものだった。その下地があったおかげで、なんとか最終的にストンと落とし込めた。
難しいことでも、こうやってリンクしていく、何かと何かがつながる瞬間、はとても楽しい。やっぱり楽しい!で終えられてよかった。