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るべしべYOSAKOIソーラン「留魂輪舞」

音楽制作での作品を、と言っておきながら、早々にそうじゃない内容での記事アップになってしまいました^^;

ということで。

今回の内容は、noteをブログ代わりにと取り組み始めた当初から「いつか書こう」と思っていたもので、ようやく書けるタイミングかと思うので、書いてまとめて残しておこうと思います。

「YOSAKOIソーラン」

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、北海道には「YOSAKOIソーラン祭り」というイベントがあり、主に道内の一般市民がチームを結成し、それぞれオリジナルの演舞を披露するというもので、年一度のこのイベントは昨年夏の開催で33回目を数えています。
僕も一時期、いくつかのチームから依頼されて「演舞の楽曲制作する」という立場で関わらせていただいておりましたね、、、もう25年前とかの話になりますが^^;

規模の大きいチームだとバックにスポンサー企業がついて、楽曲制作も振り付けも、名の知れたプロの方に依頼されたりするのですが、当時僕が依頼を受けておりましたチームは何れも小さめなチームでして。
小さなチームにあっては衣装や振り付けも全部頑張って自前で何とかする感じで、でも25年前当時って、今ほど気軽に誰もが「音楽を作れる」って環境ではなかったので、たまたま作れる僕のところに話が来た、という感じで請け負っておりました。

もともと僕自身、YOSAKOIソーランを見ること自体は結構好きで(全く踊れませんが^^;)、また音楽制作者として現場の音や感じも実際確認しておきたかったので、イベント当日は各会場に出向き、自分の担当したチームを観覧させていただいておりました。

色んな会場で色んなチームの演舞を見ることになるのですが、その中で出会った、とあるチームがありました。

留辺蘂町から来た「留魂輪舞」というチーム。
ちなみに留辺蘂町は2006年に北見市に吸収合併され、今ではその市町村名はありません。

僕はその演舞に一見して魅了されてしまい、推し活とは程遠い人種である自負を覆し、気づけばそこから追っかけのようになってしまっていましたねw

このチームの演舞は、もはや「YOSAKOIソーラン」という括りではなくて、総合芸術だと感じました。簡単に言えば「一風変わった」と説明されるような、YOSAKOIソーランという範疇で見るとかなり際々にいるような表現の演舞でした。
でも、それは単に「ハズす」「奇を衒う」といった瞬間のインパクトではなく、独特の芯のあるものとして確立していて、それが衝撃で、僕的ツボにはかなりのクリーンヒットだったのでした。

追っかけのようなった僕は、この留辺蘂のチームの方とやりとりをさせていただけるようになり、快く対応していただいて、なんとチームの演舞の記録映像VHSまでいただけることになったのでした。チーム関係者でも何でもないのに。。今思うと厚かましい奴だったと思います、、、本当に申し訳ない限りです。。。
いただいたVHSは、擦り切れるほどに何度も見続けました。
そんな25年前。

そして時は流れ、現代。w
時代の流れと環境整理の断捨離で、場所を取ってるVHSテープの山を処分をすることにしました。内容は各種の記録映像なので、大事な記録はMP4の映像データにして残しておいて。
その中に、このVHSがありました。久しぶりに見た演舞の映像。
やっぱり素晴らしい。

当時、演舞のVHSテープをいただいて、見ながらずっと思っていたことがありました。
テープには各会場での演舞が収録されているのですが、各会場ごとカメラのアングルが違っていること。
このフリは引きで全体を見たいなとか、この会場はスピーカー近くで音が割れてるなとか、手ブレで見にくい箇所があるなとか、そういうのが各テイクで各所にあるのが気になってきました。
そういう小さなストレスをクリアにした、各テイクでそれぞれフリ毎の魅力が一番出ているカットを編集して集約した動画一本を作りたいなと。
僕がナマで見て衝撃・感銘を受けた表現、できるだけそれと同じような印象になるように映像をまとめたい。

ということで、25年経って、ようやくそれを形にしてみました。映像編集が、思ったようにできる時代になったということですね。

もともとの素材がVHSからの編集なので、画質はかなり粗いですが、それでも形にして残しておきたい作品です。

るべしべ『留魂輪舞』
・2000年演舞「祈り」
・2001年演舞「雫」
・2002年演舞「内なる鬼」

僕的には、この三部作(と勝手に呼んでいる)が最高の演舞だと思っています。
明確で強いコンセプト、シンプルに貫きとおすような世界観、それを表現するフリのメリハリとか陣形や隊列、展開の持ってき方もクールで、「音と演舞」「個と全体」の相関バランスが絶妙で、それ故まさしく総合芸術として構築されてると感じだのだと思います。
音楽も衣装も、今見ても聞いてもカッコいいと感じられます。

共通して「無機質」「抽象的」、そいれでいて物語がある感じ。
僕は「単純明快パンクロック!」みたいな勢いまかせのパッションものより、こういう緻密に作り込まれたような、それでいて強い世界観を構築するような作品が好きで、でもそこに着地させられるのってかなり難易度が高いことだと思うんです。
それを留辺蘂という町の、プロ表現者とかではない一般町民老若男女(子どもも含む)の方々がやっているというのもとても魅力的で、どうやって一人一人にその意識を落とし込んだんだろうって、作り手目線ではそんな裏側まで気になってしまうほどでした。

…と、湧き上がるままにかなりアツく前置き説明が迸ってしまいました…笑
書こうと思えばまだまだ出てくるところですが、胸焼けするので止めておきますw

よろしければ演舞の動画を見て、同じように響いてくださる方がいらっしゃったら幸いです。

では以下、三部作をどうぞ*


るべしべ『留魂輪舞』2002年演舞  「内なる鬼」

二作目で「従来のYOSAKOIソーラン」から乖離して独自表現を磨いたのを経て、三作目らしい回帰の仕方をしていると思います。特に全体と個、抽象イメージと具体的モチーフのバランスが巧妙で伝わりやすい作品かと。

るべしべ『留魂輪舞』2001年演舞  「雫」

二作目にして、ともすれば「YOSAKOIソーランの演舞としてやる表現なのか」と異論も出そうな、かなり一般的な既存概念を吹っ切った作品。液体の事象や実験映像、分子配列とかを想起させるような抽象感が魅力的*

るべしべ『留魂輪舞』2000年演舞  「祈り」

三部作の一作目。ここではまだ「本来のYOSAKOIソーラン」に気を遣って(?)るなぁと感じますが、それでも表現やギミックはかなり従来を逸脱していて、傀儡のような祈祷師の駒感が「不気味カッコいい」←賛辞

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久保田 友和
最後までお読みいただき、ありがとうございました!頑張って書き重ねていきますので、是非またお越しください。