見出し画像

錆戦日誌15・とある兄妹

「おかえり、お兄ちゃん。どうしたの、その傷! もしかして、ニュースで言ってたジャンク財団にやられたの!」
「いや、この傷跡は彼らとは無関係だよ。こいつのせいさ」

そう返して、抱えている猫ちぐらを揺すってみせる。猫ちぐらを生まれてこのかた目にしたことがない妹は、意図がわからないらしく首を傾げた。

「ほら、本物の猫を見せてやるって、約束したじゃないか」
「えっ。えっ、でもそんなの、ずっと子供の頃の話で」

生まれつき体の弱かった妹は人工心肺を必要とし、その手術費用のために両手足を売って武骨な機械に置換した。それはもう十年近く前の話で、本当に、子供がする他愛もない約束だったのだ。

「お兄ちゃん頑張っちゃったぞ。とりあえず部屋の隅に置くか」
「ずっといなかったの、取材してたからじゃないんだ?」
「それは趣味と実益というか、公私混同というか。猫を探しながら、いろんな人と会って、いろんな話を聞いて。細々と記事を書いて売ってさ」

こうして顔をつなぎ、猫ならぬコネを得ることも未来への投資なのだ。青花、というかフェアギスマインニヒト相手にひと悶着あったことは、聞かれない限り黙っておこう。

「で。それ、本当に本物の猫なの?」
「中にいるのは本物だよ。ご挨拶しようか」

猫はちぐらの中から顔を覗かせる。三角の耳、緑の目、黒く短い毛皮。

「本当に本物の猫なの?」
「本物だったらいいな、とは思うよ」

伝承や様々な図版に見られる姿に近いし、バイオ猫とはちょっと姿かたちが違うし。こっちの方がもう少し洗練されている気がする。それぞれの好みの問題はあるだろうけど。
妹は右手を猫の鼻先に近づけた。互いに互いを警戒しているようで、右手を出すと顔が引っ込み、顔が出ると右手が引っ込んだ。

「その指ならちょっと引っかかれても大丈夫だろうに」
「うん、でもその顔を見るとちょっとね」

やがて距離感がつかめたのか、猫が妹の指先にかじりついた。めっちゃがりがりいってる。

「えっ。えっ、これ大丈夫なの」
「たぶん大丈夫じゃない、ちょっとそこ代わってくれるか」

めっちゃ指噛まれた。それはそれとしてちぐらから出して抱き上げる。

「最初からこうすればよかったんだな。ほら、こう、抱える感じにして」
「こ、こう」

胸の前で両腕を組むような格好になった妹の腕の中へ、猫を放り入れる。どちらも「急に何するんだこいつ」みたいな顔でこっちを見ている。

「じゃあ、世話はよろしく。必要なものはメモしておいたからこれ読んで。ふたりに神々の祝福あれ」

翡翠式の祈りのしぐさを見様見真似でやった後、すぐに部屋を後にした。
さて、彼女の鋼の腕を徹して、あの小さな生き物の体温は、鼓動は通じているだろうか。通じていてほしい、と希望することしかできないが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?