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武士の情けと五平餅  -宮崎支隊インパール戦記-

 戦争が終わった今、老将軍は茶碗などの陶器を販売して、なんとかその日の生計を立てている状態だった。

 私が戦闘状況聞き取りのために訪問した際も、狭い店内に陳列されているおびただしい数の陶器を一つ一つ、丁寧に拭いていた。
 そして聞き取りを始めたのだが、予想通り、話は要領を得ない。

 噂では、モウロクして当時のことを聞き出すのは困難だと言われていたが、その通りだと思った。名将軍と言われたこの人も、時の流れと老いには勝てない、というところか。

「すると、宮崎さんは、祭兵団(第十五師団)の進路上にあるサンジャックを、勝手に攻撃したのですね」
「ふむふむ。そうじゃ」
「多大な犠牲を払ってまで?」
「ふむ。だいぶ、やられたかなぁ。あのときは」
「”だいぶ”と言うと、戦死者の人数は?」
「だいぶ、じゃよ。わしもよく憶えていないのじゃ」
 自分の部下が死んだ人数くらい……という言葉を、喉の奥でかろうじて止めた。

「『祭』の将校は、当時の宮崎さんの態度を良く言わない者もいます。たとえば、六十連隊の浅井中尉や、松村連隊長も。烈兵団……いや、宮崎さんには、コヒマを抑える責任があったはずです。なのにサンジャックのイギリス軍を攻撃したことは、その後の戦闘に悪影響を与えたと、史実調査部では考えています」
 私は畳み掛けた。老将軍を怒らしてでも、当時の状況を引き出したかった。私の所属する史実調査部には、GHQから今年中にインパール戦史を整理するよう命じられている。ところが、怒るどころか、ニッコリと笑みさえ浮かべて、老将軍は言った。
「ホッホッホッ……そうかそうか、では、松村君の言うとおり、戦史に書いておいてくれ」
(だめだ、こりゃ。無駄足だったな)
 それが感想だ。それ以上でも、以下でもない。

※※※

昭和十九年三月 ビルマ・インド国境付近
イギリス軍、サンジャック山上陣地

 烈兵団(第三十一師団)配下の、宮崎繁三郎少将の率いる宮崎支隊は、インド・アッサム鉄道のディマプール駅とインパールを結ぶ道路上の集落、コヒマを抑え、イギリス軍の補給路を遮断すべくアラカン山脈を西進していた。宮崎支隊とその南を行く本多挺進隊が敵の補給拠点を抑えている間に、祭兵団(第十五師団)がインパールに突入する計画である。さらにその南方では弓兵団(第三十三師団)もインパールに向かっている。

「支隊長閣下、ウクルルの占領に成功しましたっ! 英軍は約1個大隊ほどの兵力です。白兵突撃をすると一戦もせずに撤退しました。英軍が白兵戦に弱いという噂は本当ですな」
 宮崎は、その報告を聞いても笑顔を見せなかった。肩には村人がくれた猿の「チビ」が首をかしげて報告を聞いている。
「うむ、よくやった。が、敵はどの方面に逃走したのだ?」
「はい南に向かったようです。我々が行くのは北のコヒマですから、都合がいいですな」
「南か……」
 宮崎は地図に視線を落とす。北は目指すコヒマ、南はサンジャックである。
「サンジャックの地形は?」
「ええと、数件の民家、その背後には傾斜のきつい、200mほどの高地です」
「捨て置けん」
 宮崎はボソリと言った。猿のチビが同意するかのようにキュー、と鳴く。
「は? しかし、サンジャックは祭の進路上です。松村連隊(『祭』の第60連隊)がなんとかするでしょう」
「いや、1個大隊でも、その地形であれば持久可能だ」
「我々がコヒマを抑えれば、補給が絶たれて勝手に自滅しますよ。そんなに功を焦らなくても……」
 宮崎は、無言で空を指差した。そこには、英軍の輸送機がサンジャックに向けて飛んで行く姿があった。

 真っ暗闇の中、オレンジ色の曳光弾が無数に山上陣地から降ってくる。
「中隊長、戦死っ!」
「第一小隊長、代理で中隊の指揮を執るっ」
 その声から数分後、
「第一小隊長、戦死!」
「第二小隊長、指揮を執るっ、生き残りは斜面東側の潅木の手前に集まれっ!」
 宮崎支隊はサンジャックの夜襲を決定、ウクルルを陥落させた第二大隊がそれにあたったが、地形的不利と、敵の優勢な火力の前に苦戦を強いられていた。
「大隊長殿、負傷ぉ!」
「第五、第六中隊長、戦死!」
「小隊長殿っ、このままでは、斜面に釘付けですっ、一旦引きましょう」
「いや、後続が来るまでここでがんばるんだ。先ほど、支隊長閣下が前線に来ると連絡があった」
「宮崎支隊長が? それなら、安心です。支隊長が前線に来て、負けたことは無い」
「ああ、ノモンハンでも宮崎部隊だけは勝っていたからな。砲を打ち込まれようが、戦車が来ようが、負けなかった。よしっ、塹壕を掘って、ここでがんばるぞ。明るくなれば敵機が来る。そうなれば打つ手無しだからな」
「はいっ!」
 兵たちは円匙(スコップ)で穴を掘り始める。

 しかしその間にも戦死者は続出し、さすがの宮崎支隊の将兵たちも、初めての負け戦かと、疑い始めていた。

 そのころ、『祭』の歩兵第六十連隊では、自部隊の進路上で、『烈』の宮崎支隊が戦闘中との報を聞き、松村連隊長は憮然としていた。
「戦上手と名高いのはわかるが、そんな勝手をされては困る。そんなにまでして戦功をあげたいのか」
 そうつぶやくと、副官の浅井中尉を呼ぶ。
「宮崎支隊と連携してサンジャックを攻撃する。攻撃時間と合言葉など、打ち合わせてきてくれ」
「はいっ、行ってまいります」

 密林を抜け、山岳をひとつ超えると、宮崎支隊の司令部があった。司令部といっても、天幕ひとつに、将校が二人いるだけである。
「『祭』の浅井中尉です。貴部隊はサンジャックを攻撃中とのこと。『祭』としても攻撃に参加するので、宮崎支隊長殿と打ち合わせたい」
 応対に出た将校が答えた。
「支隊長殿は前線に出ておられます。お会いすることはできません。しかし、電話連絡なら」
「それで結構」
 電話を取ると、宮崎のぶっきらぼうな声がする。その声の背後には、銃声が聞こえた。
「誰だ」
「『祭』の浅井中尉です。サンジャックの攻撃について、『祭』も……」
「いらん!」
 言葉も終わらぬうちから、宮崎に怒鳴られた。
「わが方の第二大隊は壊滅している。しかし、必ずこの陣地は取る」
「しかし、『祭』の進路上です。我々には、攻撃の義務が……」
「馬鹿者っ! ”武士の情けを知れ”と言っておるのだ。『祭』の進路上だ? 今からワシがサンジャックを攻撃する。明日の朝までに帰らなければ、宮崎支隊は全滅したと思え。その後は、『祭』の好きにすれば良い」
 そう言うと、電話は一方的にガチャリと切れた。
「全滅したら、誰がコヒマを抑えるんですかっっ!」
 切れた電話に浅井中尉が叫ぶと、宮崎支隊の将校は、さも同情した様子で受話器を受け取り、言った。
「そ、そういうことですので、我々に構わず、『祭』は前進してください……」
「はあっ?」
 浅井中尉がギロリと視線を送ると、将校たちは慌てて自分の仕事に戻って行った。

「連隊長殿、……ということでしたっ」
 松村連隊長は浅井中尉の報告を聞いて眉間にしわを寄せる。
「宮崎閣下(宮崎は少将なので、そう敬称した。ちなみに、松村連隊長の階級は大佐)が言うのだから仕方ないだろう。しかし、サンジャックは我々の獲物だ。ただ通過するワケにはいかん。宮崎支隊の逆側の斜面から攻撃しよう。それなら連携しての攻撃にはならんだろう」
 浅井中尉は頷くと、各大隊に攻撃開始の連絡をした。

 既にサンジャック山上陣地は静かだった。敵味方の戦死者が無数に倒れている。松村が山上に登ると、逆側の斜面から宮崎も這い上がってきた。軍服は泥だらけ、顔は煤けている。宮崎も松村を見とめた。
 そして、たれ目がちの優しい瞳を不意に吊り上げ、鋭い眼光を松村に向ける。
 言葉は無い。
 浅井中尉は、してやったりという表情を浮かべつつ言った。
「我々が先に山上陣地に到達したので、相当悔しいのでしょう」
「フン、しかし我々が文句を言われる筋合いは無い。軍の作戦通りの行動だからな」

※※※

「……宮崎さんは『武士の情けを知れ』と怒鳴って、松村連隊に攻撃を自粛させようとしましたね。これは獲物の横取りと同じです。いくら功を焦ったからと言って、”手柄を譲れ”というのは、どうなのでしょうね」
 話が終わる直前、私は老将軍の反省を促すためにそう言った。すると、その日初めて宮崎元支隊長は、手で顎を撫で、何か考えるような仕草をした。そして、こう言った。

「松村連隊長は、何か勘違いしとりゃせんかのぅ?」
 私は鞄にノートとペンをしまい、既に帰り支度をはじめている。
「勘違い? 松村部隊の将校の言い分と、宮崎さんの言葉はツジツマが合っているではありませんか。『武士の情けを知れ』とおっしゃっていないとでも?」
 私はイラつく心を抑えながら、吐き捨てるように言う。
「いや、言った。確かに浅井中尉にそう言った」
「はいはい、ああそうですか。ならば私はこれで失礼しますっ」
 無駄な時間を費やしたことに怒りの念を覚えながら、早々に退散しようと立ち上がり、侮蔑の念を込めてその老将軍を見下ろしたときだった。

 老将軍は、言った。
「『祭』は、機関銃がワシらの三分の一の12丁、速射砲は半分の3門、師団全部でも6個大隊しか無かった。それに対して、ワシらは9個大隊じゃ」
「は?」
「山岳戦の主兵器は山砲じゃが、それもワシらの半分。しかも日露戦争前の三十一年式山砲じゃよ。これが一発撃つと、ゴロゴロと砲全体が後ろに下がる。狭い場所じゃ撃てんし、命中率も悪い。ワシらは四一式山砲じゃ。兵隊の持つ小銃も三八式。ワシらは新型の九九式。敵の補給路を抑えるワシらよりも、インパールに突入する『祭』の方が貧弱な戦力じゃ。『祭』の岡田参謀長(ちなみに、岡田参謀長も宮崎と同じ少将である。師団参謀長は通常、大佐の役割)がな、十五師団よりも、宮崎支隊の方が装備はいいですね、と笑っておったな……」

 老将軍は、そこで口調を一変させ、私に請い願うように言った。

「よいか、あの作戦で一番苦労したのは『祭』だ。そして、一番酷い損害を受けたのもな。君、せめて戦史は、松村連隊長の言うとおりに書いてやってくれ。頼むっ!」

 そしてまた、元のようにニッコリ微笑む。

「あぁ……ホレ。ワシはこの通りモーロクしてしまってな、当時のことは何一つ思い出せんのじゃ、だから松村連隊長の言う通りに、な……」
「しししっ支隊長閣下っ!」
「ん? 閣下はやめてくれんかの? 今までどおり、”宮崎さん”で。ホッホッホッ……」

 そう、”武士の情け”をかけていたのは、この老将軍……いや、宮崎閣下だったのだ。しかし、普通の言い方、つまり、”武士の情けでサンジャックを攻撃してやるから先にインパールへ行け”という言葉で松村連隊長が納得しないと考えた宮崎閣下は、自分に対して武士の情けをかけてくれ、という言い方にしたのだ。

 私は即座にその場で土下座した。人生、初めての土下座だ。
「ちょ、ちょっと、これから京都に行きますっ!!」
「これから京都か? どうしたんじゃ、晩飯でも食っていかぬか?」

 私は頭を上げられない。今までの不遜な態度、どのツラ下げて宮崎閣下と目を合わせばよいのかわからない。
「いやいやいやっ、京都の、松村連隊長のところにっ! あ、あと、浅井中尉のところにも」

 私は土下座状態のまま、器用に膝を動かしてジリジリと後退してゆく。
「そうか、松村連隊長のところにか……そうそう、すまんがひとつだけ、聞いておいてくれぬか? なぜ、あの時、サンジャックの山上陣地に登ってきたのか」
 恐る恐る、私は視線を上げる。宮崎閣下の言葉に穏やかさは失われていない。しかし、たれ目がちの優しい瞳を不意に吊り上げた。私の背筋に寒気が走る。

 サンジャック山上陣地で浅井中尉が見た視線は、これだ、と思った。”インパールに行かず、こんなところでナニをやっている?”、という視線だ。

 転げるように宮崎家を退出すると、即座に松村元連隊長に電話をかけた。

 電話口の声が震えているのがわかる。
「みっ、宮崎閣下が、そう言ったのだな」
「はいっ!」
「うわわわわわゎゎ……」
 松村元連隊長はしばらく声を震わせていたが、言った。
「わっワシが行く、東京に、ワシがっ!!」
「へ? しかしかなり距離が」
「馬鹿もんっ! ワシらはビルマのラングーンからインドのインパール直前まで二千キロ以上踏破したんだっ! しかも山岳地帯じゃっ! 京都から東京までの距離なぞ、何でもないわ!」
「そ、そうですか……」
「あ、そうだ、宮崎閣下は五平餅が大好物じゃ。君、これから岐阜に行って買ってこい。醤油ダレではなく、味噌ダレの方だ」
「今から岐阜!? 距離が……」
「なにをっ! ワシらはラングーンからインパールまで……」
「わっ、わかりましたわかりました。どれくらい買いましょうか?」
「アホ、ありったけじゃ!!」
「はいっ、では、明日の朝、宮崎閣下の家で」
「おい、くれぐれも」
「はっ?」
「味噌ダレじゃからな」
「はい、味噌でっ!」
 電話を切ると私は東京駅に行き、汗だくになって、東海道本線に飛び乗った。

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