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潮騒・・金閣寺炎上

伊勢外宮参拝を兼ね伊良湖岬からフェリーで鳥羽に渡った。波に揺れるフェリーに身をゆだね海上を見つめていたら三島由紀夫がその小説『潮騒』の舞台にした神島が見えてきた。

神島は小説では『歌島』となっているが発表と同時にベストセラーになりアメリカでも翻訳され日本では映画化権を巡り争奪戦がおこった。その後5度、映画化された。

三島の小説の中では馴染み深く国民的小説として評価されている。

この神島を鳥羽へ向かう船上から見た時遠く飛鳥の時代が私の頭を過った。天武天皇の妃で夫の死後天皇についた持統は伊勢神宮の参拝に出かけた。

持統天皇にとって舟遊びを兼ねての伊勢の旅だった。都(飛鳥浄御原宮)に残った柿本人麻呂が、お供をした人々の中の女官の1人を想って詠んだ一首が遺されている。

「伊良虞」は、伊良湖岬もしくは神島のことである。現代訳は以下の意味になる。

潮流がざわめく今ごろ、伊良虞の島のあたりを漕ぎ舟に、愛しい人も乗っているのだろうか、あの波の荒い島のまわりを

三島は潮騒執筆の頃、この島を訪れ次のように書き記している。「この島は海の幸に恵まれて豊かであるが、やはり海を相手にした仕事には、勇気も要り、悲劇も生ずる。一家から若い死者を何人も出した不幸な母も多い。

男は成人すると、たちまち海へ出てゆき、沿海漁業や遠洋漁業に従事し、女は一旦島を離れて行儀見習に出るか、あるひは海女になるかが、この島の永年のしきたりであった。」

この記述は私の生まれ育った過っての漁村焼津の事情に似通っており 親しみを感じたりした。

『潮騒』は普遍的価値観に生きる道徳的な人々の幸福な物語だとする未発表のメモ草稿もあり金閣寺の主人公と対比した物語展開となっているのも興味深い。

 三島由紀夫はその著書『金閣寺』を発表した十四年後の1970年に、アメリカから与えられた民主主義と日本国憲法への批判、そして自衛隊の国軍化を訴え、自衛隊の決起を促したが結果失敗に終わり其の場で割腹自殺をとげた。

 これは、私を含め当時大変衝撃的な事件であった。しかし、この事件は、衝撃の割には、日本社会のシステムや構造を変へることは出来なかった。

 この事件を考察するのに事件直前に脱稿した『豊饒の海』四部作や『金閣寺』が参考になるのであろうか。

『豊饒の海』は彼の美学を解き、『金閣寺』は日本の変革を願った三島のテーゼとして読み解くことが出来るのだろう。

 金閣寺が室町という時代さえも超越した日本の全ての価値観の普遍性を体現しているものと思えば、その「普遍性」を体現したがゆえに、普遍性という絶体の価値観に打ちのめされていった金閣寺の修行僧によって放火されたのです。

修行僧自身三島の投影だったのだろう。戦争に負けアメリカに従属することが日本の戦後社会の構造や普遍性としたら自衛隊の決起こそが三島の金閣寺炎上だったのだろう。

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