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エッセイレッスンを体験して

(写真は甲斐駒ヶ岳、小仙丈尾根方面から摩利支天を右に配したお気に入りの風景)

私は何をやっても大した実力はないのですがが人をもてなしたり、少人数でミーティングするのが好きです。しかし他人の家とか他所でやるのは余り好まないのでほとんど自宅での開催です。

近年コロナの拡大、自身の病気ありでこの手の集まりはご無沙汰である。

かなりの数のミーテングがあったがその多くは登山資料や行動計画書の説明が多かった。女性の参加者が多いせいもあったがそのあとの食事会やお茶会も盛り上がりむしろその楽しみのほうが主目的であったかもしれない。

先日久しぶりに資料を整理していたらエッセイ教室の真似事をしていた時の参加した方からの感想文が出てきた。一つ紹介しよう。


文章を書くこと: 黒○有〇
「お日様を一杯浴びた白い外壁。それとは少し異なる木の門構え。そして、その中からにこやかに出迎えて下さる浅原先生。もう玄関の中に入るのが楽しみで、楽しみで仕方がなかった。

玄関の中、先生より更に穏やかな笑顔で出迎えて下さる奥様。一歩中へ入っただけで、思った通りのセンスの良さが伝わってきました。


素敵な部屋の中に通されて、いよいよ講義の始まりです。
教材は、「阿南慈子」さんが、書いたエッセイです。

大型テレビには美しい自然の映像が映し出され、BGMの素敵な音楽がシンクロしていく。

言葉の持つ美しい響きが映像詩の形となり、朗読されていくのです。
 過ってこのような文章教室を経験したことがあろうか。

初めてである。クラシカル音楽に心震わせ、平原綾香の素晴らしい歌唱力に感動しながら味わったエッセイは、全身全霊を震わし、おもわず涙が出そうになった私。

心洗われる映像と音楽に珠玉の言葉がはめこまれた「阿南慈子」さんのエッセイを今回の授業で体験し、次の様な感想を持つことが出来ました。

文章は、体験の言葉によるイメージ化という。

具体的には目で、耳で、そして頭でイメージとして捉えることであろう。

良い文章を作ろうとすることは、良いイメージを捉えることに他ならない。また、読者に正しい文意を伝え、感性を引き出すリズミカルな表現を心掛けねばならないと授業では何回も強調された。

これは、句読点の打ち方によって決まることも朗読を聞くことで理解出来ました。

上手く書こうではなく、五感で感じたことをイメージ通りに素直に表現してみる。そんな所から一歩を踏み出し書くということに再挑戦してみたいと思う。

授業の最後の雑談で「無に成る」という話がありました。登山の時の体験で自身が無に成れば、「自然が向こうから飛び込んでくるんだ」と話された。

拘りを離れ自由な気持ちになる。素直な気持ちになる。書くのが大変と思われた時、この言葉を思い出す事にしよう。


最期は、コーヒーと美味しいバームクーヘンをご馳走になり得難い体験の一時が終わりました。

    



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